第5話 女の影と職場の仲間たち(後編)

「鬼島くんお疲れ様でした。それでどんな感じだったの?」


 予想通りクレーム客とは建設的な話し合いにはならず、相手は自分の主張を繰り返し一方的にこちらからの謝罪を求めるだけであった。


「三十分以上客と話しましたが納得してもらえませんでした」


 同じ話がループして時間ばかり経過していくパターンだった。責任者を呼べと言われた時は大抵このパターンで建設的に話し合いができない事が多い。


「それは大変だったわね。クレームの内容を共有するから報告書をお願いね」


「はい、今日中に報告者を作成しておきます」


 それにしてもクレーム対応は心が疲れる。精神がガリガリと削られていく感覚だ。立場的に対応する機会が多いのだがクレームを受けるとその日は憂鬱な気分のまま終える事になる。


 今日は夏菜に会えるだろうか? 彼女に会えれば……いや、高校生に依存してどうするんだ? 俺は守る側の大人じゃないのか? そう自分に言い聞かせる。



〜 休憩時間 〜



 俺はクレーム対応があり一時間ほど遅れて休憩に入る事になった。


「鬼島さんクレーム対応ありがとうございました! ここから気分一新リフレッシュしましょう!」


 クレーム対応の現場に居合わせた吉井さんと休憩時間が重なった。彼女もさっきまで落ち込んでいたようだけど今は元気そうで何よりだ。


「吉井さん、大丈夫? 話を聞く限りでは対応は間違って無いから気にしなくていいからね」


 クレーム客の主張とスタッフの報告を聞く限りでは、こちらに落ち度は無さそうだったので吉井さんに対してねぎらう事はあっても注意などの指導をする必要は無さそうだ。


「はい、鬼島さんに酷い事を言う客の事なんて一切気にしてません。それより鬼島さんは大丈夫ですか?」


 クレーム客に顔の傷の事を言われたのを吉井さんは気遣ってくれているようだった。


「ああ、いつもの事だから俺も特に気にして無いから大丈夫だよ」


「また、傷の事で何か言われたの?」


 そこに一緒の休憩となった高山所長が話に割って入ってきた。


「まあ、そうですね。いつもの事ですけど」


 いつもの事なのだ。この傷に関しては客から色々と言われる事が多い。


「そう……私からも気にしないようにとしか言えないけど……」


 高山所長もデリケートな問題だと思っているようで言葉を慎重に選んでいるように感じる。


「所長、本当に全然気にして無いんでお気遣いなく。クレーム客が俺を見て少しビビってたんで睨みを効かせてやりました」


 場の空気が悪くなり始めたので自虐ネタで盛り上げてみようと試みた。


「鬼島さんクレーム客に対して毅然とした態度でカッコ良かったです! 惚れ直しました!」


 吉井さんがそれに乗って持ち上げてくれているが、それだと元から惚れている事になるけど? まあ見直したという事なんだろう。



「それでは気を取り直して鬼島さんの影に見え隠れする女についてインタビューを始めたいと思います!」


 場の空気が良い感じで和らいできたタイミングで吉井さんが忘れていて欲しかった話題を蒸し返してきた。


「洗いざらい吐いてもらうから覚悟しておきなさいね」


 ノリノリの吉井さんと興味津々な高山所長。


「何で所長までノリノリなんすか……」


「決まってるじゃない。面白そうだからよ」


 所長はデキる女性で仕事上ではピシッとしているが、お茶目なところもありお酒を飲みに行くと馴れ馴れしく絡んでくるタイプだ。


「では……若い女性と言っていましたがお相手は何歳ですか?」


 わざとらしくコホンと咳払いをし吉井さんがインタビュアーに成り切って質問をしてくる。


「それって答えなきゃダメなの?」


「当たり前じゃない、鬼島くんがどんな女性が好みか興味あるじゃない? ほら早く答えないさい」


 この話は俺の女性の好みとは関係ない気がするんだが。


「所長……分かりました。それで年齢でしたっけ? えーと……十八歳です」


「十八歳⁉︎」

「じゅうはち⁉︎」


 所長と吉井さんが仲良くハモる。


「私よりも若いじゃないですか……まさかJK? ってか高校生相手は犯罪では? もしかして鬼島さんって年下好み? それなら私にもチャンスが……」


 吉井さんが何やらブツブツ言っている。


「鬼島くん……さすがに高校生相手は犯罪よ。すぐに別れなさい」


 二人からはまるで犯罪者のような扱いになっているが、そもそも知人の話ですよね?


「ええっと……お二人とも何か勘違いしているようですが、恋人とかの話をしてる訳じゃないですよね? 俺の知人の女性の話ですよね?」


「そうなんですけど、鬼島さんにそんな若い女性の影がチラつくと気になるじゃないですか? 鬼島さんと話をする若い女性なんて私くらいだと思ってました」


 何気に自分がディスられてるような気がするが、吉井さんの言い方だと所長は若い女性のカテゴリに入っていないようだ。


「あら、それだと私が若い女性じゃないみたいじゃない? 吉井さん」


「所長、鬼島さんより年上じゃないですか? それを若いと呼ぶには……」


 吉井さんはわざと所長をあおってるわけでは無く、素で言ってるようだが怖いもの知らずだな。


「ちょっと! 私、まだ二十七歳なのよ! その辺の若い子にはまだ負けないわ! 貴女には無い大人の魅力もあるし」


 そう言いながら所長は、吉井さんの控えめな胸に目をやる。彼女はスレンダーでお世辞にも胸は大きいとは言えず所長に圧倒的に負けていた。


「ど、どこの話してるんですか? オッパイはデカければ良いってもんでも無いです! 大きさより形です! ね? 鬼島さん」


「え? それを俺に聞く?」


 片方をたてれば片方がたたず……どちらとも答えられない状況だが個人的には大きいオッパイが好きだ。


 二人に回答を迫られるがどちらを選んでも地獄……そこで俺が出した答えは――


「あ、もう休憩時間終わりだ! 事務所に戻らなきゃ!」


 逃げる。


「あ、鬼島くん逃げるの? 大きい方って言ってくれれば少しくらい触らせてあげるのに。この意気地無し」


「所長……さすがの私もドン引きです……」


 吉井さんも所長の今の発言には引いてるようだ。


「冗談に決まってるじゃない」


 所長はそう言っているが顔は割と本気だった。


「とにかく休憩時間は終わりです。戻りますよ!」


 こうして逃げるように休憩室を後にし俺の休憩時間は休まる暇もなく終了した。





「さて帰るか……」


 閉館作業を終え退勤した俺は途中でミルクティーを買い、いつものように橋の上のベンチへと向かう。


「そういえば今日は土曜日か……夏菜は学校休みかな?」


 休みだとしたら今日は来ないかもしれない。そう思いながらも期待せずにはいられなかった。


 しかし、三十分ほどベンチで過ごしても夏菜が姿を現す事は無かった。


「そりゃ来る訳ないか。たまたま学校帰りに通り掛かったら俺がいただけだろうし、わざわざ会いに来る訳ないよな……それに数日前までは一人だったんだし」


 強がり言ったものの本心では会いたかった。今日のクレーム対応で疲弊した心を夏菜なら癒してくれると思っていた。


 そんな夏菜に頼ろうとする自分に嫌気がさす。


「はぁ……」


 夏菜の為に買ったミルクティーを溜息と共に飲み干し、後ろ髪を引かれる思いで家路についた。


「次はいつ会えるかな……」

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