第十四条 魔法廷侮辱罪
アラディアは、ドイツの古城街道に佇むゴシック建築の廃城にいた。あの、インチキカルト宗教がイフリートの封印を解いた場所だ。
入り口の両開き大扉を開け、広間中央にまで歩み入る。
「やっぱり、あんたが黒幕か。元信者に訴えられて逮捕されたと聞いたがな」
気配を感じて、アラディアは誰の姿も見えないというのに独白した。
否、答える者がいた。
「魔力を感じる才能だけはありましたからね」
覚えのある声。主は、吹き抜けの二階天井から下がる、魔法で修復されたシャンデリアの上に立つ人物。
かつてアラディアが助けた新興宗教の教祖。高位聖職者のような衣装を纏った、その人だった。
「魔法律の話を聞いて、ぴんときたのです。だからあなたがイフリートを再封印してしまう前に、心の中で願ってみたのですよ」
「使役基準法第二章と第四章」
アラディアは相手を見上げて悔やむ。
「〝召喚霊たる神霊は人工的な封印を施された場合、それを解いた人間の望みを条件に基づいて叶えねばならない〟。封印を解いた時点で有効だからな」
次の瞬間、高笑いと共に教祖は飛び降りた。
「なのに一人で来たようだな、愚か者め」
――いや、もはや教祖ではない。人ですらなかった。
彼は自らの衣装ごと、巨大化して熱煙でできた巨人となってアラディアの目前に降り立ったのだ。
「わしの不手際だからのう」巨体を仰いで、魔女は臆せずに返してのける。「始末をつけさせてもらう、シジルも誘き出すための罠か」
元教祖は咆哮をあげた。
「人間の生命力も僅かな糧にはなったが、脱獄も魔術の細工もイフリートの再回収もこの身ではもはや赤子の手を捻るよりも容易かったよ。貴様を調べもしたぞ、魔法律関係者はほぼ残っていないのだろう? 始末して、神定法を無効とさせてもらう!」
――どんな願いでも叶えられる魔神。アラビアンナイトなどでそう語られるように、実際彼らは全能ほどの力量を有する。
もはやイフリートと化した教祖は、巨大な灼熱の腕を振り上げていた。
「そこまで単純だったら苦労しない。あんたがバカで助かったよ」
振り下ろされた教祖魔神の拳は、聞き捨てならない台詞にアラディアの鼻先手前で静止する。
「確かに、神霊になるのは強大な力量を得る手段さね」構わず、冷静に魔女は告げる。「もっとも相応のリスクがあるのさ。知性のあり方が変わるし、人間からすれば知能が低下したと思えるものにすらなりうるんだ」
イフリートなどの知性については教祖も知っていた。だからこそ、以前は制御できるだろうと高を括っていたのだ。
故に、彼は挑発へ激怒する。
「なんだと、我は人を超えた。知能も含めあらゆる面でな!」
「そうかい」魔女はそっけなく応じ、さっそく勝機の理由を使用した。「おまえにどれほどのことができるというんだ。例えば、この中に入るなんて芸当が可能かな?」
言って、懐から手の平に収まるほどの小瓶を出したのだ。
「容易いことだ、見ているがいい!」
まんまと乗った教祖は、巨大な身体をみるみる縮小。煙の小人となって瓶の中に入った。
即座に、アラディアは蓋をして封印。勝ち誇る。
「な、だからバカになってると言ったんだ」
魔神の性質を利用した手だった。こうした対処法は中東以外にもある。
日本の福島県に伝わる妖怪も弘法大師によって同様の方法で封じられたとされる。ドイツのインスブルックでは、錬金術師パラケルルスがやはり似た方法で悪魔を出し抜く逸話があった。
ところが、
「甘いな!」
突如割り込んださらなる声、それは――
「オレ様があの程度で死ぬか!」頭上の石天井を高熱で融解し、別のイフリートが降臨する。「むしろ契約者を消してくれたお陰で、自由を得たわ!!」
燃え落ち溶岩となった屋根や天井と共に、隕石のように墜落してくるイフリート。東京での爆発で見失った鬼神の方だった。
やっと気付き、呪文を口ずさみ応戦しようとするアラディアだが、
「間に合わ――!」
「今だ悪魔!」
またも新たに参加した声は敬雅のもの。
「ご主人のためなら承知!」
応じたのは、魔女が男子高校生を試した際に用いた小瓶の悪魔。
――実は、あのあとこの小悪魔は敬雅のもとを密かに訪れていたのだ。そして、なんと舎弟にして欲しいと申し出たのである。
白狼は戸惑ったものの、魔法世界への警戒からいざというときの切り札として了承していたのだ。
悪魔が鎌鼬の速度で体当たりし、鬼神の一撃を逸らす。
「ッ、低級悪魔が!」
僅かに軌道をずれた拳は、アラディアの前髪を掠めて焼く。すぐ隣の石畳にクレーターを刻んだ。
「ウッ! あとは頼みましたよッ」
悪魔は反動でふっ飛ばされ壁にめり込みながらそう残し、魔法少女はイフリートに向けて両手を翳した。
「でかした、敬雅!!」
礼を述べ、即座に唱える。
「イフリート、サクル・エル・ジンニー被告。貴様は法律外で勝手なことをし過ぎた。魔法廷侮辱罪だ!!」
瞬間だった。
イフリートの巨体が停止した。彼のもたらした炎と煙、降り注いでいた破片たちさえも。
一刻ののち。ゆっくりと、天井の穴へ吸い込まれるように凍りついた表情の鬼神の身体が渦巻きだす。
「……そうか、思い出したぞ!」
サクル・エル・ジンニーと名指しされたイフリートは叫ぶ。
「『千夜一夜物語』でも、オレ様は最終的に漁師から封印を解かれていた。なのになぜまたも封印されていたのか!」
無言で目線をぶつけてくる魔術師に、彼は吼える。
「貴様だな、記憶ごと封じたのは! オレ様から魔力だけを得て!!」
「神に抗う実力を増すためだった、悪いな」アラディアは冷酷に認めた。「いずれはおまえの利にもなるやもしれん、勘弁せよ」
煙の身体を吸い上げ尽くされる魔神は、悔しげながらももはや人には構っていられず訴える。
「ま、待たれよ! オレ様も神だぞ! 何故、人の世の維持なぞのために縛るのだ!!」
それは広大なホールに虚しく反響するだけだった。猛烈に勢いを増す吸引によって、彼は
「なぜなのだ、神よおおぉ――ッ!!」
断末魔を置き去りに、イフリートは上空の彼方へ雲のように消失する。修復された天井が、とどめとばかりに穴を塞いだ。まるで、瓶に蓋でもするかのように。
……あらゆる損傷がなかったことになった城内。
静寂の中で、疲れて床に蹲りながらアラディアは入り口の方を見る。
そこには敬雅、そして彼の後ろに香奈々が佇んでいた。
「……協力はしないのではなかったのかな、フェンリル?」
「助けてもらっといて可愛くないぜ」憎まれ口を叩く魔女に、不良少年は肩を落として気恥ずかしげに返す。「悪魔の力を借りて調べてみたら、一人で危ないことしようとしてたみたいだったからな。おれのやり方を通すために、あんたらを利用することに決めただけだ」
「いい心掛けだな」次いで、アラディアは別の助っ人にも言葉を投げる。「香奈々も、案内してくれたわけか」
さらに奥の柱に背を預けて待機していた女刑事は、そっぽを向きながら照れたように弁明する。
「フェンリルが小悪魔使って携帯に繋いできたから、仕方なくよ。事情を知った以上、SGTとして無視もできない。移動にまで悪魔を使って、いったい寿命何年分払う気なんだか」
すると敬雅の傍らに小悪魔が飛んできて、頭にたんこぶを作りながらも揉み手で弁明した。
「呼ばれればどこにでも出現できるおいらたちにとって、世界の状況を把握して移動や会話なんて造作もないですよ。なにより、旦那の人柄に惚れて舎弟になったんでさ。魂なんていらねえ、友情ぶんの働きをしただけっす!」
いかに小悪魔とはいえ、人知を超えた存在。正式な契約相当で助力を得れば、こうした芸当が可能なのは魔女にもわかっていた。
嘘をついていないのも見抜けた。魔法執行者であるアラディアの前で小悪魔程度が虚偽答弁でもしようものなら、即座に罰せられるのだから。
「まったく、悪魔を契約外で従わせるとは。たいしたやつだよ」そんな考察の果てに、彼女は立ち上がって敬雅へと微笑みかけた。「さすがは伝説の不良、白狼だ」と。
――そして思うのだった。
(北欧神話において主神オーディンをも食い殺した最強の神定法への叛逆者、フェンリルを継ぐ者としては当然か)と。
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