第十一条 魔序良俗違反

「……裏社会では前に、科学的な実験で別のイフリートの体温が測られたことがあるわ」

 救急車両と野次馬のざわめきが都市を満たす中。原因たる現場を辛うじて見渡せる路地裏で、香奈々は言った。

「表面で一万度近かった、太陽以上よ。あんな身体じゃ放水で消火できない、逆効果ね」

「どういうことだね?」

 隣でアラディアが尋ねる。


 とっさに魔法円の中に飛び込む形で伏せた敬雅を合図に、魔女によって円の効能が瞬間移動へと変換するのが間に合い、三人で逃れたのだ。

 男子高校生はビルの外壁に寄り掛かってしゃがみ、深くうな垂れている。


「熱が高すぎて」そんな様相など構わずに、女刑事は継続した。「水は掛けられたそばから蒸発して酸素と水素に分解されるのよ、炎が広がるだけだわ」

「やはり科学も勉強しておくべきか」腕を組んで、アラディアは納得する。「こういうときのために君と組んでいるわけだが。いずれにせよ魔法陣ごと吹き飛んだからな。あの召喚法だと居住権は得ておらん、イフリートは強制退去させられたかもしれん」

「死んだようなものね、それだけが救いか」


「救い?」

 静かに顔を上げて呟いた敬雅が、自分に怒りながら起立した。

 さっきまでいた半壊ビルを指差す。

「あの爆発を見ろよ! 何人死んだかわからない、おれのせいで!!」


「落ち着きなさい」香奈々が宥める。「こんな結果は予想してなかった。わたしもね」

「わしもだ」魔女が同意する。「だが、三人が知識を合わせていたら別だった。理解したろう、協力が必要なのだ」

 しかし慰めにはならなかった。多くの犠牲を出した自責の念と共に、敬雅はもといた壁に背をつきずり落ちるように座り込む。

「……もっと、早くわかってれば」

「わかってくれたなら大丈夫だ」

 男子高校生の後悔を、軽い口調で自称女子高生が受け入れる。

 激情を刺激された敬雅は、

「大丈夫なわけ――!」

 と叫びながらアラディアを睨み据えたところで停止した。


 彼女の背後に窺える崩壊したビル。それが逆回し映像のように再生しつつあったからだ。

 破片は組み直され、煙は吸い込まれていく。巻き添えとなった建造物や車までが修復され、潰れた人々は復活、野次馬や救急車両などは後ろ向きに戻っていく。


「魔法世界はこの世の半分だ。我々だけで隠蔽できるわけがなかろう」

 魔女は、そんな光景を振り返りもせずに言った。

「イフリートがきっかけで発生したことは被害が大きすぎた。神定民法第九〇条、魔序良俗違反だ。〝一般社会の秩序又は善良な科学に反する事項を目的とする魔法律行為は絶対的無効となる。〟一般社会の法則を歪めうる違魔法いまほうは効果がなかったことにされるのだよ」


 女刑事も平然と付言する。

「一般社会外のイフリートには適用されないから、蘇らないだろうけどね」

 敬雅だけがひたすら唖然としていた。なにせ、時間が巻き戻っているのだ。

 ただ、洩らすしかなかった。

「こ、これもあんたがやってるってのかアラディア?」


「まさか」

 笑って、アラディアが答えた。

「法を裁定する権力の元締め。神の裁き、天罰というやつさ。我々が神定法に従わざるを得ない根本的理由で、逃れたがっているわけでもある」

「三権分立なんてもんじゃない。単純に、法を支配する神々が強過ぎるのよ」

 忌々しげに香奈々が述べた。

「暴力的な力がね。だから悪法にも従わざるを得ない。でも、ある意味で人界と比べればましかも」


 彼女は、もはや完全にイフリートの襲撃前状態な無傷に戻ったビルを望んだ。辺りの様相も、以前の自然な賑やかさを復活させている。

 そんな景観の中で、どこか物悲し気に独白したのだった。

「一般社会の悪法なんて、何の物理的強制力もない。市民が従わず、警察も野放しにして、裁判所も裁かなきゃいいだけ。無視するだけで無効になるのに、人類に不利益でしかない悪法にも従ってしまう。そんな法律こそバカげてるのかもしれない。ソクラテスだって、〝悪法も法〟なんて文字通りの意味では言ってないんだから」

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