第四条 悪魔雇用契約

 男子高校生は階段を駆け下りる。

 目指すは一階、自分たちの教室。阪原壱子とは出会ったばかりで、居場所といえばそこしか心当たりがない。

 生徒たちにぶつかりそうになりながらも廊下を駆け、「コラ走るな!」という教師の定型句も無視して目的地の引き戸を開ける。


 何人か休み時間を謳歌しているクラスメイトがいた。勢いよく開け放たれた出入り口が一瞬注目を集めたが、すぐに仲間たちとの閑談に戻っていく。いたのがヤバい不良なら尚更だろう。

 壱子の姿はなかった。

 他に当てはない。どうするか。

 思案する敬雅の耳に、覚えのあるきんきん声が飛び込んできた。


「あーあ、授業だるいしもう眠くなーい?」


 阪原壱子だ!


 外からである。急いで、敬雅は窓辺に寄った。

 窓枠に足を掛けて表に出る。

 声音の発生源に走ると、いた。校庭の正面玄関前、植えられた松の木下に友達と座り、でかい声で歓談している。

 登校初日に初めて会話した三人組で、うち一人が壱子だ。相変らず全員スカートを短くしてピアスや化粧で飾るギャル系だが、他の二人が茶髪なのに彼女だけは黒髪ロングだ。

 その元に駆けながら、敬雅は数十メートルほどの距離で呼び掛けた。


「壱子、逃げろ!!」


 三人が気付いた。

 ややあって、目標以外の二人がそれぞれ左右に逃げた。

「ちょ」起立するもうろたえて動けない壱子は、友人たちに怒鳴る。「あ、あんたたち! この薄情者!」

「だってご指名でしょイッチー!」

 逃げる女友達の一人がヤケクソ気味に捨て台詞を吐く。イッチーが壱子のあだ名らしい。


 敬雅はんなもの構ってられずになお叫ぶ。

「早く逃げろって!」

「なら来ないでよ!!」

「おれからじゃねぇ!」

 有名な不良が鬼気迫る形相で猛然と切迫してくるのだ。そりゃビビッても仕方がない。

 壱子は後ずさるのがやっとで、背中を樹木にぶつける。

 彼女との距離はあと十メートルそこそこ。

 敬雅の頭上を、後方から疾風みたいなものが吹きすぎようとする。

 屋上で一撃を食らったときの感覚だ。残り数メートルをジャンプし、男子生徒は女子生徒に飛び掛かる。

「伏せろ!」

「嫌ァーッ! 犯さないでェー!!」

 誤解を招く悲鳴を上げる壱子のほどよい胸と柔らかな肢体を抱き、敬雅は地面に伏せた。


 バスッ!


 鈍い音を立て、何かが上を通り過ぎる――。


 バキバキバキッ。と、樹齢百年ほどの松がへし折れた。

 阿鼻叫喚で、比較的そばにいた生徒や教師が距離を置く。敬雅と壱子は伏せたまま、蒼白になるしかない。

「ア、アラディアのやつ」うち、男子側は毒づいた。「なにが怪我させるだけだ、死ぬだろこんなの!」


「避けるから悪い」

 当の魔女の大声がした。校舎屋上端で鉄柵の上に立ち、おもしろそうに俯瞰するアラディアだ。

「小娘の身体を掠め、切り傷でも残せば小悪魔は消えておったわい。回避したがために、進路上にある木を切断しちまったんだよ」

「どうでもいいわ、どうにかしろ!」

「油断せんことだ」

 怒鳴る白狼へと、魔女は上空を指差して警鐘を鳴らす。


 思わず指先を追った敬雅の瞳。

 彼の網膜は、なぜか初めて捉えることができた。瓶が割れて以降、掻き消えたように感じたあの悪魔を。

 そいつは青空に高く上がると、陽光に煌いて反転し急降下。再度襲撃してくる。

 敬雅は壱子に覆い被さった。

「ち、ちょっと」女子高生の方は悪魔が視認できず、愛らしい丸顔に照れを交じえて混乱する。「なんなのこれ、あんたなにしてんの!」

 敬雅の背に一文字の裂傷が刻まれる。犯人はまた遠ざかった。

 宙を舞う破れた学生服の切れ端で、壱子は事態をいくらか把握する。

「もしかして、あたしを庇ってんの!?」


 魔女が屋上から飛び降り、小悪魔に襲われる二人のそばへ着地した。

「頭を使え白狼」彼女は自身の三角帽を指で叩いて諭す。「わしらが関与を許したことで立法府が超法規的措置により規制を緩め、神霊が知覚できたようだが触れはせん。言葉は届くぞ、教えた神定法を使って撃退してみせよ」

 いったん横に離れた小悪魔が旋回する。

「ちっ、くしょう!」

 背中の痛みを堪えて悔しがりながらも、敬雅はどうにか思考する。


 あいつはどんな説明をしたか。何法の何章だか忘れたが、〝人に封じられた神霊は、封印を解いた人間の願いを叶えねばならない〟。に基づく現状だったはず。

 あとは、悪魔を騙して無償でこき使ってるようなものだとか。人間社会だったらとんだブラック企業だ。


 悪魔が再接近してくる。猛烈な勢いで、校庭の砂を飛沫のように掻き分けながら。

「こうなりゃヤケだ!」

 敬雅は、腹の底から絶叫した。


「おい、悪魔! おれと契約しろ!! 正式な手続きでだ。だからアラディアの命令は取り消せ!!」


 男子高校生の白い前髪が、数本切断されて舞い散る。ひたすら怯えている壱子。

 敬雅の目前で、ピタリと小悪魔は静止していた。

 人ならざるものは、首を傾げている。やがて問うた。


「おいらと契約をするだって、本当かい?」


「マジだよ」効いたと察して、敬雅は捲くし立てる。「どうだ。騙したアラディアと、正式な契約を結ぶおれ。どっちが優先される?」

「当然、あんただ。神定法の使役基準法的にも正当だからな。だが、正式な雇用契約が必要だよ。引き換えに魂でもくれるのかい?」


「おい白狼、もう充分だ」

 止めに入ったのはアラディアだった。若干、焦った表情をしている。

「一つのやり方として正解さね。シェイクスピアの『テンペスト』でプロスペローがエアリアルに用いたように、他の魔術師にこき使われていた神霊を救って新たに契約を結ぶ方法だな。あとはそいつを退治するから余計な取り引きは不要だ」

 述べて、敬雅と対峙する小悪魔へと歩み寄る。


 耳にした悪魔は慌てて逃げようとしたが、できずに硬直する。彼へと魔女が手を翳し、呪文を唱えたからだった。


「〝嚢謨三曼茶バ曰羅赦なうまくさんまんだばざらだ〟」


「こ、この悪魔!」と悪魔の癖に罵る。「さんざん利用してこんな始末か、ふざけやがって!!」

 そこで、哀れな人外と魔女との間に誰かが割って入った。


「……同感だな」

 両腕を広げ、さっきまでの敵対者である小悪魔を庇ったのは敬雅だった。

「こき使って都合が悪くなったら捨てるんじゃ、あんたの方が悪魔だろアラディア」


「あ、あんた」

 後ろで小悪魔が感涙している。


「合格」

 ぼそりと、魔女が囁いた。


「へ?」


「ここまでがテストだよ」呆気にとられる敬雅をさし置いて、アラディアは小悪魔を縛っていた手を下げた。「法や感情論やカテゴリよりも、筋を重視する。まさに、わしがもとめていた人材だ」

 次いで、悪魔へと命じた。

「おまえももうよい、地獄に帰るがいい。あ、死ねって意味でなく帰宅せよってことさ」


「よ、よかったあ」

 悪魔はおよそ悪魔らしくない挙動で胸を撫で下ろすと、敬雅へとぺこぺこ頭を下げた。

「傷つけたってのに、あんた……いや、アニキにも助けていただきやした。ありがとうございやす。じゃあ、おいらはこれにて!」

 告げて、小さな超常現象は一陣の風となって消え去った。


 静寂が訪れてひと段落する。と、敬雅は思い出したように魔女へと怒鳴る。

「にしてもアラディア、おまえってやつは!!」

 同級生の怒りに、矛先の女子は手の平を向けて制する。

「急くな。最初から、君や壱子に本気で危害が及びそうになったら直前で止めるつもりだったさ」

「ほんとかよ」

「わしにできないとでも?」

 確かに魔女ならできそうだ。そう思っていると、彼女は続けた。

「ついでにそっちの彼女にも今回の記憶は残しておこう。詳しいことは君が自ら説明したまえ」


 やっと我に返った壱子は、しどろもどろで反抗する。

「ちょ、なに勝手なこと!」

「そうだぜ」当然、敬雅も乗っかった。「おれみたいな犠牲者を増やすつもりかよ!?」

 ところが、魔女はガン無視した。

「魔法社会に係わる上での君の暗号名コードネームも、SGTから決めたと連絡を受けた」

 そして敬雅を指差し、発表する。


「〝フェンリル〟だ」


「まんまじゃん!」

 すかさずツッコむ敬雅。それをさらに無視し、彼女は名乗った。

「ちなみに、わしの暗号名も教えておこう。〝アラディア〟だ」

「いやまんまじゃん!」

 こうして、混乱のうちに昼休み時間は過ぎ去った。例によって、折られた校庭の松や敬雅の傷などは魔女が簡単に修復してくれた。

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