第三条 使役基準魔法

 不満をぶちまけるには、翌日まで待たねばならなかった。

 登校早々アラディアは「昼休みに学校の屋上に来たまえ」とまた呼び出し、「OK上等だ」と敬雅も腹を括った。


「ふざけるなよ!」

 かくして待ちに待った時間が訪れると、まさに絶叫を放つのだった。

「大っ嫌いな警察のスパイになんかなりたくねーのに、無理やりやることにしやがって!! いったいなんなんだ。あの香奈々とかいう女曰く、詳しくはおまえが知ってんだよな!?」


 このためにアラディアの何事もなかったかのような日常的な話し掛けも半日ひたすら我慢して、どうにか耐えてきたのだ。あんな電波な出来事を大声で追求したら、校内だけでは得られそうな安息の時間が再び不良〝白狼〟への偏見に満ちた目に囲われる日々にも戻りかねないのだから。


「落ち着きたまえ」

 悠長に、屋上を包囲する柵へ背を預けて魔女は応じた。

「香奈々はめちゃくちゃなことをほざいておったが、プライド故の戯言だよ。意に沿わん依頼は断ってもいい、わしが保障する」


「あんたにんな権限あんのかよ?」

 彼女から数メートル離れた地べたに胡坐を掻いて、敬雅は疑問視した。昨日を振り返る限り、アラディアも女刑事に縛られているようだったからだ。


「ある」なのに、魔女は断言した。「わしはいつでも彼女たちを裏切れるからな。〝神定法〟でこちらもただじゃすまんが」

 ほとんど信用できないが、少し安心できそうな要素もちらつかせた。そこをどうにか切り開くべく、尋ねてみる。


「神定法ってのは何だ」


「文字通り、神々が定めた法さ」

 魔女は解説する。

「魔法を縛る法、魔法律だ。神話や伝説に満ちた昔話にあるように、かつては一般に広く知られていた。それが、十九世紀末から二〇世紀始めに掛けての産業革命による科学の発展で一変したのだよ。人は科学による平等を望んだのさ。

 魔法は、才能、信仰、訓練、こうした課題が多大に影響し合い、ある効能を及ぼす作用が使用者によって大きく異なる。その点、あるボタンを押せば特定の効果を発揮する科学的な機械は誰が押しても同じ反応をする。そして、魔術と科学の扱いを巡る裏の目的を抱きながら最も大きく争われたのが、第二次世界大戦だった」


 結果、科学中心の社会を望む側の勝利により以後の歴史が形成されたという。科学を基盤とした世界を築くため、神定法がその上に座することは隠蔽され、魔術的な存在は表舞台から消されるに到ったらしい。


「以来、人は魔法が実在した過去を最期にして最大の魔術によって葬り去ったが、それは、まだ科学で魔法を理解し始めたばかりの頃に取られた早まった措置でね。実際は、魔法でしか対処できない危機もあったんだ。もはや後の祭りで、魔法世界での人類の危機に対処できるのは我々だけになったのさ。

強大になり過ぎていたために封印されきれなかった、僅かな魔法少女だけにね」


「ま、魔法少女だと?」

 ただでさえとんでもない説明にさらにとんでもない要素が飛び出たため、敬雅は聞き返した。

 アラディアは当然のように頷いたが、加えもする。

「言っておくが、君らの知るフィクションとは違うぞ。日本は魔法社会を築こうとした勢力のうち最後まで残った枢軸国だからな。封印されても無意識に魔法を憶えていて、創作に反映されたのがいわゆる〝魔法少女モノ〟なだけさ」


「いや何で少女なんだよ」

「そんなことも知らんのだな」

 自称魔法少女は呆れたように首を振って、教授した。


 例えば、主に中世ヨーロッパで魔女とされた人々への弾圧として行われた魔女狩りでは男性も犠牲になったように、〝魔女〟という言葉は男の魔術師も含む。にもかかわらず女を想起させる名称なのは、それほど女性が魔法使いに向いていたためらしい。

 他方。子供は純粋無垢で神秘的なものを受け入れやすく、そうした存在と遭遇しやすいともされる。生まれて間もないため誕生以前の現世でない世界に近く、通じているともされるという。

 つまり女にして子供である少女は、両方の素質を備えた最も霊的に優れた人間なのだそうだ。


 あまりに大それた信じがたい暴露に、敬雅はまた絶句してしまった。しばらくしてどうにか感想を呑み、立ち上がってやっと口にする。

「……事実だとして、んな情報操作がされてる時点で気に食わないな。みんなに暴露してやりたいとこだぜ」

 精一杯の反抗を込めたつもりだった。


 なのに、あろうことかアラディアは嬉しそうに彼を称える。

「そういう人間だからこそ気に入ったのさね」

 さらに誘う。

「わしらも現状を快く思ってないんだよ。残された魔女だけで、魔法世界の脅威から人類を護るには限度があってね。君みたいな人材と共に悪い神定法を壊す手段を模索したいってことだよ」


「ちょっと待て」

 そこまで聞いて、敬雅は嫌な予感を発する。

「昨日の女警官の発言といい、おれの転校も仕組んだんじゃないだろうな?」

 記憶や記録を改竄できる魔女や警察が、以前炎上事件を終息させたともいうのだ。上で、白狼との接触を待っていたかのように語るのだから当然の疑いともいえた。


 しかし、自称魔法少女は冷静に返してくる。

「逆さね。こうした勧誘は、他の人員にも幾度もしては断られているからね。近くでタイミングを見計らってはいたが、君が転校してきたのは単なる運だ。いい機会だからスカウトの時と決めたのさ」


 正直疑わしい。

 とはいえ、疑いだしたらきりがないし相手は記憶や記録を魔法でごまかして潜伏できる魔女だ。

 なら、自分も今の立場を応用して密かに探りを入れた方がいいとも思う。少し考えて、彼なりの理解に基づいて話題を戻すことにする。

「……とにかく。なんで魔法使いでも少女でもないおれを勧誘してるかわからんが、つまるところ、神定法の悪法をぶっ潰す手伝いをしろってか?」


「君を選んだ理由は香奈々も不思議がってたろう、魔法少女たるわしの直感としか言いようがないよ。手伝って欲しいことについては、そんなところだな」


 聞いた限りでは、敬雅の中で世界はそう変わらなかった。人の法に加え、神々が定めた法もあったと知ったくらいだ。

 男子高校生は質問を重ねてみる。

「あんたらと係わってれば、神定法とやらについても学べんのか?」


「無論だ。もう否応なく影響は受けるさ。わしらが係わることを許容した時点で、いわば魔法律が適用される魔法の国に生まれたも同然だからね」


 敬雅だけ、なぜか彼女らの関与する魔法世界を忘れないのだ。予感はしていた。

 だがいきなりこんな境遇にぶち込むとは、糞みたいに理不尽な悪法を国民に知られないようこそこそ作って押し付ける権力のようなものだ。


「ふざけないでほしいな」だからアラディアに詰め寄り、思い切り睨みを効かせながら彼は吼えた。「人知れずムカつく法律があったってんなら気にはなるが、新たに適用までされて従えるかよ。人の法だけでうんざりなんだ」


 ところが魔女は動じずに、むしろ言ってのけたのだ。

「君は、自分が好きな法律のある国を選んで生まれたとでもいうのかね?」


 言葉に詰まる。

 法律とはそういうものだ。生まれたのと同じようなことが、また起きたというだけかもしれない。

 グッと堪えて、敬雅は元いた位置に後退する。

 で、考える。

 まず優先すべきは、神定法とやらがどんなものなのか学ぶことなのかもしれない。


 悩んだ末敬雅は、自棄になったように再び胡坐で座る。それから言った。

「なら、とりあえず示してみろよ。神定法ってやつがあるっていう確実な証拠をな」


「よかろう」

 アラディアは両腕を広げた。

 瞬時に、虚空から現れた水の満たされたガラス小瓶を左手に、黒檀の柄を有する両刃の短剣を右手に、おのおの握った。

「これは〝小瓶の悪魔〟という魔術だ。わしは儀式を略せる資格を取得しておるが、教本通りにやろう」

 告げて、剣を誇示するように目前で揺すりながら付加する。

「こいつを所有しているだけでも通常社会の銃刀法違反だがな。養蜂で使う蜜刀や牡蠣をこじ開ける道具の所持まで規制するおざなりな法改正がなされたが、連中は管理下にない者によるこの魔術も封じたかったのかもしれん。では」


 鋭く、魔女は目前の空間に短剣で十字を切った。

 思わず敬雅が構えると、アラディアは厳かに唱えだす。


「〝汝と我が主 生ける神々とその御名によって 三位一体かつ聖母の処女性により おまえの住居たる九つの天によりて 人身を纏いて 我が前に出現することを祈らん ここに用意せし小瓶へ入り 希望にこたえよ!〟」


 微かに、空間が軋むような感覚を敬雅は覚える。アラディアが、今度は左手を掲げて誇示した。

 男子高校生がよく見ると、知らぬ間に小瓶内には何かが入っており、蓋は閉じられていた。

 そこにいたものは、いかにも小悪魔といった出で立ちの全身真っ黒で強面な蝙蝠の翼を持つ人形のようだ。しばらくもがいていたが、やがて諦めたらしくおとなしくなる。


「あとは、命令をして呪文と共に解き放てば、こいつがそれをなしてくれる。こんなもので捕らえられるのは低級悪魔で、たいしたことはできんがね。加えてこの術は本来、人と契約をして条件と引き換えに願いを叶える悪魔を騙して瓶に閉じ込め、脅して無償で使役する術だよ。

 神定法の使役基準法第二章と第四章により、〝召喚霊たる神霊は人工的な封印を施された場合、それを解いた人間の望みを条件に基づいて叶えねばならない〟という規定でな」


 呆気に取られる同級生へと、アラディアは小首を傾げて謎を掛けてくる。

「この時点ですでに、通常社会の考えではおかしな点があるが。わかるかね」


「フツーに考えりゃ全部おかしいな」

 反射的にツッコんだ敬雅だが、魔女は真顔で反応しない。

 真面目な空気らしいと悟り、とりあえず小瓶の悪魔を指差して気付いたことを述べてみる。

「……なんとなくだが。解放された時点で自由なんだから、律儀に願いを叶える必要はないだろってとこか」


「正解」アラディアは手の平の空いてる部分で拍手した。「では理由がわかるかな?」


「神定法ってやつで定められてるから?」


「さよう。これは言わば人の世でいうところの雇用契約を無視した魔術だよ。瓶に入った時点で、こいつはインチキ契約書にハンコを押しちまったようなもんさ」


「犯罪じゃねーか」

 なんだか悪魔が哀れになってきて、敬雅はぼやく。神定法とかいう気にくわない法律を確認するはずが、これじゃアラディアが悪法の元締めだ。


「とはいえ」アラディアは冷酷だった。「単純な殺傷力でいうなら、こいつが可能なのは人に軽傷をおわせるくらいさね。よって」

 さらに彼女は、信じられないことを口走ったのだった。瓶を己の顔の前に持っていき、命じたのだ。


「阪原壱子に怪我をさせよ」


 耳を疑った。

「おまッ! 何しようとしてんだ!!」

 とっさに敬雅の身体が動いた。アラディアに詰め寄り、彼女が手にする悪魔入りの小瓶につかみ掛かる。

「やめさせろ!」動じない少女へと、男子高校生は怒りを吐く。「なんで同級生に怪我させなきゃならねーんだ!!」


「〝ザティ アバティ〟」

 一言、アラディアは発した。


 とてつもない暴風が敬雅を襲う。後方に吹っ飛ばされ、屋上端の鉄柵に背中を強打した。

 危うく落ちそうになるが、どうにか踏ん張って残る。


「君が体験したものが実例さ。一瞬にして契約した別の小悪魔によるものだ、わしは呪文だけでこの程度の使役は常時できるからね」


「て、てっめえ」


 背中の痛みに屈み、自分より低身長の相手を見上げるしかない敬雅を見下すように、アラディアは挑発する。


「術者を狙うのも魔術を止める一つの手だが、相手が弱い場合だな。わしに抗うなぞ数億年早い。魔法律が支配する社会では、こうした術で人を傷つけようという輩はごまんといるぞ。白狼として見逃せるかね?」


 歯を食いしばってふらつきながらも、敬雅はどうにか立ち上がった。そして言い切る。

「見逃せるわけ、ねーだろ!!」


「ふふ、では止めてみよ」おもしろそうに、魔女は小瓶を足下に叩きつけた。「行け!!」

 悪魔と敬雅のどちらに命じたのか曖昧だが、気にする間もなくガラスが割れる。

 それを合図に、後者は駆けだしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る