第二条 魔法公務員職権濫用

 ――深夜。


 ご丁寧にも敬雅は、言われた通りの場所を寝巻き代わりのジャージ姿で訪れていた。

 法之宮第二高等学校跡地。地元で二校跡といえばここだ。

 法之宮一高に続いて造られたが少子化で一高と統合され廃墟となった建物。周囲はちょっとした田園が広がり、深夜ともなれば人影もない。一番近い住処も結構離れていて、ほぼ真っ暗。街灯と信号、一つずつが近くで最も頼りになる照明なくらいである。

 敬雅も、ここに到るまでに自転車のライトと懐中電灯を必要とした。


 普段の彼ならヤンキーに喧嘩を売られたわけでもなければ、こんなところに呼び出されてのこのこやってくるようなお人好しではない。そんな問題など吹き飛ばすほどにアラディアが異様すぎたのだ。

 なにせ、初日は帰宅するや彼女の記憶を実際に失ったのに、二日目の約束は憶えていたのだから。


「にしても不気味だな」


 敬雅は予告された時刻よりも早く訪れ、現場から離れたところで自転車を降り、懐中電灯の電源も切って茂みに潜んで洩らす。

 他者の気配はなかった。当然ながら学校は校門も閉ざされ、窓も板で多くが塞がれ、内部が窺える箇所も真っ暗。

 あまりに人気がないので、指示された時間が迫るに従い釣られたかという気持ちも過ぎる。


「おれ、なにしてんだろ」


 そんなに考えなくても間抜けだった。

 なにせアラディアは変人。でなくとも、彼女が一人の女子高生として会ったばかりの男子生徒と夜中に待ち合わせするかとは別だ。

 さすがに〇時一分ほど前ともなると、敬雅は帰ろうと準備をしだした。


 この暗闇だ。約束の時までに遠くからくる別人がいれば、察知できそうな風景でもある。照明を持参するだろうに、兆候は見当たらない。

 自転車に跨がり、最後に溜め息と共に振り返ったときだ。


 問題の高校跡。なぜか唯一塞がれていない一階の窓の一つに、いつのまにか明かりが灯っていた。

 携帯を確認すると、〇時ぴったりだ。

 辺りを見回す。誰もいない。

 まさかと疑いつつも意を決して、敬雅は踵を返した。


 立ち入り禁止の看板を掲げるフェンスを登り、雑草が生え放題となっていた校庭に着地する。問題の部屋のすぐ脇の外壁に背をつけ、そっと窓から覗いた。

 元は教室だったらしき長方形の広い空間。壁際に寄せられた机と椅子によって、空いたスペースが正方形になっている。

 だが室内には、およそ学校とは似つかわしくない物体もいくつかあった。それらの意図を認識する間もなく、部屋を照らす一部破損した蛍光灯が消える。


 すわっ、侵入者に気づかれたのかと身構えた。


 瞬間。それ以上の異変が発生して敬雅は身動きを停止した。

 暗闇で、閉まっていた教室の出入り口が開いたのだ。静寂の広間に、誰かが入室したようだった。

 これまで雲が隠していたのか、ちょうど眩いまでの月明かりが差して、室内を照らしもした。

 月光に浮かんだ人影は少女だった。


「……アラディア」


 亜麻布のローブと麻縄のベルトを纏っていたが、おもむろにベルトを緩め、法衣の前面をはだけた。下にはなにも着ていなかった。

 ほっそりとしたまだ幼げで白い裸身が、室内に彩りを添える。


 彼女は壁際の卓上からオイルのようなものが満たされた小瓶を取り出した。

 部屋の角に集められていた道具に歩み寄ると、瓶の蓋を開けて指先を濡らし、品物へとつけていく。自身の身体にもいくつかの箇所に塗布していった。

 しばしして、手は下腹部に到った。

 赤面しながらもいろんな意味で光景から敬雅が目を離せずにいると、大切な場所に塗り終えたアラディアの指は臍の下から這い上がった。

 微かに頬を夕暮れ色にした女子高生は、小さな吐息を吐くとベルトを締めてローブの乱れを直し、フードを被って室内に準備されていた道具の配置に移った。


 四色のフラノ地で作った魔法円を、部屋の中央に敷く。小テーブルを東よりに設置し、卓上中心に燭台を乗せ蝋燭を立てる。オレンジ色の光に照らされながら、吊り香炉で白檀を焚いた。

 やがて彼女は、魔法円の真ん中に東向きに直立。等身大の十字を切り、大きく息を吸い込むと力強く唱え始める。


「〝アタル バテル ノーテ……〟」


 ローブが脱ぎ捨てられ、揺らめく灯火で内壁に踊っていた裸身が、次第に消失していった。


 敬雅はひたすら愕然とした。

 初めはアラディアが現れた驚愕から。次には彼女の生まれたままの姿へ見惚れたために。最後は、人一人が奇妙な儀式の果てに消え去った衝撃で――。


「来てくれたか」


 唐突に背後からアラディアの声がして、慌てて彼は振り返る。

 しかし、そこには誰もいなかった。ただ、底知れぬ夜の帳があるのみだ。

 背筋を冷たいものが走る。


「そんなに驚くでない、覗いていたのは承知の上だよ」

 ようやく襲ってきた、チンピラなんぞとは比較にならない恐怖に敬雅は動けない。

 少女の台詞だけが続ける。

「披露した通り、わしは正真正銘の魔女さね。これは北欧の黒小人を起源とする不可視化の魔法でな。御覧のように、透明になれるものさ」


 御覧と言われてもご覧になれないわけだが、実際透明人間になった以上、確かに敬雅は魔法のようなものを信じるしかなさそうだった。

 どうやらアラディアの自称は中二病や高二病でなく、真実らしいと。


「時に、お主も携帯くらい持っておろう」虚無から、アラディアの言葉だけが話しかける。「ちょいと出しな」


「あ、ああ」

 半ば混乱したまま、敬雅は虚空へ何度も頷くと従った。まるでカツアゲ染みていたが、こうなっては白狼の異名も形無しである。


 とりあえず自身のポケットからそれを出すと、するりと手から引き抜かれて空中に浮いた。

 さらにフラッシュと共にカメラ機能のシャッターが切られ。

 途端。目前にアラディアが現れた。


 全裸の。


「ちょ、ちょい待て!!」

 敬雅は一瞬にして恐怖を忘れた。初めて同年代の少女の裸を間近にした衝撃が追い越したのだ。

 うろたえた末、尻餅までついてしまう。

 そこで、第二の異変が起きた。


「児ポ法辺りでしょっ引くわよ」


 割り込んだのは第三者の大声。若い女性のものだった。

 校門の方角からだ。

 二人が振り返ると、錆びついた音を立てて門が開け放たれた。

 その奥から、ほっそりとした人影が歩いてくる。背後に屈強そうな影も伴って。


 嫌そうにアラディアが来客たちと対面した。

 来訪者たちは月光で全容が窺えるほどの位置で停止する。先頭の女性は二十代後半程度、女狐といった印象を与える長髪の美女でスーツ姿だった。

 後ろにいるのは、中世ヨーロッパ風の全身鎧で隙間なく身を固めた二メートルほどのがっしりした体格の人物だ。


「仕方なかろう」

 言ったアラディアは、いつのまにか昼間着ている漆黒のローブととんがり帽子に着替えており、慣れた態度で訪問者たちに応対した。

「不可視の術は、儀式を経れば鏡などに映っただけで効果が解除される欠点は改善しきれておらん。そこは貴様ら警察お得意のご都合主義的な法文解釈で見逃す約束のはずだろ、理田香奈々りたかななよ」


「違反は違反。高校生だけで夜中に出歩くのも条例違反で補導対象だわ」


「実験場に呼び出したのはこちらじゃ」アラディアは吐き捨てる。「つまるところ、お主も警察のSに依頼があるというわけだね」


「いつも通りにね。従えば不問にしてあげるし、魔法少女としての今後の生活も支援し続けるわ」


「繰り返さずとも承知しておる。だが、忘れんことだな」

 と、魔女は恐ろしげな微笑を湛えた。

「わしを犯罪者に仕立てるとなれば、それ以前にお主らが全員死んどるわい」


「どうかしら、試したことはないからわからないわよ。あなたも〝守護天使ガーディアンエンジェル〟とヤってみる?」

 理田香奈々と呼ばれた女は、不機嫌そうに背後の全身鎧を一瞥した。

 呼応するように、鎧がアラディアの方に動こうとする。どうやら彼が守護天使と呼称されているらしい。


「おい」

 よくない雰囲気に、敬雅は警告を伴って鎧の前に立ちはだかった。

「わけわからねえが、んなデカブツJKに差し向けてどうすんだ?」


 香奈々は小首を傾げて訊いた。

「こんな少年が相手?」

 問いは、敬雅にではなくアラディアに向けられていた。

「試してはどうだね」

 不敵に魔女が応じると、無言で一歩下がる香奈々。

 途端、全身鎧が敬雅をぶん殴った。


 数メートル先の地面に転がってから、全身に痛みが走る。

 苦悶するも。よくわからない意地で、不良学生は叫ぶのを堪えた。


「雑魚ね」呆れたような香奈々の声。「もういいわ守護天使、元の位置に戻りなさい」


 敬雅を攻撃した守護天使は彼に背を向けた。

 そこで少年は即座に突進。

 いくら喧嘩慣れしている彼でもこんな武装の相手と戦ったことはない。ただ、金属バットやらなんやら重い装備の奴なら倒したこともある。


「んにゃろぉ!」


 だから敬雅は相手の上半身に抱きついて、勢いのままうつ伏せに押し倒す。馬乗りになり、鎧の目の部分にある僅かな隙間に、残存していた校庭の砂を突っ込む。

 守護天使は無様にもがいた。

「喰らってわかったがマジの鉄だな、んなの着てたら重くて起きれねえだろ。目に入った砂も取れねえ」


「へえ」

 香奈々は腕を組んで感心した。


 敬雅の知識にはないが経験からの見積もりで、それは正しかった。

 守護天使が着込んでいたのは、まさに中世ヨーロッパにおける本物のプレートアーマーからなる重装鎧だ。兜から鉄靴まで、飾り立てから拍車まである。総重量八〇キロほどの代物だ。

 転んだら最期、一人では起きることすらままならない。


 着用者が人ならば。


 徐に、宙を掻いていた手で守護天使は自分の頭をつかむ。そのまま、すぽんと兜を脱いだ。


 中身はなかった。首から上になにもないのだ。


 呆然とする敬雅。

 をよそに、頭のない守護天使は兜を振って中の砂を出していた。


「さっきの命令で守護天使に戦意はもうないわ」香奈々が言う。「あなたがなかなか機転の利く喧嘩上手なのも理解した」

「彼は桐堀敬雅だ」

 腕で仰ぐようにしながら、アラディアは同級生を示した。

「我が学び舎に転校してきた、見所のある人物だよ」

「そのくらいは知ってるわよ、前科者マエモンの〝白狼〟でしょ。要注意人物だし、転校早々に警察官僚の息子もボコったそうだから」


 聞いて、ようやく我に返り二人の少女に目を向ける敬雅。

 自分のことを知られている。そういや初日にカツアゲしてた奴は親が警官だともほざいていた。


「ならば彼も」当人をよそに、魔女は提案する。「サツのSということにしてくれんか?」

「無法者を?」向こうは鼻で笑った。「できるわけないでしょ。従いそうな人間でもないわ」


 エスというのはスパイの隠語だ。

 香奈々はどうやら警察関係者のようで、敬雅も伊達に連中の世話になってはいない。少しはネット等で裏があるのは調べていた、しかし、ここまでのやり取りが行われているとは思わなかった。彼もアラディアも高校生なのだから、こいつらのやってることこそ犯罪だろう。

 もっとも魔女は悠揚迫らぬ態度で、まるで主導権を握っているかのように言ってのけた。

「彼は将来有望な魔法律関係者に育つ。いや、育ててみせよう」


 長い沈黙だった。二人の女性は目線を衝突させ、互いの奥底にある何かを確認したようだった。


「……そこまで断言するなら」

 ため息は香奈々がついた。

 気持ちを切り替えたらしく敬雅を指差し、びしっと回答する。

「採用!」


「ちょっ、待てェい!」

 反射的に立ち上がり、ようやくツッコめた敬雅である。

「んだよその軽いノリ! こっちはなんのことやらさっぱりなんだぞ!?」

「ところで白狼、いえ敬雅。あなた、ネットで炎上しかけたことがあるわよね」

 スルーした香奈々が話題を換える。確かに当人の記憶にある事象だ。

 驚く間もなく、矢継ぎ早に真相を匂わされる。

「いきなり噂が消えて不自然だったでしょう。謎が解けんじゃないかしら?」


 ……そうだ。もし学校中の生徒から記憶を消せるアラディアのような関与があったなら、そんな芸当も可能かもしれない。


「どうして――!」

 いろいろな質問をぶつけようとした敬雅の口は、指一本で塞がれた。香奈々がとてつもない素早さで肉薄し、唇に人差し指を当てがったがために。


「委細はそこの同級生から聞きなさい。わたしは魔法社会の執行権を有する警察の特殊御霊会ごりょうえ部隊――〝SGTサガト〟の一員、理田香奈々とだけ伝えておくわ。あなたは知り過ぎた。

 以後、魔法社会のことを通常社会に洩らしたり下手にこちらの命令に逆らったりすれば、白狼の悪評が再びネットに流れるだけでなく警官の息子への暴行も教育委員会その他で問題になるわ」


 アラディアのような力が実在することを考慮すれば、ありえない脅迫ではなさそうだった。

 好き放題言って、香奈々は踵を返す。そのまま、さっさと校門から出て行こうとする。

 倒れていた守護天使も兜を再装着してのっそり立ち上がると、後を追って行く。


「……こんな異様な世界を勝手に教えられた矢先に、知り過ぎたも糞もねぇだろ」

 やっと呟けたのはそんな一言だった。


 不満だらけだったが。様々な衝撃も重なり、敬雅はもう冷や汗で佇み、香奈々たちが視界から消えゆくのを見送ることしかできなくなっていた。

 ちなみにアラディアは、気付いたときには消えていた。

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