第3話 結果がでてからの微妙な距離感と切り換え術

それまでは、私、乾橘(かんきつ)の姿をみるや否や、「せんせい、作文みてください!」「書き直しました!」「テーマください!」と言っていた子たちが、それが終わった途端、話す話題がなくなり、気まずく、目を背けはじめる。如実に。受かった子は、まだ、「合格して」とか、「中学でやりたいこと」とか、書いてみろー!と、言える。そして、書かなくなって二、三日で嘘のように書けなくなっている自分に愕然とする。あれだけ、一年間、四百字もの作文を、早い子で十分くらいで書けたというのに。でも、そんなものである。


問題は、落ちた子だった。衝撃が強過ぎて、性格がその後、ひねくれてしまったという子もいた。しかし、こればかりは、仕方がない。これが、受験、いや、受検なのだ。この点で、私立受験は、なにかしらの結果に着地はできるから、納得感があるし、そこまでを計算しながら親側が考えている場合が多い。


一方、中途半端に都立受検した子は、この一年間の、塾等で学んだ、質の高い環境と地元の中学の環境の差に愕然とする場合。そこで、巧く三年後へのやる気へと切り換えて、どれだけ自分が受験の認識が甘かったかに気づければ御の字だ。

そして、この切り換えの微妙な期間を乗り越えて、新学年でまたその学年を受け持てれば、また、違った形でスタートが切れる。後輩の講師にまた、同じ顔ぶれだと気持ちを引きずってやりずらくないですか?と、聞かれたこともある。確かに、クラスに、合格と不合格の生徒が混在して、それもまだ、幼く、涙までながされると切り変えろと言われても難しいものがあった。ただ、私は、そんなときでも強引に進めた経験がある。そんなところで甘やかしていたら、三年後なんて、太刀打ちできないからだ。


悲しいのは、生徒たちの結果がでてからの顔に会えずに異動して、その後、未だに会っていないというほうが多いことである。私の場合、生徒たちとは、授業のみの関わりなので、教務関係でかかわるとまた複雑な問題が起こる可能性がある。あるいは、私に対するアレルギー反応で、継続できる生徒もできなくなってしまうという恐れがある。そのため、最後の授業でさえ、最後と言わないでくれと校舎長に昔、言われたこともあった。拒絶ではなく、その逆で、私でなかったら、退塾するという場合もあった。そういう場合、一時期、私が他校舎に行って、また、戻ってくるという嘘?を使う場合もあった。


ちなみに、では、いったい、また、同じ学年を持つことになった場合、どう気持ちを切り替えるかだが、まったく、同じ科目を教えることにはならないことを意識する。たとえば、作文を小六までは教えていて、中一から国語になったとしても、まったく違う科目と切り換えて接するようにする。国語ではなく、数学を教えるくらいの意識で。対応の仕方も中学生としてこちらが、更に一層、大人として、距離感を保ち、扱う。すると、意外とチェンジできる。それよりは、さよならも言えずになんとなく、フェイドアウトの自然消滅のほうがあとまで引き、ゴールデンウィーク頃まで引きずることもある。さすがに夏期講習のころまでには、気持ちは完全に切り換わるが。

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