第17話 胸の鼓動

 アルが治癒室から出ると、一足先に治療を終えたリアが待っていた。


 リアは廊下の反対側に置かれている皮張りのベンチに腰掛けていた。気づいて顔を上げた。横にはアルの布袋が置いてあった。


 アルは、パートナーとなった女性種の姿を改めて眺めた。


 気の強そうな眉の下で紅い瞳が自分を見つめていた。白い肌と整った顔立ちは異性種としての魅力を備えている。長い艶のある髪が肩で前後に振り分けられ、鮮やかな紅い色が黒い求法院の制服に映えている。均整の取れた身体にも、揃えた脚を傾けて座る姿にもどことなく洗練された雰囲気があった。アルの生まれ育った島の女性種とは異なる趣きだった。成り行きはどうあれ、目の前にいる女性種が自分の調制士となった事実に実感が湧かなかった。


 何も言わないでいるとリアが声をかけてきた。


「傷は治った?」


 慌てて返事をして、ベンチへと足を運んだ。治癒室で相転儀による治癒を受けたので、傷とともに痛みも消えている。


「ごめん、リーゼリアさん。ハンカチ、処分されちゃった」


「いいわよ別に、それぐらい」


「…でも」


「気にしないの。あたしはあなたの調制士なんだから。何でもないの」


 朗らかな声を聞いてもアルの気持ちは晴れなかった。視線を落とし、ためらいを示しているとリアが言った。


「申し訳ないと思うなら、魔王になりなさい」


 アルは驚いて顔を上げた。リアがすました視線を向けていた。


「ま、あたしもハンカチ一枚で魔王になってもらえるとは思ってないわ。これから、あたしが提供するものの一部ってこと。そのためにあなたを選んだんだから」


 …ああ。そうだよね…。


 心が沈むのをアルは感じた。


 傍にいてくれるのは何がしかの感情のためではない。ただ、調制士としての義務だからだ。こうして付き添われているのも、手に巻いてくれたハンカチも全てが義務から生まれた行為だ。旅の果てに出会った人物が遠ざかったような気がしてアルは寂しく思った。


「…分かったよ、リーゼリアさん」


 気落ちした気分で声を返すとリアがいきなり立ち上がった。まなじりを吊り上げている。


「それはいいけど、アル」


「は、はい?」


 声に棘を感じたアルは動揺した。


「その呼び方やめて。これからずっと一緒にやっていくのに、そんな呼び方されてたら困る」


「そんな呼び方って、『リーゼリアさん』?」


「決まってるじゃない」


 憮然とした表情で言ってから、リアは表情を緩めた。


「あたしのことはリアでいい。リズって呼ぶ人もいるけど、あたしはリアの方が好き」


 リアが身を屈めて顔を近づけた。


「呼んでみて」


「リ、リア?」


「うん」


 嬉しそうにリアが笑った。アルの胸が一つ、大きく鳴った。無邪気で魅力に溢れた笑顔だった。アルは頬が熱くなるのを感じた。


「さあ、次は制服ね」


 アルの変調に気づくことなく、リアは身体を返すとベンチの上の布袋を手に取った。文礼室のある方角へ向かって歩き出す。


「どうしたの? 早く来なさいよ」


 廊下の先から声がかかった。アルは慌てて後を追った。


 駆け出した時も、胸の鼓動は足の運びのように速かった。

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