第16話 儀式の終わり

 苦しげなアルの声が聞こえた。きつく目を閉じて、眉間には深い皺を寄せている。苦痛に耐える表情だった。喘ぐような切れ切れの声が耳に届く。


 アルも同じ熱気を感じているはずだった。二人を包む熱は害を成すものではない。儀式の順当な進行を示していた。リアは熱とは別の高揚感を覚えた。頬が熱い。


 声を出すために息を一つ吸った。


「…もう…少しよ」


 口にした言葉は喉に絡んだ。アルが頷く。


 盟約の儀は、胞奇子と調制士の血を混ぜ合わせる文字通りの血の儀式だった。熱は血を介して魔力が互いの体内に侵入する際に現れる現象だった。


 本来、混合を前提としない魔力を交えるのは契約に強制力を持たせるためだ。身の内に溶け込んだ魔力は、互いが生存している間は何の不都合も生じない。しかし、一方が死を迎えた瞬間から残された魔力は異物に変わる。異物として認識された魔力は肉体や精神を蝕み、あるいは魔力に直接作用して衰えさせる。パートナーを失った者は協力者を失うだけでなく、半永久的な負荷を抱え込むことになるのだ。過酷な魔族の社会ではわずかな負の要素が生死を分ける元となるため、互いのために尽力せざるを得なくなる。盟約の儀は、パートナーとしての約定を結ぶと同時に忠誠を誓う儀式でもあった。


 熱気が猛威を振るって身体中を駆け巡り続けた。皮膚が張り詰めるような感覚が全身にあった。視界で部屋のともし火が揺れている。二人の間で行き交い、肉体の枠を越え出て巡り渡る魔力が外部にまで影響を及ぼしているのだ。力の激しいせめぎ合いの中にいるにもかかわらず部屋の内部は静かだった。自らの息遣いが耳朶に響く。内側から胸を叩く心臓の鼓動が狂おしい。


 内から身体を揺り動かす脈動と熱気に耐えていると唐突に動騒は収まった。燃え盛る火が水にかき消されたかのように瞬時に熱も消えた。同時に、身体中で感じていた圧力も消失した。


 深く、リアは息を吐いた。首筋と頬に熱の余韻が残っている。滲んだ汗が冷めていく感覚が肌にあった。儀式の終わりを悟った。


「大丈夫? アル」


「…うん」


 返ってきた声は生気に乏しかった。儀式の最中に味わった感覚が強烈だったためだろう。あらかじめ聞かされていたリアでさえひどく驚いていた。


 感慨のためか、汗に奪われた熱のためか、リアは一つ身震いした。


「離すわよ」


 断ってから手の平を外し、傷を眺めた。


 血は止まっていた。まだらな血の汚れに囲まれた傷は筋目にしか見えない。ひとまずは放っておいても構うまい。そうリアは判断した。


「傷を見せて」


 アルの手を取る。傷はまだ生々しかった。血が浮き出て、手首に向かって細い筋を引いている。いくつかは乾いていた。


「治癒室に行かないと」


 スカートのポケットからハンカチを取り出すとアルの手に巻いた。白い布地に染みた血が斑点をつけた。


「汚れちゃうよ」


「大したことじゃないわ。儀式は終わりよ」


 ハンカチに結び目を作ると、リアは祭壇の上に置いておいたナイフを取り上げた。手の中で元の姿に戻してポケットに仕舞った。ボタンは後で係の人間に新しく取り付けを依頼するつもりだった。事情は話せばいい。


 退出を促すとリアは入口に向かって歩いた。アルが遅れて続いた。


「あ、あの」


 声をかけられたリアは振り向くと、次の言葉を待った。


「君の相転儀って、何?」


 問われたリアは意味深な笑みを浮かべた。


「そのうち嫌でも分かるわ」


 それだけ言うと先に立って歩き、アルの荷物を手に取った。入った時と同じ要領で仕掛けを作動させ、扉を押し開く。


「まずは治癒室」


 笑みは親しみを含んだものに変わっていた。

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