第15話 ナイフ、呪文、そして熱

「ホントにいいの?」


 気弱気な目を向けたアルが問う。


 リアは硬い表情をした。興が醒めていた。気遣いされていると知ってなお、くどい態度に気分を害した。


「いいから、やりなさい。儀式にならないでしょ?」


 叱られたアルは哀しげな顔をして手を引いた。リアの手の平を見つめると恐る恐るといった態度で光のナイフを近づけた。


 リアは渋い表情で目を閉じた。


 まったく。広間の騒ぎでも思ったけど、情けないなあ。魔族なんだから、今までに一人や二人、ううん、十や二十は刺したことあるでしょうに。


 大げさでなく思った。特殊な能力を有する魔族は生まれ落ちた時から闘争を宿命づけられている。異能の生む精神の拡張。拡張した精神が駆使する異能。絡み合う要素は時として他者との不和を生じ、軋轢が存在を脅かした時、闘争は具現化する。相手の血を流した経験のない同族をリアは知らなかった。


 ―っ!


 目を閉じた姿のまま、リアはかすかに眉根を寄せた。手の平に痛みを感じたためだった。静かに目を開ける。


 右手を胸元に引き寄せたアルが見ていた。リアは左手を持ち上げて手の平を見つめた。


 皮膚に白い筋が引かれているのが分かる。細いので見落としそうだ。血が出ていないのは傷が浅いせいだろう。


 …どうしよう。やり直しは不吉だっていうし。


 どうしたものかと思案していると筋から血が滲み出してきた。目的は達せられそうだった。


 「…いいわ。左手を出して」


 アルに向かって言った。今度はリアの番だった。


 リアは制服の胸元のボタンを一つ取った。レガートと向き合った時に使おうとした場所だった。胸中を淡い感情がすり抜けた。


 ボタンは黒色をした金属製だ。リアは相転儀を使って両刃のナイフに変形させた。リアの相転儀は対象に作用して、形だけでなく、量的、質的に変異を起こす。アルのように相転儀をそのまま転用できないので生成したナイフを使うことにしていた。


 見ると、アルが手を差し出しながら苦い表情をしている。これから起こる苦痛を予期した顔だった。


 リアは片眉を上げた。


「そんなに怖がらなくても、祭壇に縫いつけたりしないわよ」


 アルの表情が深刻さを増した。リアはため息をついた。


「少しだけ痛いけど、我慢なさい」


 リアは言葉を口にするなり、ナイフの刃をアルの手の平に滑らせた。間を空けるとかえって怖がらせる。リアなりの判断だった。


「っ!」


 かすかな苦痛の声をアルが口にした。指を折り曲げ、震えの見て取れる手に赤い筋ができていた。筋目から出た血が珠を作った。


「手を合わせて」


 左手を起こしてリアは祭壇の上に掲げた。アルが傷口を向けながら同様に手の平を近づけた。祭壇の上で二人の手の平が合わさり、合間から血が滴り落ちて祭壇の上に痕をつけた。


「呪文は覚えてる?」


 アルが頷く。


「言って」


「汝、命の火、燃え尽きるまで我に力与えることをここに約するや」


「諾」


 答えを返すと同時に合わせた手の平に熱が生じた。熱は手の平を起点として急速に腕を進み、肩部を経て胸に達した。心臓が熱い。心臓を満たした熱は勢いを増し、首や右腕、下腹部に到達した。さらなる勢力を求める熱が頭や指先、足を目指す。熱気が身体全体を浸していく感覚を覚えながら、リアは同じ呪文を口にした。


「汝、命の火、燃え尽きるまで我に力与えることをここに約するや」


「諾」


 アルが答えると熱量が増大した。リアは細胞の一つ一つが炙られているかのような感覚に唇を引き結んで耐えた。

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