第14話 祭壇

 内部は暗かった。リアは文礼員と同じように何かを払うような仕草をした。四方の壁に灯が燈る。


 儀典堂の中はあらかじめ知らされていた通り、何もない空間だった。通路と同様に石を敷き詰めた床の上に祭壇がただ一つ置いてある。黒色の金属でできた祭壇は部屋の中央に据えてあり、人の腰ほどの高さを備えていた。四角く鋭利な直線で構成された姿に脚はなく、床から突き出ているかのようだ。側面には曲線と直線が複雑に絡み合った陣魔紋が描いてある。祭壇の陣魔紋は微細な魔力を供給し、儀式の進行を補助する。


 祭壇の周囲は広い空間を設けての石積みの壁だった。広さも高さも十分過ぎるほどにあり、あまりに大きく何もない空間が重みとなって場を支配していた。灯火は影を残しながらも部屋全体に明るみをもたらしている。階段や通路と同じ相転儀を応用した灯りだった。空気には匂いも息苦しさもない。地下深く密閉された場所ながら、相転儀を使うことで新鮮な空気を確保しているのが分かる。


 後ろにいたアルに扉を預けるとリアは祭壇に近づいた。硬い靴の裏側が床を叩く音が響いて聞こえた。


 祭壇の横に立ったリアは様子を窺った。方形をした平らな上面にも、陣魔紋のある側面にも血の痕跡はなかった。微細な匂いも残っていない。文礼員たちは惜しみない作業をしてくれたようだった。


 振り返ってアルに声をかけた。


「どうしたの? 入ってきなさい」


「う、うん」


 アルが緩慢な動作で中に入り、慎重過ぎるほどの態度で扉を閉めた。気後れしているのが明白だ。


「荷物は壁際にでも置いておくといいわ。ここにはあたしたちしかいない」


 近づきながら言うとアルは無言で従った。緊張が口を重くしているのかもしれない。


 扉に近づき、リアは内側にある四角く浮き上がった場所に手を当てた。微量な魔力を送り込むと音も無く扉の合わせ目が消える。稀に見かける秘匿のための仕掛けだった。表も同様の状態になっているはずだ。これで儀式の間に邪魔は入らない。


 もう一度、祭壇に目を向けた。暗がりを残す部屋の中の祭壇は重々しく見えた。これから行なおうとしている儀式の厳粛さのためなのか、それとも未知の領域に踏み込む恐れのためなのかリアには分からなかった。


「さ、やるわよ」


 自らを鼓舞するかのように言って、足を踏み出した。アルが遅れてついて来る。


 リアが入口の側から見て左に立つと推し量ったアルが右に立った。


「手の平に傷をつけるんだよね?」


 不安そうな目で尋ねてくる。気持ちを和らげようとリアは微笑みを送った。


「大丈夫よ。間違っても死んだりしないわ」


 リアの心の中にも不安がないわけではなかった。儀式のやり方は知ってはいても実際に行なうのは初めてだ。儀式にリハーサルは存在しない。


 そんな状態であってもリアは気丈に振る舞った。儀式を先導するのは調制士の役割だった。そうした点も含めて調制士は試練が始まる前から召集され、求法院でレクチャーを受ける。胞奇子と出会う前から調制士の仕事は始まっているのだ。


「まずはアル、あなたからよ」


 アルが頷く。


 儀式自体はそれほど複雑なわけではなかった。互いの左手に相転儀を使って傷をつけ合い、血を混ぜ合わせるだけだ。


 リアは手の平を上にして左手を祭壇の上に置いた。


「訊いてなかったけど、微妙なコントロールはできる?」


「それは大丈夫だけど…」


「? 何?」


「何でもない」


 首を振るアルをリアは深く追及しなかった。


「やり過ぎないでね」


「う、うん」


 アルが右手の人差し指を伸ばして見つめた。白い光の点が指先に生まれ、膜のように先端を包み込む。光の集合はやがて細く鋭く形を変えた。小さな光のナイフができ上がっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る