第42話:鈴村さんは胸の内を語る
***
部室の扉を開けた。中には誰もいない。
やっぱり鈴村さんはまだ来てないようだ。
三ツ星が追いついて、ちゃんと話をできてたらいいなぁ。
俺は部屋の中央にある打合せテーブルのパイプ椅子をひいて座った。部室内を見回す。
ここが鈴村さんが二年半を過ごした部室か。きっと彼女のたくさんの思い出や想いが詰まった場所なんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、しばらく室内のあちこちを眺めていた。
しかしやがてそれにも飽きて、背もたれに背を預けて、天井を仰ぎ見る。
「はぁ、疲れた……」
思わずため息が口をついて出た。
その時、部室の扉がガラガラと鳴って開いた。
鈴村さんだ。
そのまま帰っちゃうかもと思ったけど来たんだ。
俺が部室にいるのを知ってるからだろう。
やっぱり律儀な子だな。
顔を見ると、ちょっと疲れた感じではあるけど、穏やかな表情をしてる。
俺が椅子から立ち上がると、鈴村さんはドアを閉めてゆっくりと歩いて近づいてきた。
三ツ星とは話せたのかな。
「桜木君」
「は、はい!」
突然鈴村さんが話しかけてきたから、思わず姿勢を正してしまった。緊張する。
鈴村さんはちっちゃいから、俺を少し見上げた体勢になってる。
「ちゃんと告白しました。でもフラれちゃいました」
「あっ、そうなんだ……」
目の前で苦笑いを浮かべる鈴村さん。
俺が建物の陰で見ていたことは気づいているのかいないのか。それがわからないから、どう返答するか迷う。
「でもその人は、誠実に私の気持ちを受け止めてくれました。いたたまれなくなって逃げ出した私を、わざわざ追いかけてきてくれました」
──あ。三ツ星はちゃんと追いつけたんだ。良かった。
「そして、自分を好きになってくれてありがとうって言ってくれました。でも自分には好きな人がいるから、私の気持ちには応えられないって……ゴメンって、頭を下げてくれました。ものすごく真剣に接してくれました」
「そ、そうなんだ。残念だったね……」
三ツ星はかなり誠実に対応してくれたようでホッとした。
三ツ星には好きな人がいる。一ノ瀬さんのことだろうか。
「いえ。ちゃんと告白することができて良かったです。すごくスッキリしました。全部桜木君のおかげです」
「いや……」
鈴村さんはニコリと笑った。
確かにスッキリとした感じではある。
でも鈴村さんがフラれたのは事実だし、俺の口からは良かったねなんて言えない。
だからどう返答したらいいかわからない。
「桜木君……ホントにありがとう」
「鈴村さん……」
鈴村さんはメガネの奥から俺の顔をじっと見つめている。
俺も鈴村さんの顔を見つめた。
そしたら笑っていた鈴村さんの顔が、徐々に情けなく歪んできた。泣きそうなのに、無理に笑いを作っているような顔。
それがみるみるうちに、さらに泣き顔になっていく。
「さ、桜木君……」
「ん? どうしたの?」
「私……私……告白したことを後悔してません。告白してホントにスッキリしたし、嬉しいんですよ」
鈴村さんはどんどん泣き声になっていく。
泣きながら嬉しいなんて言葉を言っている。
とうとうつぶらな瞳から、ボロボロと涙があふれ出した。
「あれ? 私おかしい。嬉しいはずなのに、なぜか涙が止まらないんですよ……えへへ、ホントに私、変だな……ごめんね桜木君。ごめんね……」
鈴村さんの涙は止まらない。
顔をくしゃくしゃに歪めて、それでも無理をして笑顔を作って。
「鈴村さん。いいよ。思いっきり泣きなよ。その方がスッキリするよ」
「うん。ありがとう桜木君。ちょっと胸をお借りしてもいいですか?」
「え? 胸? あ、ああ。いいよ」
何のことかわからなかったけど、否定したり訊き返すのは嫌だったから、そう答えた。
「ありがどうごじゃいまずぅ」
鈴村さんは鼻をぐずぐず言わせながら、眼鏡を外して一歩前に出た。そのまま顔を俺の制服シャツの胸に押し当てた。そして俺の胸の中で、わんわん泣き出した。
「ああん、やっぱりフラれちゃったよぉ……」
鈴村さんの細い肩が震えている。
身体の横で伸ばした鈴村さんの手が震えている。
俺の胸に押し当てた鈴村さんの唇が震えている。
俺はあまりに鈴村さんが愛おしくて──つい鈴村さんの小さな肩に両手を当てて、軽くキュッと握りしめた。
鈴村さんは拒否することもなく、俺に肩を握られたまま、そして顔を俺の胸に押し当てたまま、しばらく泣き続きていた。
──どれくらい時間が経っただろうか。
最初は激しく嗚咽していた鈴村さんも、時が経つにつれて少し落ち着いてきた。そしてやがて泣きやんだ。
彼女はゆっくりと俺の胸から顔を離す。
そして二、三歩後ずさって離れた。
「ごめんなさい桜木君」
「いや、いいよ。気にすんな」
「だって桜木君のシャツが、私の涙と鼻水でべとべと……」
情けなく眉尻を下げた鈴村さんは、遠慮がちに俺の胸を指差した。
あらら。確かに俺のシャツの胸は、はっきりと濡れている。
「いや、全然大丈夫だ!」
鈴村さんの涙なら、全然平気だし、鼻水だって!
……あいや、さすがにそれはちょっと汚い気もするな。あはは。
でも鈴村さんはすっかり涙も止まったようで、少し微笑んでる。落ち着いたみたいで良かった。
「ありがとうございます。桜木君の胸、温かかったです」
「それはどうも」
あまりに恥ずかしくて、なんて答えたらいいのかわからなくて、間抜けな返事をしてしまったよ。アホだな俺。
「あの……ところで桜木君。桜木君が彼……三ツ星君に、誠実に対応しろよって言ってくれたんですよね」
「え? あ、いや。何の話かなぁ」
なんで鈴村さんは、そんなことを知ってるんだ?
「ごまかさなくてもいいですよ。私が逃げ出した時、桜木君はあの場所にいたし……」
あ、やっぱりバレてた。
覗きみたいなことをして、鈴村さんに申し訳ないし恥ずかしい。
「それで三ツ星君がすぐに私を追いかけてきて、話をしてくれましたし。なんでわざわざ追いかけてくれたのか訊いたんです。そしたら彼は言いました」
え? なにを?
「俺は鈴村さんの気持ちをろくに考えもせずに、軽く扱うような態度で悪かった。それを『友達に』ちゃんと誠実に話をしろって怒られて、ようやく気付いたって。そんなこと言ってくれたんです」
「え? 友達?」
「はい。あの短いタイミングでそんなことを三ツ星君に言ってくれるのって、桜木君しかいませんよね」
「あ……うん。ごめん。差し出がましいことをして」
「いいえ。おかげで誠実な三ツ星君を見ることができました。だからフラれたけど、もっと三ツ星君を好きになっちゃいました。えへ」
あ……
そっか。鈴村さんは三ツ星にフラれたけど、今の言葉は、俺も完全に鈴村さんにフラれたってことだな。
鈴村さんの『カノかく』は、ゼロパーセントになりましたっ、ってことだよとほほ。
でもまあいっか。俺もスッキリした気分だ。
「そっか。いつか三ツ星が振り向いてくれる日が来るといいね」
「はい。でも三ツ星君が私に振り向いてくれる日が来なくてもいいんです。私の気持ちを三ツ星君が知ってくれたってことが嬉しいし、たとえ片想いでも、人を好きになるって素晴らしいなぁ、なんて思ってます」
今度は鈴村さんは、無理に笑う感じではなくて、素直な笑顔を浮かべた。
ホントに鈴村さんって、なんて
「うん。鈴村さんの笑顔を見てると、俺も嬉しくなってくる」
「はい。それもこれも桜木君のおかげです。本当にありがとう。これからも文芸部の仲間として、よろしくお願いしますね」
「ああ。俺の方こそ、よろしくお願いします」
お互いにそう言って、笑顔を交わし合った。
だから、きっとこれでよかったんだよな。
俺は心からそう思った。
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