異変

 どんどんどんと部屋のドアが派手にノックされていた。

「すまん! クリス殿はこちらか?」

 最近聞いた声だ。そう、この声は……。

「わが名はリン、リン・マックールだ! 相談したいことがあって参った!」


 ひとまず顔をぬぐい、眠気を押しやる。身支度は……昨晩は着替えもせずに眠りこけていたので、軽く服を直すだけとした。


「今開けます」

 周囲から苦情が来ることは確実だろうと思われる騒ぎを考えると若干憂鬱な気分になりながらドアを開けた。


「すまん、困ったことが起きた。頼れる者に心あたりがなく、昨日会ったばかりの貴殿のもとに来るしかなかったのだ」

「……ここじゃなんですから移動しましょうか」

 他を当ってくれとドアを閉める選択肢もあったはずだ。

 けど、リンの表情は切迫しており、ただ事ではない雰囲気だった。

「ああ、すまぬ。まずは騒がせた非礼を詫びよう。この通りだ」

 本当ならこんなやりとりをしている場合ではない。それでも礼節を守ろうとする彼女に少し好感を持った。


 黒龍亭はギルドから歩いて数分の位置にある。その立地の良さから定宿にしている冒険者は多く、中堅どころが多かった。

 それ以上のランクになると、パーティ単位で家を買うことが多い。毎日宿代でかかる固定費を削減できることや、機密を保てることが大きい。


「あ、クリス君。ちょうどよかったわ」

 ギルドの扉をくぐると、チコがやってきた。

「ん? 何かあったの?」

「ええ、ダンジョンの第二層に中間層から上がってきたトロールが迷い込んだそうなの」

「討伐隊が出たんじゃない?」

 トロールは駆け出しの冒険者にはきついが、中堅クラスなら問題なく倒すことができる。それにこういったはぐれモンスターはよくある話ではあった。

「出たわよ。1レイド」

「レイド!?」

 パーティと言うのはだいたい6人くらいで構成されることが多い。そこにサポートメンバーとして雑用係の荷物持ちを加えたりする。

 レイドはそのパーティを3つ以上まとめたものだ。最低でも20人ほどの冒険者がまとまって出撃したことになる。

「変異種が出たのよね」

「ああ……そういうことか」

 話していると、リンが僕の服の袖をつまんできた。


「ああ、ごめん。そっちで話を聞こうか」

「すまない」

 リンは先に立って歩きだす。その先には先日あった彼女のパーティの面々がいた。

 目が合うと彼女らはぺこりとお辞儀してくる。

「……ほんと、何があった?」

「昨日はいなかったけど、もう一人メンバーがいるんだ」

「ああ、そんなこと言ってたね」

「実は、さっきのはぐれを見つけたのは私たちなんだ。ただのトロールなら勝てると思ったんだが……」

 リンが沈鬱な表情をしてうつむいた。何となく話が見えてきた。


「わたしたちを逃がすためにカレンが囮になったんだ」

 カレンとはこの場にいないメンバーの名前だろう。

「あの、馬鹿!」

 リンがテーブルに拳を叩きつける。目には涙が浮かんでいた。


「じゃあ、行こうか」

「え?」

「まだ生きてるんでしょ? そのカレンって人」

「あ、ああ」

「じゃあ、助けに行かないと、でしょ?」

「助けてくれる……のか?」

 リンは半ば呆然として僕を見ている。

「ごめん、先に言っておく。お金はない」

 クレアがきっぱりと告げてくる。

「知ってる」

 目的は金じゃない。

「じゃあ、なぜ?」

「うん、知っての通り、僕は先日パーティから抜けてね」

「首になったんでしょ。うわさは聞いてる」

 その一言にぐっさりとダメージを受ける。

「じゃあ、うちに入ればいい!」

 食い気味にリンが言ってきた。僕はなるべく怪しく見えない様に笑みを浮かべる。

「そうだね、そうしてもらおうかな」

「え?」

 リンは驚きの表情を浮かべる。まさか承諾されるとは思っていなかったようだ。


「けど僕の力量は昨日伝えた通りだ。それでもなぜ僕を頼ってきた? 縋るには細すぎる藁だと思うけどね」

 僕の戦闘能力は皆無で、ゴブリン一体相手に死闘を繰り広げられるレベルで、要するに一般人並みと言うわけだ。


「はっきり言おう、クリス殿の知識がほしい。貴方は二十層までダンジョンを踏破した経験がある。であればトロール変異種との戦いの経験があると思ったのだ」

「まあ、あるよ。パーティのスコアで言えば、討伐数は10を超える」

「ならば、話は速い。私たちの指揮権を貴方に委ねる。適切と思う指示を出し、トロールを倒す手助けをしてほしいのだ」

「……誰から聞いたんだい?」

「それは言えない。貴方はすでにお見通しだろうが」

「いいでしょう。その話受けます。今回はお試しで、成果次第で僕を正式にメンバーに加入させるってことでどうかな?」

「願ってもない話だ」

「じゃあ、行こう。大丈夫、基本的な装備はここにある」

 ジャケットの胸ポケットに魔力を通すと、目の前のテーブルに山盛りのサンドイッチが現れた。

「……マジックバッグ!?」

 黙って成り行きを見守っていたガラテアが目を光らせる。

「メシ!」

 シーマが別の意味で目を光らせる。

「お腹すいてるんでしょ。食べていいよ」

 全員の手が目にも止まらぬ速度で動いた。何しろ飲食もできるスペースで、彼らの前に置かれていたのは水が入ったジョッキだけだった。

 ギルドの食事は格安で提供されている。冒険者がいなければこの街は成り立たないから、ギルドの試験に合格した者には相応の優遇が与えられているというわけだ。


「ご馳走様でした。クリス様。あたしの忠誠を貴方に捧げる」

 シーマが僕の前に膝をつく。冗談かと思ったが彼女は本気のようだった。

「……本気?」

「ああ、貴方について行けば、このような美味しい食事を得られるのだろう?」

「気づいた?」

「これは貴方の手作りだ。最高だった……」

 その言葉にほかのメンバーの目が輝く。

「わ、わたしは使えるべき主がいるからな!」

 リンが動揺を隠すように叫ぶ。

「えーっと、わたくしは神に仕える身ですので……ちなみにクリス様にお仕えしたらいかほどのお給金がいただけるのでしょうか?」

「クリス殿がいかなる魔道具を持っているのか興味が尽きません!」

 クレアとガラテアは正直に己の欲望をさらけ出していた。


「じゃあ、パーティを結成しようか」

 僕はメニューを開き、彼女たちのパーティに加入した。

 一抹の不安はあったが、事態は急を要する。僕は先頭に立って速足でダンジョンの入口へと向かった。

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