食事会

「じゃあ私次の講義があるのでそろそろ行きますね。悠斗先輩のおかげで少し元気になれました。ありがとうございました」

「うん、じゃあまた今度」


 莉奈は立ち上がり、俺に一礼すると歩いて行った。


「莉奈には悪いことしちゃったなぁ……」


 莉奈の姿が見えなくなったところで俺は一人呟いた。

 テニスがトラウマになり、それでサークルに来れなくなったというのは想像の範囲内だったが、俺たちに気を使わせてしまって、それが彼女を苦しめていたとは思ってもいなかった。

 

 別に俺たちのことを気にする必要もなければ、俺たちだってそんなこと気にしていないのに。

 

 そう思うけれど、莉奈は礼儀正しくて律儀な子だから、責任を感じてしまわないように俺たちがフォローしてあげるべきだったのかもしれない。

 

 だが、それを今更後悔しても仕方ない。それよりトラウマの克服をフォローすると約束したのだから、それに全力を尽くすことの方が大事だ。


 俺は特に莉奈のことを気にかけていた山本とサークルの会長に、今日のことをLINEで報告し、また、莉奈のトラウマ克服に協力してくれるよう依頼した。

 そしてベンチから立ち上がり、少し早めを昼食を取りに食堂へ向かった。





 その日の夜、バイトを終えた俺はバイト先からの帰り道の途中、信号が赤で立ち止まった時にスマホを見て、莉奈からLINEが来ていたことに気づいた。


「来週末にあるサークルの親睦会、悠斗先輩行くんですね。彼女さんいるのに大丈夫なんですか?」

「うん、許可は取ってるから大丈夫だよ。莉奈も行くの?」


 返信を打ったところで信号が青に変わったので、スマホをズボンのポケットにしまって歩き出した。


 俺と夢乃はお互いに過度の束縛は嫌いだから、サークルの親睦会など、異性と二人きりになることのないものは基本的に参加自由にしている。

 参加自由と言っても、二人とも一応許可を取るようにしているけれど。

 

 次にスマホを見たのは家に着いてからで、既に莉奈から返信が来ていた。


「はい! 香住ちゃんが行くって言ってたので私も行くことにしました! ところで龍平先輩も来るんですか?」

「いや、山本は来ないよ。その日はバイトがあるみたい」

「それは残念です……」

「せっかくの機会だからこれまで話したことのない先輩と話してみたら? 面白い人たくさんいるし」


 莉奈の性格なら誰とでもすぐに打ち解けられるだろう。そうして親しい人を増やせば、トラウマの克服に協力してくれる人も増えて、あっという間にトラウマを克服できるかもしれない。


「そうですね。色んな人と話してみます! じゃあ悠斗先輩、おやすみなさい!」

「うん、おやすみ」


 時間を確認すると、10時半を少し過ぎたところだった。

 

 バイトに行っていたから夕食がまだで、早く食事を取れとお腹が大きく音を鳴らして主張してくる。それに明日は2限からだが、夢乃と駅で待ち合わせて一緒に行く約束をしているから、朝早く起きて時間に余裕をもっておきたい。


 俺は手早く作れるパスタの調理に早急に取り掛かった。


***


 とある土曜日の暮れ方。西城大学前駅前にある居酒屋に50人ほどの大学生が集まっていた。


 今日はテニサーの親睦会。

 親睦会は居酒屋を貸し切って行うので、この居酒屋は今日は完全に俺たちのために開けているようなものだ。


 今は店内で席に着いて時間になるのを待っている。決められた開始時刻まではまだ10分くらいあるが、参加者はほぼ全員既にいるみたいだから少し早く始めるかもしれない。


 ざっと参加者を見ると主に1、2年生が多く、学年が上がるにつれて参加率が下がっているようだった。

 

「こんにちは、悠斗先輩」


 適当に席に着いたら周りがあまり親しくない先輩ばかりで、スマホをいじって始まるのを待っていたら、空いていた隣の席に莉奈が座った。


「こんにちは。芹澤さんはどうしたの?」

「香住ちゃんならあそこで他の1年生と話してます。私もさっきまでそこにいたんですけど、悠斗先輩が暇そうにしてるのが見えたから来ちゃいました」


 そう言って莉奈が指さした方を見ると、6人くらいが一つのテーブルに集まっていた。

 

「お気遣いありがとう。でも、一人こっちに来ちゃって良かったの?」

「大丈夫ですよ。私が悠斗先輩と話したかったからってだけじゃなくて、皆から悠斗先輩を連れてきて、って頼まれてるので」

「え、なんで?」

「ふふっ、悠斗先輩が人気だからですよ。私を助けてくれたことで1年生の中で先輩の株が上がったんです。さ、行きましょ!」


 そう言うと莉奈は立ち上がり、俺の腕を掴んだ。そして1年生の集まりの方へ俺を連れて行こうとした。


「分かった分かった。行くからちょっと落ち着いて」

「あ、すみません……強引過ぎましたよね」


 莉奈は握っていた俺の腕を離した。


「あぁごめん、別に怒ってる訳じゃないから大丈夫だよ。ただちょっと驚いただけ」


 莉奈はしっかりと自分を持ってる子ではあるけど、普段こんな風に強気な行動に出たことはなかったから意外に思った。トラウマを克服しようとする過程で行動力が増したということなんだろうか?


「悠斗先輩連れてきたよ~」


 莉奈に連れられて1年生の集まりへ行くと、莉奈がそう言った瞬間に彼らは一斉に俺の方を向いた。


「浅田先輩ここへどうぞ!」

「あぁ、ありがとう」


 その中の一人――島崎君だったかな――が隣の椅子を引いて勧めてくれたので、そこに座った。すると莉奈は俺の隣の席に腰を下ろした。


「実は前から――」

「じゃあ時間になったんで始めま~す」


 島崎君が話し掛けてきたのと同時に会長が挨拶を始めてしまった。


「まずは皆、親睦会に来てくれてありがとう! 特に1年生は仲のいい人がまだ少ないかもしれないけど、是非とも今日学年関係なく多くの人と仲良くなっていってほしい。じゃあ乾杯といこうか。皆手元にお冷があると思うからそれを持ってもらって…………乾杯!!」


 会長の乾杯の音頭をきっかけに、各々周囲の人と乾杯をした。


「さっき何か言おうとしてたよね? 何だった?」

「あ、はい。浅田先輩すごい強いのでコツとか色々聞いてみたかったんですけど、なかなか機会がなかったので、こうして話せて嬉しいです!」


 こんな感じで一通りその場にいた1年生から自己紹介を兼ねて挨拶をされた。彼らにはテニスが強くて憧れるとか、新歓大会の時の振る舞いがかっこよかった、などと称賛され、尊敬の眼差しを向けられた。

 こんなにもべた褒めされるとちょっと照れてしまう。


「あ、そうだ。悠斗先輩お酒飲みますか? 確か悠斗先輩はもう飲めましたよね?」


 1年生の自己紹介が終わったところで、莉奈がお酒を勧めてきた。


「うん、俺はもう飲めるけど、この中で一人だけ飲んでたらなんか悪いからいいよ」

「そんなの大丈夫ですよ。悠斗先輩、私たちのことは気にしないでください」

「そうですよ。浅田先輩に遠慮されちゃったらむしろ俺たちの方が申し訳ないっすよ」


 断ろうとしたが、1年生に熱心に勧められたから頂くことにした。


「じゃあ飲もうかな」

「生ビールでいいですか?」

「うん」

「すいません、生ビール1つ!」


 島崎君が注文を取ってくれた。

 少しすると机にビールが満杯に入ったジョッキが運ばれてきた。それから莉奈の提案でもう一度乾杯をした。


「皆、俺に何か聞きたいことがあったらいくらでも答えるよ」

「じゃあ私1ついいですか?」

「うん、いいよ」

「前に莉奈ちゃんから浅田先輩は高校の時に全国大会に出たって聞いたんですけど、全国大会の話を聞きたいです!」

 

 それから俺は1年生からの質問に次々と答えていった。





「うぅ……ちょっと飲み過ぎたな」


 親睦会が始まってから2時間ほどが経ち、俺はかなり酔いが回っていた。1年生と一緒にいる時に、彼ら(特に莉奈)がどうぞどうぞとジョッキが空いては追加のビールを勧めてきたものだから、気づけば結構な量飲んでしまっていたのだ。


 1年生の皆は今はもう散らばってそれぞれ先輩たちと談笑している。俺も他の2年生や先輩たちと飲みながら会話していたのだが、飲み過ぎて頭が痛くなってきたため、今は一人で椅子に座って休憩しているところだ。


 あぁ、頭が痛い。


 少しでも早く酔いを醒まそうとコップに入れた冷水をゴクリと飲み干す。

 そして注ぎ足そうと机の上に置いてある容器を持ったが、空だった。


 マジか……。


 店員に容器の交換を頼むか、水が入っている別の容器を探さないといけないけれど、今はちょっと頭痛がひどくて動きたくない。


 困ったなぁ……。


「悠斗先輩大丈夫ですか?」


 すると、タイミング良く莉奈が俺のところに来た。


「ちょっと頭痛がね……。悪いんだけど、水のおかわりをもらってきてくれない?」

「水ですね、分かりました」


 莉奈は店員のところへ行き、グラスをもらって俺のところに戻ってきた。


「お待たせしました」

「ありがとう」


 早速グビグビと飲む。だが、何か違和感があった。


「あれ、気のせいかな? これアルコール入ってる?」

「何言ってるんですか? ただの水ですよ。悠斗先輩飲み過ぎておかしくなっちゃったんじゃないですか?」

「あぁ、そうかも」


 これが俗に言うお酒の失敗ってやつか。まさか飲めるようになってこんなすぐにやってしまうとは……。

 少なくとも後輩、特に莉奈の前で吐いたりしたくはないなぁ。


 水を大量に飲んでも頭痛が良くなることはなくむしろ悪化していく。

 莉奈が隣にいるから、何か話してあげようと思うけど頭が回らなくて話す内容が決まらない。それに心なしか目の焦点が合わなくなってきた気がする。


 しばし無言の時間があって、莉奈が口を開いた。


「ねぇ悠斗先輩。先輩と彼女さんが付き合うまでの話を聞いてもいいですか?」

「別にいいけど、何も面白いことはないと思うよ」

「大丈夫ですよ。私はただ悠斗先輩がどんな恋愛をしてるのか気になっただけなので」


 そういえば夢乃と付き合うまでの話を他人にするのはこれが初めてだな。こんな話聞きたいと思う人は早々いないから当然かもしれないけど。

 やっぱり彼女との話を他人にするのは惚気話じゃなくてもちょっと恥ずかしいな。


「前にも言ったと思うけど、夢乃は同じ学部で、一番最初の授業の時にたまたま隣の席になって――」


 こうして俺は莉奈に夢乃との話をしたのだが、途中から意識がぼんやりとしてきて、そのままプツンと途切れた。


 


 


 




 





 







 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る