莉奈の決意

「莉奈久しぶり。最近サークルに来てなかったから心配してたけど、ひとまず元気そうで良かったよ」

 

 後ろから声を掛けてきたのは悠斗先輩だった。


 え、悠斗先輩⁈

 

 驚いて振り向くと、悠斗先輩は安堵の表情を浮かべて立っていた。

 久しぶりに悠斗先輩の姿を間近で見て、その声を聞いて私はこの上ない充足感に包まれた。けれどすぐに、悠斗先輩のことは諦めなきゃ、という義務感に駆られた。


「ごめんなさい」


 その結果、悠斗先輩にどう接したらいいのか分からなくなって、私は逃げた。




 

 悠斗先輩に追いつかれたくなくて、とにかく長い距離をがむしゃらに走り、大学構内のよく知らない、多分構内の端っこの方に辿り着いた。

 乱れた呼吸を歩いて整えているとベンチを見つけたので、そこに腰を下ろした。


 呼吸は正常な状態に戻ったけど、走ったからなのか、はたまた悠斗先輩に会ったからなのか相変わらず心臓の鼓動が速い。

 どちらもなのだろうけど、後者が主な理由だと思う。


 はぁ…………これからどうしよう。


 私はため息をついた。つい逃げてしまったおかげで色々面倒なことになった。


 逃げたのは私が抱えている葛藤が原因だけど、それを悠斗先輩が知る由もないから、先輩は今頃困惑しているだろう。本当に申し訳ない。


 あと、相手が私の連絡先を知らない人ならともかく、悠斗先輩は私のLINEを持っているから、一体どうしたの? と聞かれるかもしれない。その時になんて答えたらいいのか分からない。

 

 先輩には彼女がいるけど、先輩のことが好きになってしまって、その想いを抑えようとしても上手くいかなくて、そんな時に会ったからどう接したらいいのか分からなくなって逃げた、なんて正直に言える訳がない。

 かと言って、言い訳しようにもちょうどいい言い訳が思いつかない。


 困ったなぁ……。


 長い間頬杖をついて悩んでいた。そうしたら段々自分の馬鹿さ具合に腹が立ってきた。


 女子受けの良い対応をさらっと出来て、あんなに優しい人に彼女がいない訳がない。よく考えれば当然だ。

 なのに、ずっと自分にばかり優しくしてくれるからって恋に落ちて、少しずつアプローチしていけば付き合えると思い込むなんて軽すぎる。悠斗先輩は本当にいい人だったから良かったけど、ただの女好きだったら遊ばれて、飽きたところで捨てられていたに違いない。


「もう嫌だ……」


 ぽろりと涙がこぼれた。最近簡単に泣き過ぎだよ、私――。


 そんな時だった。


「大丈夫?」


 聞き覚えのある声。聞くと落ち着く声。

 姿を見なくても誰か分かる。


 もう! 来ちゃダメですよ悠斗先輩……。


「とりあえず涙拭きなよ」


 そう言って先輩はハンカチを差し出してきた。


 今ここで先輩に優しくされたら、先輩のことをもっと好きになってしまう。だから逃げたかったけど、私にはそんな気力はもう残されていない。

 私は素直にハンカチを受け取った。


「さっきは急に走って行っちゃうからびっくりしたよ」

「本当にごめんなさい。別に先輩が悪い訳じゃなくて、私の問題なんです」

「全然謝らなくていいんだよ。それより一体どうしたの? 俺で良ければ聞くよ」


 私は今、悠斗先輩に甘えるべきではないってことは分かってる。でも、これ以上我慢することは出来なかった。


「GW明けてからサークルに行かなくなって、悠斗先輩にLINEで聞かれた時に怪我がまだ治ってないから行かなかっただけって言ったじゃないですか。とっくに分かってると思いますけどそれは嘘で、実は私テニスがトラウマになっちゃったんです。ラケット握ると震えが止まらなくて……」

「最後までちゃんと聞くし、時間も十分にあるから無理しなくてもゆっくりでいいよ」

「すみません。それで毎日1回はラケットを握ってみるんですけど、なかなかトラウマを克服できなくて、それでずっとサークルに顔を出せなかったんです。さっき逃げたのは、せっかく悠斗先輩や龍平先輩に熱心に指導してもらって、まともに打てるようになって、新歓大会でもあんなに勝ち進むことが出来たのに、その矢先に行けなくなったことが申し訳なくて、悠斗先輩にどんな顔を見せればいいのか分からなかったからなんです」


 本当のことを全部言ってしまいたかったけど、悠斗先輩のことが好きだということはやっぱり言えなかった。


「そっか。俺の方こそごめん。俺らのことを気にして莉奈に辛い思いをさせちゃってたなんて知らなくて」

「そんな、謝らないでください! 悪いのは私なんですから。それに私、テニス自体は変わらず好きで、栗原君に何もさせてもらえないまま負けたのが悔しくて、もっと強くなりたいと思ってます。悠斗先輩や龍平先輩、サークルの皆のことも好きで、早くサークルに顔を出したいと思ってるんです。なのに行けないのが辛くて、悔しくて……」


 すると悠斗先輩は私の頭を撫でて、こう言った。


「一人でよく頑張ったね。これからは俺や山本、ううん、サークルの皆で莉奈が少しでも早くトラウマを克服して、またテニスが出来るようになるために協力するからさ、もう一人で抱え込もうとしなくていいよ」


 そうだ、サークルには悠斗先輩だけじゃなくて龍平先輩に南先輩、瑠香ちゃんに香住ちゃんもいる。

 悠斗先輩の話を聞いて私はハッとさせられた。


 これまで私は悠斗先輩のことしか頭になくて、それでサークルイコール悠斗先輩と考えてしまっていた。だからサークルには悠斗先輩以外にも相談できる人はいるのに、彼らのことを忘れてサークルそのものを遠ざけて、一人で抱え込んで苦しんでいたのだと気づいた。


 一人で抱え込まなくても相談すればいい。


 そして何より、悠斗先輩がいる。彼女としては見てくれていないと思うけど、少なくとも大事な後輩としては見てくれている。


 なんだか急に心が軽くなったような気がして、気づけば涙が溢れ出ていた。


 しばらく私は悠斗先輩の隣で泣いた。


***


「そういえば悠斗先輩、彼女さんいたんですね」


 泣き止んでから少しして、私は言った。


「うん、同じ学部の子で、俺にとって初めての彼女だよ」

「彼女いるんだったら、こんなにも他の女の子に優しくしちゃダメですよ」

「彼女持ちでも、いや、だからこそかな、相手が彼女でなかろうとレディファーストだったり紳士的な対応はしないとね」

「そうですけど悠斗先輩は度を越してます。これだと勘違いしちゃう子が現れちゃいますよ」

「そうかな? こんな程度のことで勘違いしちゃうかな?」

「しちゃいます。だから気を付けた方がいいですよ」


 何を言ってるんだか。それで恋に落ちたのは私だというのに。

 でも、悠斗先輩にはこれ以上他の女子に好かれて欲しくなかった。悠斗先輩のことが好きなのは彼女さんと私だけで十分だよ。


「じゃあ私次の講義があるのでそろそろ行きますね。悠斗先輩のおかげで少し元気になれました。ありがとうございました」

「うん、じゃあまた今度」


 私は立ち上がり、悠斗先輩にぺこりと一礼して歩き出した。


 講義があるっていうのは本当のことだけど、この場を去った一番の理由は別のことだった。

 一番の理由は、これ以上悠斗先輩といると好きという気持ちを抑えきれなくなっておかしくなってしまいそうだったから。


 悠斗先輩の近くにいられるだけで私は十分嬉しい。でも、やっぱり先輩が一番気に掛ける女子、即ち先輩の彼女になりたい。

 その気持ちがより一層強くなった。


 どうにかして悠斗先輩を振り向かせたい。でも、どうしたらいいだろうか。


 う~ん……。


 歩きながら私は考えた。そして、ある一つの方法が思い浮かんだ。

 

 それは禁断の方法。下手したら悠斗先輩に嫌われてしまうかもしれない。でも、この絶望的な状況を覆すにはこれくらいやらないといけない。


 悩んだ末に私は決意を固めた。


 悠斗先輩をNTRと。



 

 

 


 


 


 


 


 


 

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