練習あるのみ!
講義が終わった後、橋本との約束通りテニスコートへ行くと、橋本は山本からマンツーマンで指導されていた。山本による球出しが球切れで一度止まったところで、俺は橋本に声を掛けた。
「来たけど、俺必要なかったかな?」
「そんなことないですよ! 浅田先輩の教え方はすっごく分かりやすいから、浅田先輩からアドバイスをもらえるとすごい助かります!」
「そう? なら良かった」
橋本と話していると、球を回収し終えて山本が戻ってきた。
「お、ようやく来たか。浅田が来てくれてマジで助かったわ~。今日人少ないし全員俺があんま親しくしてない人たちだから困ってたんだよ」
「あぁそうか。今日金曜日だもんな」
いつも金曜日は来る人が少ない。平日終わりだから友人たちとパァーッと飲みに出かけているか、一週間の疲れが溜まって体を動かす気にならないか、もしくはその両方といったところだろう。
「あれ、浅田まだ着替えてないのか?」
「あ~、今日はもともと来る予定じゃなかったから着替えもラケットも持ってきてないんだ」
「え、そうだったんですか⁈ わざわざ呼び出しちゃってすいません……」
橋本がしゅんとしてしまった。
「あ、いや、俺は全然大丈夫だから気にしないで! 俺が橋本の力になりたいと思ったから来ることにした訳だし、昨日した練習のおさらいは今日やった方がもっと日が経ってからやるより効果あるだろうしね」
「そうですか? じゃあ早速指導お願いします……と言いたいところなんですけど、喉乾いたのでちょっと飲み物買ってきますね」
そう言うと橋本は財布を取りに更衣室の方へ走っていった。その後ろ姿を見ながら、山本が呟いた。
「それにしても橋本ちゃん、素直だし健気で可愛いよなぁ」
「あぁ、頑張ってる姿を見てると心から応援したくなるよな。って、もしかして山本、橋本に惚れちゃった?」
「いや、確かに橋本ちゃんは可愛いと思うけど、親心というか先輩心みたいな感じで恋愛感情じゃないから! てか俺地元に彼女いるし!」
「え、山本彼女いたの⁉」
「浅田にはまだ言ってなかったけどいるよ。去年の夏に帰った時に偶然再会して、それから連絡取るようになって、冬に帰った時に告白したんだよ」
これはびっくり。全くもって山本から彼女がいる気配がしなかったから、てっきりいないものだと思っていた。
そういえば去年、冬休みに入って早々にこいつ地元に帰ってたな。冬休みに入ったのはクリスマス前だったから、もしやクリスマスに告白したのか⁈
「何の話ですか?」
「「うわっ、びっくりした!」」
山本の色恋沙汰に思いを馳せていたら、橋本が戻ってきた。
走ってコート脇の自販機に行って、そして走って戻ってきたようで、思ったよりも戻るのが早かった。おかげで危うく会話を橋本に聞かれてしまうところだった。
「いやぁ、橋本ちゃん頑張ってるねって話をしてたんだよ」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいです!」
自身の恋愛事情を聞かれそうになった山本は変な汗をかいていた。
「じゃあ再開するか」
「はい!」
俺は昨日と同じように少し離れて橋本を見守った。
俺が来るまでの間練習していただけあって、昨日の練習の最後よりマシになっている。とはいえ、まだ他の新入生並みとまでいかないので、逐次アドバイスをしていく。
「う~ん、まだ打つ瞬間に力んじゃってるから、もっと力抜いて」
「はい!」
「いい感じ! 今の感じを忘れないようにね」
途中1時間おきに休憩を挟みながら練習すること約3時間――。
「今日はありがとうございました!」
「お疲れ様。昨日と比べてかなり良くなったね」
今日の練習で、橋本はようやく他の新入生の先週末から今週の初めの頃の状態にまで追いついた。もうちょっとすれば他の新入生に追いつけるだろう。
「おーい浅田。お前着替え持ってきてないのと橋本ちゃんへのアドバイスを名目によくも肉体労働を全部俺に押し付けてくれたな。お礼に晩飯奢ってくれ~」
山本が俺の肩を掴んで言った。球出しに球拾いと、ずっと動き回っていた山本はくたくたになっていた。
「分かった分かった。奢ってあげるから。あ、そうだ。せっかくだから橋本も夕飯一緒にどう?」
「え、私もついていっていいんですか?」
「もちろん」
「なら行きます!」
「OK。じゃあボールの片づけは俺らがやっておくから、着替え終わったら更衣室の入り口の前で待ってて」
「分かりました!」
橋本は更衣室へ行った。俺たちもそそくさとボールを片付け、山本は着替えに更衣室へ、俺は更衣室の入り口の前に行った。
***
俺たち3人は、橋本があまり長く夜道を歩くことにならないよう、橋本が一人暮らしをしているアパートの近くにあるラーメン屋に入った。
初めて入るラーメン屋だから、3人とも店主のおすすめだという醤油ラーメンを頼んだ。ちなみに会計はほぼ全額俺持ち(山本にはさっきのお礼に全額、橋本は新入生だから山本と半額ずつ分担して奢った)。
「さっきも言ったけど、昨日よりはるかに良くなったね」
「ありがとうございます!」
「この調子なら今度の新歓大会に間に合いそうだけど、どうする? 橋本も参加する?」
新歓大会というのはうちのサークルの新歓イベントの目玉で、新入生のみのトーナメントを開き、優勝者には豪華な景品が贈られる。既にサークルに入った人も、そうでない人も新入生であれば参加可能だ。
「勝てるか分からないけど、参加してみたいです」
「お、いいね~。まぁ今の調子なら心配しなくても橋本ちゃん勝てるよ」
「そうですね。勝てるように練習頑張ります!」
橋本の瞳に炎が宿った気がした。この様子なら少なくとも1勝は出来るまでになるだろう。
「そういえば橋本ちゃんってテニス初心者だけど、どうしてテニサーに入ろうと思ったの? 高校までやってた競技とかを続けようとは思わなかったの?」
昨日の夢乃からのアドバイスもあって、同じことを橋本に聞こうとしたら、山本に先を越されてしまった。
「高校まではずっとバレエをやってたんですけど、そこまで真剣にやってた訳でもなくて、他のスポーツもやってみたくなったから何やろうかなって考えて、パッと思いついたのがテニスだったんです」
「へぇ~、バレエか」
確かに運動音痴のわりに動きがしなやかだと思っていたが、これで納得がいった。橋本は運動音痴なんかじゃなくて、ただラケットスポーツに慣れていないだけだったんだ。
「それでどうなの? 今のところ橋本ちゃんはテニスやってて楽しい?」
「はい! すごく楽しいです! 逆に先輩方はどうしてこのサークルに入ったんですか?」
「俺は――」
俺や山本のテニス歴について橋本に語っていると(山本が俺を褒め殺ししようと、俺の全国大会出場の話題ばかり出してきた)、ラーメンが運ばれてきた。
「いただきます。ふー、ふー、ふー……はふい! はー、はー」
橋本はラーメンを飲み込むと、水をたっぷり飲んだ。
「あはは、橋本ひょっとして猫舌?」
「はい、そうなんです」
「そうなんだ。俺たちに合わせようと無理に急がなくても、ゆっくり食べればいいよ」
「すいません、ありがとうございます」
橋本の純真無垢な姿を見ていると、とても微笑ましい気持ちになる。橋本には上達して、早くテニスを満足に楽しめるようになってほしいと心から思った。
後にその妨げとなるような人物が現れるとは露も知らずに。
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