後編

 チャイムが鳴って講義が終わった。

 大学の講義は一コマ90分もあるから、面白くない講義だと一コマ受けるだけで精神的にすごく疲れる。この講義はまさにそれだった。


「悠斗たちは4限も講義だったよな?」


 体を伸ばしていると、亮介が聞いて来た。俺たちの次の時間は理学部の専門科目である電磁気学の講義だ。


「ああ。亮介はこれで今日は終わりか。じゃあ、お疲れ~」

「お疲れ様。また今度な」


 亮介は帰って行った。

 他に受ける講義はないのに、俺たちと同じ講義を受けるためにわざわざ大学に来てくれていると思うと、申し訳なく思う。

 

 退屈な講義の後で、少し休憩したい気分だが、次の講義の教室はここから遠いところにあるので、そろそろ移動し始めなければ遅れてしまう。

 先ほどの講義の途中にまた机に突っ伏し、今度は眠りに落ちてさながら屍のようになっている宗太を起こして移動することにした。


「おーい、宗太。そろそろ移動するぞ」

「う……ん。あ、もうそんな時間か」


 体を揺らすと宗太はすぐに起き、机の上に出ていた筆箱や水筒をリュックにしまって準備をした。


「じゃあ行こうか」


***


 講義開始5分前には教室に着いた。教室に入って空いている席を探していると、声を掛けられた。


「悠斗、私の前が横並びで二席空いてるよ」

「あ、夢乃。教えてくれてありがとう」

「いえいえ~」


 林夢乃は100人近くいる理学部の2年生の中でたった2人しかいない女子のうちの一人で、セミロングの茶髪がよく似合う、清楚系と活発系を足して2で割ったような雰囲気の子だ。そして何を隠そう、俺の彼女だ。


 大学に入って最初の講義でたまたま夢乃の隣の席に座り、その講義で隣の人とディスカッションをすることになって、講師の指示通りの内容の討論以外にも色々と話したら気が合い、講義が終わってから連絡先を交換したのだ。それで時々LINEでやり取りをしたり、講義の合間に話したりしているうちに惹かれ合い、数回デートをした後に俺が告白して付き合うことになった。


「中川くんもこんにちは……ってどうしたの⁈ 表情死んでるけど!」

「俺は大丈夫だから。それより、二人とも幸せにな。俺は邪魔にならないように離れた席に行くから……」


 そう言って宗太はトボトボと歩いて少し離れた空いている席に行ってしまった。


「ねぇ、中川くんに何があったの?」

「昨日俺と亮介と三人で居酒屋に飲みに行ってたんだけど、その時に彼女の浮気現場に遭遇して、それで彼女に浮気相手の方がいい、って言われて別れを告げられて、その挙句に二人の会話から彼女がNTRれることを知る羽目になったんだよね。それで昨日の夜からあんな感じ」

「そっか、そんなことがあったんだ。中川くん立ち直れるといいけど、心配だね」

「うん、そうだね」


 俺と夢乃の間にしばし沈黙が流れた。

 

 夢乃も言っていたけれど、宗太が無事に立ち直れるか本当に心配だ。浮気現場を見るまでは交際は順調だと思っていたに違いないし、浮気されていた場合の別れの告げられ方の中でも最悪に近い状態だったと思うから、宗太の心中を思うと心が痛む。


「あ、そうだ。悠斗って今日はバイトもサークルもなかったよね?」


 重苦しくなった空気を払拭しようと夢乃が口を開いた。

 俺はテニスサークルに所属していて、サークル自体は毎日活動しているが、今日は昨日のこともあって疲労感が残っていたから参加しないつもりでラケットも持ってきていなかった。バイトは駅前のファミレスでやっていて、今日はシフトに組まれていないからない。


「うん、ないよ」

「私この後7時までサークルの活動があるんだけど、それが終わったら一緒にご飯食べようよ」


 夢乃はバドミントンサークルに所属していて、バドミントンサークルはバスケサークルやバレーサークルとスケジュールを調整して体育館で活動している。


「いいよ。どこに食べに行く?」

「悠斗さえ良ければ、久しぶりに悠斗の作った料理が食べたいな~」

「分かった。じゃあカレーライス作ってあげるよ」

「ありがとう! サークルの活動終わったら悠斗の家に行くね」

「うん。ご飯用意して待ってるね」


 ここでチャイムが鳴って講義が始まってしまったので、夢乃と話すのをやめて前を向いた。

 

 昨日宗太と亮介が泊まっていったままの状態だから、家に帰ったらしっかり掃除をしないといけない。少しめんどくさいと思ったけど、それ以上に久しぶりに夢乃とうちで遊べることが楽しみだ。

 最近は新年度が始まって、お互いにサークルの新歓活動が忙しくて、あまり遊べていなかった。


***


「えーっと、これとこれで用意し忘れたのはないよな?」


 家に帰ってまず掃除をして、少し休憩した後、俺はカレーを作る準備を始めた。カレーはレトルトを使えば楽に作れるが、俺はあえてスパイスを調合して作っている。

 

 もともと料理が好きだったという訳ではないのだけれど、一人暮らしをするにあたって食費節約のために自炊するようになり、料理の楽しさに気づいて、それから色々作るようになったのだ。

 それで一度夢乃がうちに来た時にカレーライスを振舞ったら、すごく気に入ったらしく、今日みたいに時々俺の料理を食べたいと言うようになった。

 どうやら俺は夢乃の胃袋をがっちり掴むことに成功したらしい。


 一からカレーを作るのには時間がどうしても時間がかかってしまうから、時間に少し余裕をもって作り始めたはずなのに、気づいたら7時半になっていた。もうそろそろ夢乃が来る頃だ。


 炊飯器からご飯が炊きあがったことを知らせるメロディーが鳴ると同時にピンポーンとドアフォンが鳴った。夢乃が来たようだ。


「いらっしゃーい」

「お邪魔しまーす。うわー、いい香りがする!」

「もう少しで出来上がるから、少し待ってて」

「はーい」


 もう数分煮込んで完成した。皿に炊き立てのご飯をよそって、出来立てのカレーをかけた。


「どうぞー」

「ありがとう! じゃあ早速いただきます!」


 自分の分も用意して、夢乃の隣に座って食べ始めた。


「やっぱり悠斗が作ったカレーは最高だよ。いっそのことお店開いたら?」

「美味しいって言ってくれるのは嬉しいけど、それは言い過ぎだよ」

「でも、その辺にある適当なお店のカレーより断然こっちの方が美味しいよ」

「そうかな? ありがと!」


 ご飯を食べ終わると夢乃が食器を洗ってくれて、それが終わってからは二人で色んなゲームのキャラクターが出てくる格闘ゲームで遊んだ。夢乃は普段ゲームはしないらしいが、このゲームが発売されて世間で人気となっていた時に興味を持ち、うちに来た時に一緒に遊んでいる。


「あぁー、やっぱり悠斗にはなかなか勝てないなぁ」


 最初はいかにもゲーム初心者らしく操作が上手くなかったけど、だんだん上達してきて、最近ではそこそこ出来るようになっている。とは言ってもゲーム歴の長い俺と比べたら全然だから、夢乃と勝負する時は一応多少手加減している。


「でもかなり上手くなってきてるよ」

「それでも悠斗に勝てなかったら意味ないよぉ~。もっと悠斗に勝てるようになりたいから、今度バイトの給料出たらゲーム買っちゃおうかな」


 夢乃は彼女の家の近くにあるカフェで、だいたい週に2~3日バイトしている。


「夢乃の挑戦ならいつでも受けるよ。っと、もうこんな時間か。そろそろ出ないと終電が危なくない?」

「ほんとだ。もっと悠斗と遊びたいけど、終電逃したらまずいもんね」


 夢乃は実家暮らしで、いつも電車で通学しているのだ。

 夢乃が一人暮らしだったらいっそ泊まっていきなよ、と言いたいけど、実家暮らしではそうもいかない。

 夢乃を駅まで送るために、俺も上着を羽織った。四月になったとはいえ、夜はまだ寒い。





「今は忙しくて今日みたいに遊ぶことはなかなか出来ないけど、落ち着いたらもっと悠斗と遊びたいな~」


 駅に向かう途中、夢乃が言った。


「うん、そうだね。俺ももっと夢乃と一緒にいたいなぁ」

「今度はどこかに遊びに行っちゃう?」

「あ、それもいいかも!」


 夢乃と話しながら、幸せだなぁ、と思った。

 それと同時に、こんな時間がいつか崩れてしまわないか不安になった。特に、夢乃が他の男にNTRれてしまわないか。

 夢乃が進んで浮気をすることはないと信じているけれど、他の強情な男に酒を飲まされたりしてNTRれないか心配だ。

 それでふとこう呟いてしまった。


「ねぇ、夢乃は他の男にNTRれたりしないよね?」


 急にこんなことを言ったから、一瞬夢乃は驚いていたけど、すぐに優しく微笑んで、立ち止まると俺をぎゅっと抱きしめた。


「中川くんの件で不安になったかもしれないけど、安心して。私は悠斗を悲しませたりしないから」

「ありがとう。急に変なこと言ってごめん」


 俺もぎゅっと夢乃を抱きしめた。


「ううん、大丈夫だよ」


 そして夢乃は俺の胸に埋めていた顔を上げて上目遣いで俺を見つめると、そのままキスをしてきた。

 夢乃が唇を離したところで、今度は俺の方からキスした。





「終電の時間かなり近づいてきちゃったね。ちょっと急がないとね」


 長いキスを終えて、密着させていた体を離すと、夢乃が言った。


「そうだね。なんかごめんね」

「そんなの気にしなくていいよ。キスしたかったのは私も同じだもん」


 手を繋ぎ、早歩きで駅に向かう。


「でも、悠斗はモテるから、私は悠斗が他の女にNTRれないか心配だな~。これで大学入るまでモテなかったなんて信じられないよ」

「それは本当だよ。俺は大学デビューした人間だし、大学入ってからも全然モテてないよ」

「それは悠斗が鈍感だから気づいてないだけで、悠斗はモテてるよ。だって悠斗いい意味で誰に対しても優しいし、どんどんかっこよくなってるから、恋に落ちちゃう子いそうだよ」

「そうかなぁ?」


 本当に実感がない。まぁ異性に関して夢乃のことしか考えてないからっていうのもあるかもしれないけど。


「もうっ、この天然女たらし!」

「えぇっ!」

「てのは冗談だけど、本当に気を付けてね」

「うん、もちろん」


 今回の宗太の件で、恋人に浮気されたり、恋人をNTRれることの辛さがよく分かった。だから、夢乃を悲しませないよう、より一層気を付けよう。

 俺はそう決意した。


 


 

 


 


 


  

 

 


 




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