第四章
第四章
ある日、アリスは、いつも乗っている車の、部品交換のため、車の修理会社を訪れた。と言っても彼女の車は外車であったため、大手の修理屋さんでは修理してくれる会社が見つからず、インターネットで調べた、個人経営の車の修理屋さんに行くことにした。行ってみると、特に順番待ちをする必要もなく、直ぐやってくれるということになった。アリスは店員に挨拶して、待合室でまたせてもらうことにした。
待合室は、病院の待合室と何処かにていて、いろんな雑誌が置かれていて、テレビもあって、退屈しないように作られていた。さらには、飲み物も販売されていた。そこまではしなくていいかと思ったが、とりあえず、雑誌をとって、アリスは椅子に座った。
「じゃあお客さま、こちらでお待ちください。ちょっと大変な修理になりますので、一時間以上かかってしまいますが、申し訳ありません。」
と、店員に連れられて、若い女性が入ってきた。彼女は小さな赤ちゃんを、今時珍しく、背中に背負っている。彼女は急いでおんぶから抱っこに切り替えて、アリスの隣の椅子に座った。
「こんにちは。」
と、アリスは彼女に声をかけてみた。
「今日は、車の故障でもあったんですか?あ、赤ちゃん、すごくかわいいわね。其れで声をかけさせて貰ったのよ。」
「ええ、まあそういうことです。ただ、エンジンの形が特殊だそうで、ちょっと時間がかかるということは、いわれましたけど。」
と、彼女は答えた。
「そうですか。あなたも、外車に乗られているのですか?」
「そうなんです。」
と、アリスが聞くと、彼女もそう答えた。
「そうなのね。あたしは、ベンツに乗っているんだけどね。まあ確かに、故障しやすいというのは認めるわよ。日本の車とは違うかもね。一応あたしは、ワンボックスカーに乗っているの。主人が、車いすで移動しているから。あなたもそう?赤ちゃん連れていらっしゃるか、そういう感じかしら?」
「ええ、それとは違っていて、私はクーペなんです。」
と彼女はいった。それはまたなんでという響きがあった。クーペというと、あまり実用的ではないし、赤ちゃんを連れたお母さんには、全然向かない車であると思われるのであるが。
「そうなの。ご主人の車でも借りているの?それとも、誰かのを代理で使わせてもらってるの?」
「いえ、違います。私のです。」
と、彼女はそういった。
「そうなの。まあ、赤ちゃん連れのお母さんであれば一寸変わっているわね。其れではちゃんとベビーシートとか、そういう事も、しているんでしょうね。」
と、アリスが言うと、彼女はいやそうな顔をした。
「赤ちゃん育てている女性なら、当たり前の事よ。ベビーシートとか、チャイルドシートとか、そういうものをつけるのは、当たり前の事じゃないの。そのためには、クーペタイプの車は向かないと思うけどな。」
「でも、あたしは、クラシックカーというか、そういうものが好きで。」
「はあ、そんなの理由にならないわ。赤ちゃん連れて、車を運転するのなら、そういうことはしなきゃだめだと思うけど。」
と、アリスは、彼女を審査するように言った。
「単にクラシックカーが好きだったというだけということでは、育児は務まらないわよ。赤ちゃんがいるときは、好きなものは取りやめないといけないこともあるわよね。」
「でも、おばさん。あなたと私は、何も関係ありませんでしょうが。あなた、日本語はしゃべれるけど、外人ですよね。それなのに、日本人に文句言わないでもらえないでしょうか。」
と、彼女は屁理屈を言うように言った。
「そういうことじゃないわ。赤ちゃんと一緒に生活するんだったら、多少の準備が必要だということをいっているんです。日本人も外国人も関係ありません。」
アリスが急いでそういうと、
「何を言っているの。他人の生活に口出しすることじゃないと思いますが。そういうことは。」
と女性は変な顔をして、そういうのだった。
「伊能さん、部品交換が終わりました。もう車は走れます。後は、説明がありますので、来ていただけますでしょうか?」
と店員がアリスのところにやってきた。アリスは、ああ、すみませんと言って、とりあえずその場を離れたのであった。彼女の顔は見なかったけど、もしかしたら中指を立てられたかもしれない。
「はあなるほど。確かにクラシックカーに、赤ちゃんのっけて出歩くというのは、聞いたことないね。」
杉ちゃんの作ってくれたカレーを食べながら、蘭は思わず言った。
「それに、女性でクラシックカーを運転するというのも又変わってるな。クラシックカーの愛好者というと、大体男性であることが多いんだけど?」
「まあ、最近は、なんでもそうだけど、男女は関係ないことが多いわ。だって、理系女子とか、そういう言葉もあるくらいだから。女の人でも、クラシックカーが好きな人はいるのかもしれない。杉ちゃんだって、男のくせに料理したり、着物縫ったりして、男らしくないって言われるかもしれないでしょ。」
杉ちゃんが言うと、アリスはそう反論した。
「まあ、それはそうだよね。道路工事も女の人がする時代でもあるもんな。だんだんさ、立場が男女逆になっているのかもしれないね。男の癖に料理とか、逆に女のくせに大工さんをするとか。まあ、車を子供みたいに可愛がってるひとは、男でも女でも、いるってことじゃないの?」
「子供みたいにかあ。出来ればクラシックカーにじゃなくて、赤ちゃんにその愛情を注いでもらいたいんだけど。」
アリスは、一つため息をついた。
「本当だねえ。どっか、愛情の使い方を間違えてらあ。」
杉ちゃんは、彼女に一応同調するように言った。
「あ、杉ちゃんそろそろ行くか。」
と、蘭が壁にかかっている時計を見ていった。
「ああ、そうだね。じゃあ、買い物に行くか。タクシーの予約をしてくれや。よろしく頼むよ。」
と、杉ちゃんが言うと、
「タクシーなら呼ばなくてもいいわ。今日は誰からも相談の依頼もないし、あたしが手伝うわよ。二人とも、あたしの車に乗っていくといいわ。」
直ぐにアリスが言った。
「そう?ならお願いしようかな。アリスさんのベンツのワゴン車、乗せてもらおうか。」
と、杉ちゃんが言ったので、話はトントンと決まり、アリスの運転するベンツのワゴン車で、ショッピングモールに行くことにした。ショッピングモールは、よくエレベーターが故障するため、誰か介添え者がいた方が、効率よく買い物できる。
「じゃあ、出来るだけ入り口近くの駐車場に止めるから、あんたたち二人は先に中に入って。」
と、アリスが、ショッピングモールの入り口に車を動かすと、駐車場の中に黒山の人垣ができているのがみえた。
「あら、一体どうしたのかしら。」
とアリスが言うと、警備員のおじさんが出てきて、
「あの、すみません。申しわけありませんが、向こうの、西入り口から入ってもらえないでしょうか。」
と、彼女たちに言った。
「いやだ。西入り口は、階段があるから入れない。」
と、杉ちゃんが言うと、
「この二人、車いすなんです。なので、正面入り口からじゃないと入れないんですよ。」
アリスは、二人を代弁した。
「そうかあ。でも、この先には故障車がありましてね。動かせないんですよ。そういうことなら、二人は、ここで降りてもらって、あなただけ、西入り口から入りなおしてもらえないでしょうか。」
警備のおじさんは申し訳なさそうに言った。確かに、黒山の人垣のせいで、駐車場への入り口は、軽自動車なら何とか通れそうであるが、ワゴン車には無理そうである。
「じゃあ、そうするわ。じゃあ、ここで二人とも降りて。」
アリスは、急いで車のエンジンを切った。警備のおじさんにも手伝ってもらって、杉ちゃんと蘭は急いで車から出た。アリスは、じゃあ、西入り口に行って、車を止めてくるから、ここでまってて、と言って、車のエンジンをかけて、バックで一度駐車場から出て、西入り口へ移動していった。
「一体何が在ったんだろう。」
と、蘭が言うと、
「なんでもここで車が故障したということらしいけど。」
と、人垣の中にいた人が、杉ちゃんたちに言った。
「それにしても、この黒山では、僕たちも通れないんだよな。」
杉ちゃんが言うが、黒山の人垣は動かない。やがて、サイレンを鳴らして、レッカー車がやってきた。「車を廃棄にでも出すのかな。」
と、杉ちゃんが言う。レッカー車が入場してきたのと同時に、人垣は直ぐにどいてくれたため、どんな車が故障したのか、杉ちゃんたちも見ることができた。
「はあ、ずいぶん高級な外車だね。いわゆる、旧車というやつか。ああいうのが、故障すると、修理が大変だろうな。部品とか、タイヤとか古いものを用意しなければいけないんだよね。」
と、蘭が思わずつぶやく。
「はあ、僕は車には詳しくないが、誰でも乗れるというやつではないんだね。」
「ああ、そうだね。新しい車を買うのもまたぜいたくだけど、古い車を乗り回すのも、又ぜいたくだと思うよ。きっと、社長のドラ息子とか、そういうひとだろう。」
蘭が言ったのと同時に、黒山の人垣の間から、レッカー車に引っ張られて、高級な外車が運ばれていくのがみえた。本当に古いというか、もう独身貴族のような人でなければ、乗らない車ではないかと思われるほどの車だった。逆に、故障をしないほうが、おかしいのではないかと思われるほどの、古い車だった。
「まあ、いずれにしろ、あの車は、故障してももう直らないだろうな。きっと、必ず買い替えなければいけないだろう。そうしたら、多分ああいうひとだからまた、クラシックカーを買うんだろうな。きっと、僕たちのような人には全然縁のない、幸せいっぱいの人なんだろうね。」
「さあ、それはどうかな。」
蘭がそういうと、杉ちゃんはでかい声で言って、ある方向を顎で示した。
「ほら、あの女性が、車の所有者だろうな。隣にいるのが修理会社の人じゃない?」
杉ちゃんが言う通り、ひとりの女性が、車の修理会社の人と、何か話している。目にいっぱい涙をためて。その背中には、まだ生後数か月しかないと思われる赤ちゃんが乗っていた。彼女が泣きはらしているのに対し、その赤ちゃんが静かに眠っているのが対照的な所だった。
「杉ちゃんよくわかるね。まあ、かわいそうだけど、新しい車を買ってもらわないと、まずいだろうね。」
と、蘭が言った。
「ごめん蘭。西入り口からここが離れていて、急いできたんだけど、遅くなっちゃったわ。」
と、アリスが、人垣をかき分けて、蘭たちのところにやってきた。
「あら、あの故障車はもう終わったの?」
「うん、今さっき、レッカー車で運ばれていったよ。なんでも相当古い車だったよ。全く今時、こういう古い車に乗るという、ぜいたくをしているやつがいるもんだね。」
と、杉ちゃんが言うと、
「あの女性が、車の所有者だったみたいだよ。子供を背中に背負っている女性。さっきご飯をたべながら女のクラシックカー愛好者の話をしたけれど、本当にいたとはびっくりしたよ。若い女性が、ああしてクラシックカーに乗るなんて、僕も信じられないな。」
蘭は、一寸驚いたように言った。
「あの女性。」
アリスは蘭の示した方向を見た。彼女は、先日車を修理に行ったときに見かけた女性である。あの時、外人に何てと嫌味を言った女性だった。黒山の人垣も、クラシックカーが、レッカー車で撤去されていった所を見届けると、もういいと思ったのだろうか、少しづつ解体されていって、ショッピングモールにいったり、自分たちの車に戻ったりし始めた。蘭たちは、そういう人垣の中に入ると、車いすでは危険であるということを知っていたので、まだ動かないでその場にいた。やがて、黒山は解体され、赤ちゃんを背負っていた女性と、修理会社の職員だけが残った。
「よう、お前さん。」
と、杉ちゃんがいきなり声をかける。こうして誰にでも平気で声をかけてしまうのが杉ちゃんであった。
「車が故障して大変だったねえ。車は、人間と一緒で、いろんな部品から出てくる生き物だよな。あんな古い車に乗って、故障するほど乗りつぶして、車も幸せだね。」
杉ちゃんの発言で、彼女は表情を変えた。それをわかってくれたと思ってくれたのだろうか。
「まあ、きっと中古車で、何代もの人間に乗り継がれていたはずだと思うんだがな。お前さんが最終所有者になったというわけか。まあよかったじゃないの。最後は、お前さんのような美女が使ってくれたんだから。」
「そうね。でも、もう何もかも終わりなのよ。車が故障してしまって、もう、どこにも行けなくなっちゃったし。」
と女性は、小さい声でそうつぶやいた。聞こえないようにつぶやいたつもりだったようだが、杉ちゃんの耳はすぐにそれを聞き取ってしまった。
「おわりってどういうことだ。新しい車を買えばそれでいいことじゃないか。其れは、当たり前というか、其れでいいんじゃないの?それよりも今度は故障しにくい車を買うことが、大切だよな。」
と、反応してすぐに口を出す杉ちゃんであった。
「故障しにくいって、ほかの人とおんなじことになったら、それこそ大変だわ。みんなと同じことなんてできやしないわよ。」
彼女は、杉ちゃんの話を聞いているのかいないのか、わからなそうな顔で、そういう事をつぶやくのだった。一体どういうことだと蘭は思うが、
「車が故障して、あまりにショックだったのかしら。」
と、アリスがつぶやいた。
「自分の事をちゃんと話せないというのは、何かわけがあるのかもしれないわ。」
そのアリスのつぶやきも、杉ちゃんはちゃんと聞き取っていた。
「じゃあ、お前さんがちゃんと話せないわけというものを聞かせてもらおう。其れでは、一寸、お茶でも飲みながら、話を聞かせてもらおうか。赤ちゃんは、アリスさんに見てもらってさ。」
「そんな、私がわけを話すって。」
とその女性はそういうが、その隣にいたショッピングモールの警備員が、
「そうしてください。彼女、どこにもいけないとか、そういうことばかり言って、肝心の車が故障したということは、どうしても話してくれません。其れなら、あなたたちに、話をつけていただきたい。もうこんなおかしな人が、車の運転免許を持っているなんて信じられないくらいですよ。是非、なにがあったのか、お話を聞いてやってください。」
と杉ちゃんたちに言った。
「じゃあ、行きましょうか。大丈夫だ。僕たちは、何も悪いようにはしないから。」
と、杉ちゃんが言うと、彼女はもう仕方ないという顔をして、杉ちゃんについて行った。もう、黒山も解体していたので、杉ちゃんたちは、平気で正面玄関から、ショッピングモールへ入ることができた。
「じゃあ、まず、何か食べて、それからわけを聞かせてもらおうかな。」
杉ちゃんたちは、カフェスペースに行って、彼女を椅子に座らせた。赤ちゃんのほうはアリスが受け取った。こういう書き方をしているのは、アリスの手に渡っても赤ちゃんは泣きもしないで、平気な顔をしていたからだ。お母さんの手から離れても、泣き叫んだりしないのは、おかしなことだと思う。
「この赤ちゃん、もしかしたら、病院かどこかに連れて行った方が良いかもしれないわ。」
と、アリスはすぐに言った。
「生後何か月か、よくわからないけれど、きっと標準体重より、軽いと思うわよ。ねえ、あなた、本当に、何も気が付かなかったの?赤ちゃんが、ミルクでも欲しがって、泣いたりしたはずだと思うけど。」
と言っても、女性は何も言わなかった。
「ねえ、お母さんなんだったら、ちゃんとミルクあげたり、おむつを変えたり、するはずよね。赤ちゃんだって、何か欲しがって泣くことも当たり前よ。其れに気が付かないはずはないわよね。」
「まあ確かにそうかもしれないけど、今は全部の女性がそれができるというとそうでもないよな。僕のところに、刺青を入れに来る人で、赤ちゃん育てることができなかった人が居たよ。彼女は、ほかの家族がいたから、何とかなったけど、そうでなかったら、赤ちゃんが大変なことになるよね。」
と、蘭が思わず言った。
「なるほど。育児放棄ってやつか。」
杉ちゃんは、蘭の言葉に、結論を出すように言った。
「ねえ、あなた、ほかの家族やご主人とか、そういうひとはいないの?協力してもらって、何とか赤ちゃん育てられるようにしなきゃならないわよ。あんな、ぜいたくな車に乗るよりも、そのほうが大切よ。そう思いなおして。このままでは、赤ちゃんが餓死してしまうわ!」
アリスは、一寸彼女を叱るように言った。
「そうだけど。」
と、彼女は言う。
「ご主人になる人もいないし、ほかの家族もないし、兄弟もいないわ。それに、働くので精いっぱいで、子供の世話なんてそんなこと。」
「そんなことないよ。古臭い車に拘り続けるより、その赤ちゃんに執着心をもっていってよ。簡単なことだぜ。」
と、杉ちゃんが言った。
「そんなことないわ。だって、車だっていいものに乗らなきゃ、周りのひとに馬鹿にされてしまう。親戚なんて皆、医療とかそういう仕事についていて、豊かな生活している人ばっかりだし。私だけ一人、ダメな人間として、いつまでも、誰にも相手にしてもらえない。」
という彼女に、杉ちゃんは、
「そうだねえ。確かに、周りのやつらがみんな優秀で、自分はダメだと言われ続けていれば、其れで、何か別のものに、走りたくなるのも当然と言えば当然だ。でも、今は赤ちゃんいるんだからさ。それは、もう方向転換しなくちゃまずいんじゃないの。それができるようになれば、また人生観も変わってくるかもよ。」
といった。アリスは、抱っこしている赤ちゃんの顔を眺めて、
「でも、この子は、状態がかなり深刻よ。もしかしたら、泣かないのではなく、力がなくて泣けないのかもしれないわ。其れならあたしたちも、責任を問われるかもしれなくてよ。あたしちょっと、小児科に電話をしてみるわ。」
と、直ぐにスマートフォンをとって、電話をかけ始めた。
「あなた、今の一言を聞いて、何も思いませんでしたか?」
と、蘭が彼女に言うと、
「ええ。私はそれどころじゃありません。私を捨てた、家族や親せきの人たちに、」
と彼女はそういうことを言いかけて、いきなり泣き始めた。
「きっと今、何が起きているかわかってくれたんだな。」
と、杉ちゃんがつぶやく。
「じゃあ、アリスさんが赤ちゃんをを連れていく間に、僕たちは彼女を、影浦先生のところに連れて行こう。」
「わかりました。じゃあすぐに行きます。」
アリスが、電話アプリを閉じた。そして、赤ちゃんを病院に連れていくからといった。杉ちゃんたちは、彼女に、
「よし行こうぜ。」
といった。
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