第二章

第二章

ある日、杉ちゃんとアリスは、ショッピングモールへ買い物に出かけていた。蘭のほうはどうしても切れない仕事があって、仕方なくアリスが手伝うことにしたのである。その日も食料を大量に買い込んでいく杉ちゃんに、アリスは、本当に変わっているなと思いながらお付き合いしていた。

二人が、食料を風呂敷包みに詰め込んで、さて、かえろうかと出口へ向かっていくと、

「あの、すみません。ちょっとお二人にお伺いしたいことが在るんですが、このショッピングモールのタクシー乗り場は一体どこでしょうか?」

と、ひとりの30代後半くらいの女性が尋ねてきた。

「なんだ、お前さん、タクシーに乗りたいの?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、正確には、タクシーに乗ってくる姉夫婦と待ち合わせをしているんです。ですが、ショッピングモールがリニューアルしたのを知らなくてですね。どこかわからなくなってしまいまして。」

と、彼女は答えた。

「ああそうですか。タクシーなら、僕たちもタクシーに乗って帰るから、一緒に行こうか。タクシー乗り場はこっちだよ。」

と、杉ちゃんが、タクシー乗り場に向って、車いすを動かし始めた。アリスも、一緒に来てくださいと言って、杉ちゃんの後を追った。

「タクシー乗り場はここだよ。」

と、杉ちゃんが、にこやかに笑って、タクシーのマークがついている標識を指さした。

「僕、文字は読めないけど、こういうのならわかるから。タクシー乗り場は間違いなくここだ。」

「そうですか。ありがとうございます。教えてくださって、助かりました。」

と、女性がそういうと、一台のワゴンタイプのタクシーが、杉ちゃんたちの前に現れる。

「来た、あれだ!」

と、女性が言った。

「お姉さんは、車いすとか、そういう方なんですか?」

と、アリスが聞くと、

「そういうわけじゃないんですが、赤ちゃんがいるものですから、セダンですと少々乗りにくいものでして。」

と、彼女は答えた。

「そうですか。じゃあ、もしかしたら、お姉さんご夫妻は、里帰り出産とかそのためにこちらに帰ってきたのかな。」

アリスがそういうと、ワゴンタイプのタクシーは、タクシー乗り場でとまった。運転手が、はい、到着ですよと言って、車のドアを開ける。確かに出てきたのは、一組の男女だったのだが、その女性はまさしく、太鼓腹と言えるほど大きかった。

「もう、産み月が近いんですか。」

思わず、アリスが聞くと、

「ええ。もうすぐなんです。」

と、妹の女性が答えた。

「そうか。それはおめでとうございます。其れはよかったね。うれしいね。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、まあ、、、。」

と、小さな声で、お姉さんは答えるのであった。何だか、うれしくないような感じの顔をしている。

「どうしたんだよ。何かわけでもあるのかな?」

杉ちゃんがそういうと、お兄さんにあたる、夫の男性が、心配でしょうがないという顔をしていた。

「実はここにいるアリスさんは、助産師でもあるんだ。」

杉ちゃんは言った。

「きっと、赤ちゃんの事なら、何でも相談に乗ってくれるよ。保証してあげるさ。」

「そうなんですか?」

妹さんが、杉ちゃんに言った。

「それなら、ぜひ、相談にのってもらえませんでしょうか。病院の先生なんて、屁理屈ばっかり言って困るばっかりだし、そういうひとの方かかえって、親身になって聞いてくれるかもしれない。」

「おうまかせとけ。じゃあ、カフェにでも入って、相談と行きますか。」

杉ちゃんと、彼女たちは、ショッピングモールの、駐車場にあるカフェに行くことにした。カフェは、さほど人もおらず、すいていた。

「改めまして、伊能アリスと申します。田子の浦地区で、助産師をしています。」

アリスが、彼女たちにそういうと、妹さんは、下竹原奈美恵と名乗った。お姉さんは、下竹原加恵さん、そしてご主人は、下竹原正彦さんという。

「下竹原加恵さんね。で、お年は幾つなんですか?」

アリスが聞くと、奈美恵さんが一寸恥ずかしそうな顔をして、

「ええ。私が、35歳で、姉はそれよりも5つ年上ですから、もう40歳になります。」

と答えたのであった。

「はあ、つまるところ、40歳ということは、ハイリスク妊娠ということになるのかな?それとも、経産なのかしら?」

アリスは、外国人らしく、何も飾りつけないでそういうことを聞いた。

「いえ、経産ではありません。これが初めてです。」

と、ご主人の正彦さんが、そこははっきりしているように言った。

「そうなのね。確かに、そういうことなら難しいということは確かね。そうなると、妊娠中毒症とか、子癇発作とか、そういうものになりやすいですものね。そこは認めるわ。確かに、それは言えてる。」

「そうですよね。だから彼女が心配で。今のところ、そういった症状は出てないんですけど、でも

何だか、そうなってしまうのではないかと心配なんですよ。そんなことしたら、生活だって変わってしまうかもしれないし。」

「まあ、確かにあるかもしれない。でも、そんなのにびくびくしてないで、いつも通りに暮らしていくしかないだろう。厳しい事言うかもしれないけど、それが答えだ。」

杉ちゃんは、正彦さんの言葉を打ち消すように言った。

「それに、私も、もう40になりますし、この子が、おばあさんの子どもだとかほかの子に笑われてしまわないかとか、そういう事も心配なんです。私の、なくなった母もそうだったんです。遅い子だったので、私も奈美恵も、学校でいじめにあってきました。歴史は繰り返すと言いますか、私は、同じことしてしまうようなことは、したくありません。なのになんで今になってって、もう後悔しても遅いですよね。私、なんでこんなにばかな女性なんだろう。」

と、彼女、加恵さんはそういうことを言いだした。こればかりは、人生というのは予測のつかないものであるものだ。たとえ同じことをしないと誓っても、同じことを繰り返してしまうという例は多いのである。政治家などにはよくあることだが、親と同じような問題を繰り返してしまう二世議員は結構いる。

「そうだけど、なったものはなったで仕方ないよ。まあ、親と同じことはしたくないって気持ちもわからないわけではないけどな。でも、人間だもの。間違いってのは誰でもあるんじゃないの?」

「杉ちゃんの言う通りなんだけど、確かに、受け入れるのは難しいことだわね。でもね、私は思うんだけど。赤ちゃんは意味がなく生まれてくるということは無いと思うの。お母さんの人生で必要だから、生まれてくるんだと思うわ。だから、たとえ遅い子であろうが、健康被害のリスクが高かろうが、出来たってことは、必要なんだと思うわけ。そう思って、赤ちゃんと一緒に生活することにしたら?それに、遅い子だったって言ってもよ。其れだからと言って、全部の子が不幸になるわけじゃないわ。そうだからこそ、幸せになれる可能性だってあると思うけどな。」

アリスは、女性らしく、加恵さんを励ますように言った。

「まあ、もし、ちゃんとした医療機関にかかわるような、重大な病気を引き起こしてしまったら、私が、専門の病院を、責任もって紹介してあげるわ。そういうところに連れていくのだって、私の仕事だと思うからね。その橋渡しをする人がいないのも、日本のおかしなところよね。」

「ありがとうございます。」

正彦さんは、アリスに頭を下げていった。

「今日は、とても頼りになる人を見つけることができました。きっと、加恵も少し楽になってくれたんではないかなと思います。何よりも、加恵が、危険すぎると言われ続けてきて、可愛そうなくらいになってしまったので、こっちに来たんですが、やっぱり地方の方は優しいって本当だったんですね。だから、本当に安心しました。ありがとうございました。」

正彦さんがそういうと、加恵さんも、ありがとうございましたと頭を下げた。

「ええ。大丈夫ですよ。どんなことが在っても、新しい家族が生まれる事を否定するようなことはしてはいけないですよね。其れは私も、よくわかっていますから、これからも問題が出たら、遠慮なく私のところへ相談を持ち掛けてください。」

と、アリスは、自分の手帳を出して、そこに自分のメールアドレスと電話番号を書き込んだ。そして、それを破って、加恵さんに渡す。

「もし、病院がどこにあるかわからないとか、そういうことに直面したら、私のところに電話してくれていいですよ。あたしは、この地域の産婦人科の評判は大体知っていますから。」

「そうですか。なんとしてでも、そこへ行かなければなりませんか。」

不意に、奈美恵さんがそういうことを言った。

「なんとしてでもって、お姉さんは、ハイリスク妊娠何だし、妊娠中毒症とか、そういうものは、下手をすると命に係わるわ。だから、そういうことのないように、病院をえらんでおくことは必要だと思うけど?」

アリスが急いでそう聞くと、

「そうなんですけどね。私、姉が病院で何回も叱られるのを見ているので。それに、母親学級とか、そういうところに行っても、みんな若いお母さんばかりで、年齢も違いますし、話も合わないんですよ。そういうところをたくさん見ていますから、妹としては行かせたくありません。其れはいけないことでしょうか。」

と、奈美恵さんはそういった。其れを聞いて正彦さんが、

「おい奈美恵ちゃん。それはないだろ。もし何かあったら、大変なことになって後悔しないようにしたいのは、誰でもそうすると思うけどね。」

と彼女を止めたが、

「でも私、何回も姉と一緒に産婦人科に行ったけど、先生だって高齢出産として邪険に扱うし、看護師さんだって、困った人としか姉の事を診ないし、そういう冷たいところは本当に嫌なのよ。赤ちゃんができたからって、とても喜んでくれそうな感じではなかったわ。逆に、厄介な患者が来たっていう感じで面倒くさそうだった。そんなところにもう一回行かせるのは、酷だと思うのよ。」

「ま、まあね。確かにそうだけど。」

奈美恵さんの発言に、杉ちゃんはそういった。

「それにね、何年か前に、どこかの県であったわよね。ほら、妊婦が何回も病院にたらいまわしにされてさ、結局亡くなった事件だってあったでしょ。あたしは、そういうことから、医療機関というものを信用してないの。」

「ああ確かにあったわねえ。あれは悲惨な事件だったわ。確か、脳出血か何かで。」

その事件に対しては、アリスもきいたことが在る。その事件のニュースを聞いて、日本の医療機関というのはなんでこんなに怠惰なのだろうかと思ったものだ。確かその事件で亡くなった女性も、高齢出産にあたる女性だったような。

「だけど、医療機関にはどっちみち頼らないといけないと思うから、たとえ、安全が確認されたとしても、こういう時には異常なんだろうし。だから、この人に頼んで、加恵が安全に産めるように何とかしてもらうことも必要なんじゃないのかな。」

正彦さんはそういうが、

「でも私は、そういうことはしないほうが良いと思うわ。人任せにするよりも、自然な形にした方が

いいと思う。」

と、奈美恵さんは主張した。

「お前さん何かあったのか?」

杉ちゃんは奈美恵さんに聞く。

「お姉さんの事が心配なのと、医療機関で凄惨な事件があったのは間違いないが、なんでお前さんは、拒絶反応みたいな顔してるんだよ。」

アリスは、杉ちゃん、それを言うのはやめた方が良いんじゃないかしらといったが、杉ちゃんの一度疑問に思ったら、答えが出るまで聞き続ける癖と、いい加減な回答では容赦しない癖は、ここでも本領発揮されるのであった。

「お前さんはどうしてそんなに医療機関とかに頼むのを、嫌そうな顔するんだよ。まあ確かに、身内だから、心配だというのはわかるが、ここにはご主人もいるんだし、一寸度を越しているよ。」

「そうねえ。度を越していると言われたっていいわ。とにかく私は、首都圏でも、地方でも医療関係ってものは信用できないと思っているの。過去の事件の事もそうだし、いまだってそうだと思ってる。」

奈美恵さんは、頑固にそう答えるのだ。でも、杉ちゃんの満足いく回答ではなかったようで、

「一体何でお前さんは、そういうことをいうんかな。」

と、まだ質問を続けるのであった。

「とにかくですね、加恵も高齢出産である事は間違いありませんし、アリスさんの言う通り、いろんな異常が起きやすいことも確かでしょうから、医療機関を探すことにしますよ。それに、ここは東京じゃありませんし、人が冷たくないと思いますから、きっと甚大な被害を起こすことは無いと信じたいです。」

正彦さんは、男性らしくそういうことを言った。男性というものは、一度決めたら貫き通すことをしやすいと言われている。其れで世の中を動かすことができるのは男性である事が多いと言われている意見もある。

「じゃあ、あたしが、病院を紹介しますから、何かメモをとるなりしてくれますか。」

アリスがそういうと、正彦さんもわかりましたと言って、スマートフォンを取り出した。奈美恵さんは、まだ不満そうな顔をしている。

「外出るか。」

と、杉ちゃんは、彼女に言った。彼女も、そうねと言って、二人は外へ出た。

「お前さん、もう一回聞くが、何でお姉さんを病院にかからせるのを、拒むの?」

杉ちゃんが言うと、

「姉に産ませてやりたいって、私が一番そうおもっているんです。」

と、奈美恵さんは言った。

「そうなのね。其れなら、もっと、協力してやるべきなんじゃないのか。お姉さんに、良い病院探してやることも協力のひとつなんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、奈美恵さんは、そうなんですけどといった。でも何か腑に落ちないところがあるようなのだ。

「もしよかったら、わけを話してみてくれるかな?」

杉ちゃんも真顔になってそういうことを言った。

「きっとお前さんは何かわけがあるんだろ?他人に話せない、でも、話さずにはいられない、そういう出来事があったんだ。だから、医療機関何て信用できないんだ。違うか?」

「私、出戻りなんです。」

と奈美恵さんは言った。

「実は、私のほうが姉より先に結婚して、子供をもうけたんですけど。」

「はあ、それでどうしたの?」

杉ちゃんが聞くと、

「でもその子は、医療事故というか、私が流産してなくしました。本当に、私がもっと気を付けていればと、周囲の人はいいますが、、、。でも、私が倒れた時、私も、色んな病院たらいまわしにされた経験があったから、どうしても医療関係は信用する気になれないんですよ。何よりも、それで私は、子供を産めない体になりましたから。其れで今回、姉に代理でやってもらっているようなものなので。」

と、彼女は小さい小さい声で答えた。そういうことか、と杉ちゃんは言った。

「誰か、後継者がいなきゃいけない家庭なの?」

「後継者っていうか、誰でも喜ぶじゃないですか。赤ちゃんって誰でも欲しいですよ、それはそうですよね。」

杉ちゃんに言われて、奈美恵さんはまた答えた。

「まあ、そうだけど、どうしてもそうしなきゃいけないってことは、在ったのか?僕みたいに、のんきに幸せに活きているやつもいるんだからさ。」

「そうだけど、やっぱり。」

「そうだよな。」

奈美恵さんの発言に、杉ちゃんは、そうしてやるのが一番だと思ったのだろうか、そういって彼女の話を肯定した。

「まあ確かに、そういうことが幸せって思うやつもいるよ。お姉さんは、僕は良く知らないけど、きっとこれから大変になっていくだろうね。まあ、お姉さんが言う通り、遅い子ということの弊害みたいなことも起こるとおもうよ。でもさ、それを不安に思って自分の責任だと思っているんだったら、お姉さんの事、精いっぱい支えてやったら?そうするのが、お前さんの務めじゃないのかな。」

「そうねえ、、、。確かにそうなのかもしれないわね。」

杉ちゃんの発言に対して、奈美恵さんは、そういった。

「きっとね、お前さんの事は、悪いというやつはいないと思うんだよ。お前さんは、お前さんの過去があるし、お姉さんにもそれぞれ違うものがあるさ。できることってのはさ、それをぐちゃぐちゃしないで、出来る事を背一杯やる事じゃないの?」

杉ちゃんはからからと笑った。

「そうよね。本当に今日はどうもありがとう。何か、吹っ切れたような気がする。何か姉の事で、ぼんやりした不安のようなものがあったのよ。でもなんか、今日は、二人で話をすることができてよかったわ。」

「いやあ、最後まで言わなくても結構だよ。最後まで言い切ることは人間、できやしないからね。其れよりも、今何をすべきなのかに持っていけたらいいんだけど。なかなかね、そういうわけにもいかないよね。」

奈美恵さんが無理して笑顔をつくると、杉ちゃんはそういった。それは確かにそうだろう。世の中全部の事を言い合えるようになったら、それこそ大変なことになるから。

「まあ、お前さんの事は、大変だろうけど、お姉さんの支えとして頑張りや。」

「そうね。ありがとう。何だか、姉の事を、別の目で見られるようになる、第一歩かな。私も、頑張らないとね。」

奈美恵さんは作り笑いと思われるが、笑顔でそういうことを言った。杉ちゃんも、にこやかに笑った。

「じゃあ私、姉のところに戻るわ。これからは、姉のそばについていなきゃいけないってちゃんとわかっているから。」

「おう、頑張れよ。」

奈美恵さんが、カフェの中に戻ろうとしたちょうどその時、正彦さんと加恵さんが、カフェから出てきた。二人とも、話を聞いてもらってよかったという顔をしている。

「おかげさまで、彼女に聞いてもらって、頑張ろうという気になれたわ。あたしは大丈夫だから、奈美恵も気にしないで生活して頂戴ね。」

と話す加恵さんに、

「ええ、お姉ちゃんも、あたしの分まで頑張って。」

と、奈美恵さんは言った。



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