第17話

 僕と黒崎さんはついに、『カップルダンジョン』の最深部の一歩手前までやって来た

 『この先、ボスフロア』の看板の向こうには、間違いなくボスが待ち構えている。


 そしてそのボスを倒すことができれば、『カップルダンジョン』はクリアとなるだろう。


 いままでずっと単独ソロだった僕は、ひとつのダンジョンすら攻略したことがない。

 ボスフロアの手前にすらたどり着くことはできず、いつも途中で引き返していた。


 でも今日は黒崎さんという強い味方がいる。

 きっと彼女の力がいてくれれば、ボスだって倒せるはずだ。


 もはや『引き返す』という選択肢は僕にはなかった。

 それは黒崎さんも同じはずだ。


 しかし僕と彼女の間には、大きな齟齬があった。


 看板の『この先、ボスフロア』の文字の下には、


『右の道 普通のボス

 左の道 とても強いボス』


 とある。

 右の『普通のボス』フロアに繋がる道は回廊状になっているんだけど、左の『とても強いボス』フロアへの道の途中には、大きな鉄の扉が立ち塞がっていていた。


 左はいかにも『狂暴なモンスターが外に出てこないようにしてあります』感があって、すごくものものしい。

 僕からすると近づきたくもない扉だったんだけど、黒崎さんは迷わず左に足を向けていたんだ。


 「んじゃ行こっか、塚見くん」と、すたすたと鉄の扉に歩いて行く黒崎さん。

 僕は慌てて声で押しとどめた。


「ちょっと待って! そっちは強いほうのボスって書いてあるよ!?」


「うん、強いほうがやり甲斐があるでしょ?」


「でも、『すごく強い』らしいよ?

 せっかくここまで来たんだから、無難に『普通のボス』に挑んで、クリアを目指したほうが……」


 すると、店内で見ているリア充たちがガヤガヤとざわめきだした。


『おい、あの高校生カップル、左の扉に挑戦するようだぞ』


『右のボスモンスターはたしか、オークファイターとオークシャーマンの組み合わせだよね?』


『ああ、あそこまで行けるカップルなら、問題なく倒せる相手だ』


『左は行ったことないんだけど、どんなボスモンスターなんだろう?』


『いや、左の扉はロックが掛かっててるから、誰も行ったことがないんだよ』


『ああ、扉を開ける条件が謎なんだよな。「開かずのボスフロア」と呼ばれているんだ。

 「真の愛の宝箱」の中身と同じで、「カップルダンジョンの2大シークレット」とされている』


 僕はそれを聞いてホッとする。


「黒崎さん、その扉は開かないらしいよ。

 だからそっちはあきらめて、普通の道を……」


 しかし黒崎さんが「そうなの?」と鉄の扉に手を掛けた瞬間、


 ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


 まるで長年の封印が解けたかのような、重苦しいを音をたてて、


『ひっ……開いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?


『まさか「明かずのボスフロア」まで、開けるだなんて……!?』


『いったいどういうことだ!? 俺がやったときは、押しても引いてもびくともしなかったぞ!』


『私なんて彼といっしょに、あったけの攻撃魔法を叩き込んだことがあるのよ!?

 でも扉には傷ひとつ付けられなかったのにぃ!?』


『そうか、わかったぞ! 「真実の愛の宝箱」と対になってるんだ!

 あの宝箱を開けられた者だけが、「開かずのボスフロア」に挑戦できる仕組みになってるんだ!』


『あの奥には、どんなすごいボスが待ってるんだろう……!?』


 ……ごくりっ!


 とリア充たちの喉を鳴らす音が聴こえてくる。


 黒崎さんは振り向くと、天井に向かってニッコリ笑う。


「よぉーし、それじゃ、誰も見たことがないボスに挑戦しまーっす!

 みんな、応援しててねーっ!」


『おおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!』


 彼女が手を振ると、まるで店内がひとつになったかのような大声援が返ってくる。

 僕は血の気が引く思いで叫んだ。


「ま、待って、黒崎さん!」


「なあに、塚見くん?」


「そっちは何が待ってるかわからないんでしょ!? やめようよ!」


「ええっ、何が待ってるかわからないから楽しいんじゃない!」


 僕は平穏と安定を好むタイプだ。

 ダンジョン探索において、少しでも危ないと感じた場所には近づかず、すぐに引き返す。


 だからこそ今まで、単独ソロでもやってこれたんだ。


 でも黒崎さんは僕と真逆で、危ないものに惹かれるタイプらしい。

 彼女は凜とした目で言った。


「私はお散歩でも冒険でも、あんまり人が行かない道を歩くのが好きなの!

 だってそのほうが、新しい発見があるしね!」


「そ、そうなのかなぁ……」


「そうだよ! それに私、塚見くんと一緒だったらどんな所でも行けそうな気がするの!

 だからいっしょに冒険しようよ!」


「で、でも、右のほうが……」


「ねっ!? お願い! ねっ!?」


 とうとう黒崎さんは両手を合わせ、僕を拝みはじめた。

 リア充たちは『ひだり! ひだり!』と手拍子とともに『左コール』を始める始末。


 「ウニャー!」「キュウッ!」とトムとジェリーにも責められて、僕はとうとう折れてしまった。


「わ、わかったよ……左に行こう」


「やったーっ!」「ニャーン!」「キューッ!」『おおーっ!』


「でも黒崎さん、ひとつだけ約束して。もし少しでも危ないと思ったら、すぐ逃げるって」


「わかった、約束する!」


 黒崎さんは、拾ってきた野良猫を飼ってもいいって言われた子供みたいに、嬉々として宣言する。

 しかし僕は、ちゃんと面倒を見られるのかと不安の残る、母親のような気分だった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 ボスフロアへの道は一本道で、デザインは他の通路と変わらなかった。

 しばらく通路を歩いていると、黒崎さんが言った。


「塚見くん、緊張してるみたいだね。手に汗いっぱいかいているよ」


 それで僕は、ずっと彼女と手を繋いで歩いていることを、いまさらながらに思い出す。


「あっ!? ご、ごめん! イヤだったよね!?」


 まさか手汗をなすりつけていただなんて、と僕はギョッとなり、急いで手を離そうとしたんだけど、


 ……ぎゅっ。


 黒崎さんはむしろ、僕の手を強く握り返してきた。

 そして微笑む。


「ふふっ、ぜんぜんイヤじゃないよ。だって私も手汗をいっぱいかいているし、おあいこでしょ?」


 おあいこなんかじゃない。

 アイドルの黒崎さんと、ぼっちの僕なんかの手汗では、天と地ほどの差がある。


 かたや瓶詰めにしたら飛ぶように売れるモノだし、かたや女子から「キモい」と蔑まれているモノ。

 しかし黒崎さんは気にしていないようだ。


「ライブの時もね、控室でこうやってみんなで手を繋いでからステージに行くんだよ。

 みんなすっごく緊張してて、手に汗をいっぱいかいてるんだ。

 それで思うの、『ああ、みんなも緊張してる。それだけ今はすごいことをやろうとしてるんだ』って」


「そうなんだ。でもそんなことをしたら、もっと緊張したりしない?」


「うん、もっともっと緊張するよ。まるでみんなの鼓動が伝わってくるみたいに。

 でもそれって、すごく素敵なことだと思わない?」


「えっ、どうして?」


「だって好きな人と、同じ気持ちを共有しているんだよ?

 まるで、ひとつのおおきなハートになったみたいに……」


 『好きな人』。

 僕はその一言だけで、頭が真っ白になってしまう。


 黒崎さんはいつにない真摯な瞳で、僕を見据えていた。

 そして今まで聞いたこともないような、色っぽい声で……。


「わたしはあなたと、ひとつになりたい……!

 身体も、吐息も、鼓動さえも……!」


 どごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーんっ!!


 僕の心臓は爆発して、全身が黒焦げになる思いだった。

 目をぱちくりさせて硬直している僕に、黒崎さんはいたずらっぽく笑う。


「なーんて。これ、私がソロデビューした時の曲のフレーズだよ。

 これで塚見くんの緊張が、少しはほぐれたかな?」


 ……まさかボスフロアへの道中で、好きな女の子にからかわれるというリア充体験をするとは思わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る