第4話

 まさかのアイドル膝枕に、僕はいろんな意味でドギマギした。


 女の子と手を繋いだこともないこの僕が、いきなり膝枕だなんて……!

 しかも、国民的アイドルと……!


 クラスメイトやファンにバレたら、殺されるっ……!


 そんな心配をする僕を、黒崎さんはなおも心配してくれる。


「塚見くん、まだ顔が腫れてるから、寝てないとダメだよ。

 ほら、こっちに来て……」


 彼女はローブに覆われた太ももを、ぽんぽん叩いている。

 まるでそこで横になるのが当たり前であるかのように。


 ……とあるテレビの企画で、『ソーサレス48』の熱烈なファンだというアラブの石油王が、1億円の入ったアタッシュケースを黒崎さんに渡しながらこう言った。


 「マコちゃん! この握手券で10秒間、僕に膝枕をしてほしい!」って。

 しかし黒崎さんは、太陽のような笑顔でこう返したんだ。


「ありがとう! でも私の初めての膝枕は、将来の彼氏のためにとっておきたいんです!」


 結局その番組では、第2候補だった別のメンバーが1億円を受け取り、10分間の膝枕をした。


 そのエピソードを思い出し、僕は震えた。


「あ、あのっ……僕……そんなお金、持ってないんですけど……!」


「えっ、なにを言ってるの?」


「とっ、とにかくもう大丈夫だから! すっかり元気になったよ!」


「そう? なら良かった」


 黒崎さんは浮かない顔をしつつも立ち上がる。

 ローブのお尻をパンパン叩いて、土埃を払っていた。


 その間、僕は出口の方角を確かめる。

 魔術師の黒崎さんが一緒なら、帰り道は問題ないだろう。


 大量のゴブリンに遭遇したとしても、また僕が壁になって彼女を守ればいいんだし……。

 なんてことを考えていると、ふと、強い視線を感じた。


 その方向を見やると、黒崎さんと視線がぶつかった。


 彼女はトムを抱っこしたまま、熱っぽい上目遣いで僕を見つめている。

 心なしか、頬もほんのり上気しているようだ。


 「ど、どうしたの?」と尋ねかけて、僕はもしやと思い直す。


 この目……。

 まさか、『仲間になりたそうな目』っ……!?


 噂によると、『カードマスター』の強さを思い知ったモンスターなどがするらしい。

 この目をしたモンスターは、カードに封印でき、新たな仲間になってくれるという。


 いや、でもまさか、黒崎さんがそんなこと思うわけがない。

 頭を振って変な考えを打ち消していると、彼女の桜色の唇から、信じられない言葉が紡ぎ出された。


「あの、私……。

 塚見くんの、カードになりたい……」


 黒崎さんの瞳に、磨かれた宝石のような光沢がキラリンと走る。

 彼女は力強い言葉とともに、ずい、と一歩前に出た。


「決めたっ! 私、塚見くんのカードになるっ!」


「ええっ!?」


「ねえ、いいでしょ!? 私、塚見くんのカードになりたい!

 どうやったらなれるの!? ねえ、教えて!」


「な、なんで!?」


「だって、塚見くんは命懸けで私を守ってくれたでしょ!?

 だからそのお返しがしたいの! ううん、それ以上に私、塚見くんといっしょに冒険したい!」


 黒崎さんは思い込んだらまわりが見えなくなるタイプなのか、グイグイ僕に迫ってくる。

 僕はとうとう、壁際まで追い込まれてしまった。


「授業で習ったけど、人間もカードになれるんでしょう!?

 なら、私を塚見くんのカードにして! ねっ、お願い!」


「そ、そんなこと、急に言われても……!」


「なあに、私じゃイヤなの!?」


「とんでもない、全然イヤじゃないよ!

 でもカードになったりしたら、僕にいつでも呼び出されちゃうんだよ!?

 きっと大変だから、やめておいたほうがいいって!」


 すると黒崎さんの胸にいたトムが、「ウニャー!」と肉球を挙げて抗議する。


「ほらぁ、カードの先輩のトムくんもこう言ってるじゃない!

 私をカードにしてあげなさい、って!」


 わーわーニャーニャーとまくしたてられ、僕はとうとう根負けしてしまった。


「わ、わかったよ……黒崎さんを、カードにしてあげるよ……」


 「やったー!」「ニャーン!」と諸手を挙げて喜ぶ、ひとりと1匹。

 もうトムはすっかり、飼い主である僕よりも黒崎さんの味方のようだ。


 「ドキドキ」と顔に書いてありそうなほどに、ワクワクしている黒崎さん。

 僕は咳払いをひとつしてから、彼女に言った。


「カードになるためには、まず僕と両手を握り合うんだ」


 僕がパーにした両手を差し出すと、黒崎さんは「こう?」とその手に指を絡め合わせるようにして握りしめてきた。


 そしてはにかんだように微笑む。

 「こうしてると、恋人どうしみたいだね」と。


 僕は叫びだしそうになった。


 そっ、それだけは意識しないようにしてたのにぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーっ!!


 僕は顔がカッと熱くなるのを感じる。


「どうしたの、塚見くん。顔、まっかっかだよ?」


「な、なんでもないよ」


「そう? で、これからどうすればいの?」


「くっ……お互いの鼻どうしを、くっつけあわせればいいんだ」


「えっ? 鼻を?」


 すると今度は黒崎さんが赤くなった。


「そ、それはなかなか、勇気がいるね」


「だ、だからオススメしなかったんだよ」


 『カードマスター』は強いカードを手に入れれば活躍できるようになるけど、そのカードを増やすにも障壁がある。

 だってそのために、手を握り合せて鼻をくっつけるという、恋人まがいのことをしなくちゃいけないから。


 モンスターってだいたい顔が怖いうえに汚いから、やりたくないんだよね。

 たとえば相手がゾンビとかだと、想像したくもないくらい。


 僕は自分ちのペット相手にやるのがやっとだった。

 でもまさか、こんな美少女とする日が来るだなんて……!


 黒崎さんはモジモジと逡巡していたので、「やっぱりやめといたほうが……」と声をかけう。

 しかしそれがかえって彼女のやる気に火を付けてしまった。


 僕よりもだいぶ背が低い黒崎さんは、キッとした上目遣いを向けてくる。


「ううん、やめない! 私、いちど決めたことを途中でやめるのが大っ嫌いなの!」


 そして彼女は覚悟を決めたように、しっかりと瞼を閉じた。


 別に、目を閉じなくてもいいんだけど……。

 それに、それじゃまるで、キス顔……。


 と言う間もなく、「んっ」と背伸びをする黒崎さん。

 整った顔と髪の毛のいい香りが、ゆっくりとせり上がってくる。


 黒崎さんはいつの間にか、僕の服をキュッと握り締めていた。

 その両手の合間で押し当てられている胸の感触は、信じられないくらい柔らかかった。


 もう情報が多すぎて、頭の中がオーバーヒートしそう。


 とうとう黒崎さんの顔が、僕の視界を詰めつくす。

 黒く光る長い睫毛、その本数まで数えられそうなほどのアップ。


 熱い吐息どころか、唇の湿り気まで感じ取れそうなほどの近さ。

 僕は彼女と、『密着』していた。


 そして、ついに……!


 ……つん。


 小鳥が口づけするかのように、ふたりの鼻先は触れ合った。

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