第3話

 ゴブリンの襲来に、僕はすばやく立ち上がる。


 黒崎さんも立ち上がろうとしたけど、「痛っ……!」と肩をすくめていた。

 どうやら、足がまだ痛むらしい。


「黒崎さんはじっとしてて! 僕がなんとかしてみせるから!

 トム、黒崎さんを守ってあげて!」


 黒崎さんの胸のなかでとろけていたトムは、尻尾を振り返してくる。

 トムは鳴くのが面倒なときは、尻尾で返事をするんだ。


「そんな、ひとりで3匹もゴブリンを相手にするなんてムチャだよ!」


「でも、やるしかないんだ! いいかい、黒崎さんはここを動いちゃ駄目だよっ!」


 僕はそれだけ言うと、黒崎さんの制止を振り切って地を蹴った。


「うおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 迫り来るゴブリン3匹を、両手を広げて吹っ飛ばす。

 倒れたゴブリン1匹に駆けよって、腕ひしぎ十字固めをキメた。


「ギャアアアアーーーーーーーーーッ!?!?」


 手首を掴んで思いっきり力を加えたうえに、指の関節もキメる。

 他のゴブリンが倒れている間に、早期のタップを狙ったんだけど間に合わなかった。


 起き上がってきた2匹のゴブリンは、横になっている僕のそばに寄ってきて、げしげしと蹴りを食らわせてくる。

 腕で身体をかばおうにも、ゴブリンの手を取っているのでできない。


 僕は無防備な顔をさんざん蹴られまくった。


「い、いやあああっ!? 塚見くんっ! 塚見くぅぅぅぅぅーーーーーーーんっ!」


 見ると、泣きそうな表情で手を伸ばし叫ぶ黒崎さんが。

 今にも無理して立ち上がりそうだったので、僕は声で制した。


「黒崎さん、動いちゃダメだっ! じっとして、じっとしてて!」


「で、でもっ、でもっ! このままじゃ塚見くんが、死んじゃう! 死んじゃうよぉっ!」


 腕をキメられていたゴブリンがタップし、ブシュゥゥゥーーーーーッ! と黒い煙となって霧散する。

 僕は鼻血を振り乱しながら、必死にゴブリンの足を掴んだ。


「ぼ……僕はっ、僕は死なないっ! 絶対に、黒崎さんを守ってみせるっ……!

 それまでは、死んでたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 僕は無我夢中で喚きながら、ゴブリンの足首の関節をねじり上げる。


 残った1匹のゴブリンが、とうとう腰からナイフを引き抜いた。

 錆び付いた刃を、僕の顔めがけて振り下ろしてくる。


 腫れあがって真っ赤に染まる視界のなか、僕は死を覚悟した。

 窮地に追い込まれた僕は、何を思ったのかクワッと口を大きく開く。


「こいっ、ゴブリン! 僕の口にナイフを刺してみろ!

 その手ごと喰らってやるっ!

 お前なんかと黒崎さんをふたりっきりにさせてたまるかっ!

 ふたりっきりになるなら、この僕とだっ!

 たとえ僕が死んでも、幽霊になって黒崎さんを守るっ!

 幽霊になって祟って、お前だけはやっつけてやるぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 ゴブリンは僕の挑発に乗って、開いた口めがけてナイフを振り下ろしてきた。

 しかしその凶刃が、僕ののどちんこに触れたか触れないかのあたりで、


「アローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 ……ドシュゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーンッ!!


 横から突っ込んできた魔法の矢によってゴブリンは貫かれ、そのまま吹っ飛ばされていった。


 それから何がどうなったかはわからない。

 雨みたいな粒がぽたぽた顔にあたって、僕は意識を取り戻した。


「き……気がついた! 大丈夫!? 塚見くんっ!?」


 雨の正体は、くしゃくしゃに泣きはらした顔で僕を覗き込む黒崎さんが、しとどに降らせているものだった。


 僕の顔は腫れあがっていて、身体じゅうはズキズキと痛む。

 口の中も切れていて鉄のような味がしたけど、どれも黒崎さんの涙の前には些細なものだ。


 僕は痛みをおして、黒崎さんをなぐさめようとしたけど、声はすっかり掠れていた。


「よ……よかっ、た……。無事、だったんだね……。歩けるように、なったんだ……」


「トムくんのおかげで捻挫が治ったの! ギリギリだったけど、マジックアローが間に合って良かった!

 いま、トムくんが塚見くんのケガも治してくれてるからね!」


 黒崎さんとの顔の間には、灰色の毛玉がいた。

 よく見ると、トムが僕の胸の上で香箱を組んで、ゴロゴロ鳴いている。


「そっか……最後のゴブリンは、黒崎さんが倒してくれたんだ……ありがとう……」


「口にナイフを刺せだなんて、どうしてあんなムチャをしたの!?」


「いや、歯でナイフを受け止められるかな、って思って……」


「ええっ、そんなことできるわけないじゃない!?

 もしかして塚見くん、『曲芸師』の職業ジョブも持ってるの?」


「持ってない……。黒崎さんを守りたくて、つい……」


「も、もうっ……! バカ、バカバカぁ!」


 涙声とともに黒崎さんが覆いかぶさってきて、トムごと僕を抱きしめた。


 ……ぎゅうっ……!


 花のように甘い香りと、マシュマロのような柔らかさに包まれる。

 身体は春の日差しを浴びているかのようにポカポカ。


 僕は理解する。


 ああ、これは夢なんだ。

 でなきゃ、トップアイドルが泣きながら僕を抱きしめてくれるなんてことが、ありえるわけがない。


 これがもし最後の夢だったとしても、これなら悔いなく死んでいけるかも……。

 もっと堪能していたかったんだけど、僕と黒崎さんに挟まれたトムが「グニャー」と抗議の声をあげたせいで、


「あっ、ごめんねトムくん、苦しかった?」


 黒崎さんは、僕からパッと身を離した。


 ゆ、夢の中でまで邪魔してくるなんて……!

 この、イタズラ猫めっ……!


 僕は動けるようになるまで、しばらくのあいだ横になっていた。

 実を言うとだいぶ前に動けるようになっていたんだけど、あまりにも寝心地が良かったから。


 黒崎さんはピッタリと僕にくっついたまま離れようとしない。

 寝そべった僕の耳に、お腹をくっつけるような体勢でじっして、僕の胸の上にいるトムを撫でている。


 ……嬉しいけど、彼女はなんでずっとこんなに近くにいてくれるんだろう?


 ケガが治っていくうちに、身体の火照りも取れていき、僕は次第に冷静になっていく。

 そして僕は、ようやく気付いた。


 黒崎さんがなぜ、僕のそばにいるのかということに。

 そして後頭部を包む、世界最高の柔らかさの正体に。


「うっ……うわぁぁぁっ!?」


 次の瞬間、僕は絶叫とともに飛び起きてしまう。

 胸の上にいたトムが、ダルマみたいにコロリンと転がり落ちた。


「わあっ、どうしちゃったの塚見くんっ!?」


 赤みの残る瞳をまん丸にして驚いている黒崎さん。

 そんな彼女は案の定、正座で地べたに座っていた。


 び……ビックリするのはこっちだよ!

 まさかトップアイドルが、僕をずっと膝枕で看病してくれてただなんて……!

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