交渉上手

 俺とパイセンは、ウナギパイー領に広がる街から50mぐらいの高さまで上昇した。

 ここまで来たらヒトスジー軍が陣取る城門からも、地上の街からも、俺たちの会話が聞かれる心配はないだろう。


 パイセンは周囲の様子を再確認した後、ゆっくりと口を開いた。

「順を追って話すっス。自分が日本から天界に帰って来て、人界の様子を確認してみたところ——」


 今日はキタノ国の使節団に会ったり、ニシノ国へ行ってアイシューに会ったりして、バタバタしてたから忘れがちだけど、俺とパイセンが日本からこの世界に帰って来てから、まだ半日ほどしか経っていないのだ。


「——なんと、既にヒトスジー軍がウナギパイー領に布陣してたんスよ」

 まったくヤレヤレだとばかりに、ため息をつくパイセン。


「俺たちが日本にいる間に、ヒトスジー軍は行動を開始してたってことか。でも、セバスーさんたちがヒガシノ国の王に手紙を出したのは、もっと前の話じゃないのか?」

 俺は素朴な疑問をパイセンに投げかける。


「……ここんトコ、自分はインチキ王国にいることが多かったスよね? だから他国の様子を気にかけてる暇がなかったんスよ」


「でも、天界には女神様が…… いや、何でもない」

 そう、何でもないのだ。

 女神様に多くのことを期待してはいけないのだ。


 女神様は存在しているだけで尊くていらしゃる。

 そういうことにしておいた方が、ほど良い精神状態を保てるということを俺は学んだのだ。


「女神様のことは置いといて…… それで、両軍の間で戦闘なんて起こってないんだろうな?」

 俺はこの点を最も心配していたのだ。


「それは大丈夫っス。ヒトスジー軍を見たウナギパイー家の連中は、戦わずに降伏したそうっスから」


「まあ、それはそうなるか」


 そう、俺は知っているのだ。

 前回のターンで俺は思い知ったのだ。ヒトスジー軍の恐ろしさを。

 おそらく、今の時点でもヒトスジー軍は『人間族最強軍団』と呼ばれていると思う。


 なぜヒトスジー軍が最強なのか。

 それは多くの有能な魔導士が、先代当主である今は亡き天才魔導士、オノレノ=ミチ・ヒトスジー伯爵を慕って、ヒトスジー家に仕官したためだ。

 ただし伯爵家は人材が豊富な反面人件費がかさんでしまい、財政は慢性的赤字状態であるらしい。

 ホニーなんて、本当にケチだからな。



「ヒトスジー軍の異変に気付いたジブンは、慌ててニシノ国に向かったっス。それでホニー氏を脇に抱えて、ここまで飛んで来たんスよ。戦闘を止めるよう、ホニー氏に説得してもらうつもりだったんスけど……」


「え? 失敗したのか?」


「ホニー氏の姿を見たヒトスジー軍の連中が、そりゃもう、やたらめったら盛り上がっちゃって。逆に戦意が上がっちゃったって言うか…… その上、連中に感化されたみたいで、ホニー氏までなんだかやる気になって、困ってたんスよ」


「ホニーは単純だからな。でも…… まさかパイセンまで戦闘に賛成するなんてことはないだろうな?」


 俺の質問を耳にしたパイセンは、少しムッとした表情になった。

「ハア? 賛成する訳ないでしょ? ジブンは平和を愛する女神テラ様の使徒っスよ? ホニー氏と話し合った結果、ヒガシノ国軍がやって来たら、ソイツらの目の前でホニー氏が上級火魔法をご披露することになったっスよ」

 なんだか、上級火魔法を覚えたてのホニーにとって、おあつらえ向きのお披露目会になりそうだ。


「どこかの誰かさんが、しょっちゅうドデカい魔法を使いまくるモンだから、ホニー氏が『アタシもあれをやるワ!』とか言い出しちゃったんスよ」


「うっ…… ま、まあ、俺がよく超級魔法を平和的解決の手段として使うのは事実だが……」


「まったく、マンネリ気味っていうか、ネタ切れっていうか、シモネタ好きっていうか——」


「おい、シモネタは関係ないだろ? どさくさに紛れて、俺をエロいヤツ確定みたいに言うなよ」


「でもまあ、上級火魔法を目の当たりにしたら、ヒガシノ国軍もビビって国許くにもとに帰ると思うっスから、作戦的には問題ないと思うっス」


「ホニーの上級火魔法を見たら、ヒトスジー軍のみなさんも俄然がぜん盛り上がるだろうな。ヒガシノ国軍なんて放ったらかしで、上級魔法修得お祝いパーティとか始めるんじゃないか?」


「また適当なこと言っちゃって…… まあいいっスよ。それじゃあ、ヒガシノ国軍の到着は明日の正午ぐらいになると思うんで、今日は早めに休むようヒトスジー軍の連中に言ってもらっていいっスか?」


「別に構わないけど…… それぐらい自分で言えばいいじゃないか」


「……あの人たち、やたらと盛り上がっちゃって、ジブンの言うこと聞いてくれないんスよ。その点カイセイ氏はヒトスジー軍の人たちから信頼されてるみたいっスからね、ヨッ、ニクイよ、このインチキ王! ……じゃなくて、カイセイ王!」


「調子のいいヤツめ…… わかったよ、このカ・イ・セ・イ王がなんとかしてやるよ。でもいいか、国に帰ったら、国名と王名を変更するからな。絶対に裏切るんじゃねえぞ?」


「わかってるって、助かるっスよ。それからホニー氏のことなんスけど、彼女ってばジブンが日本に帰ったことを知ってるみたいで、さっきからずっと質問責めで——」


「断る!!!」


「ちょっと! なんで即答なんスか? 今までとても協力的だったじゃないっスか!?」


「いいか? ホニーの質問にまともに答えて見ろ、きっと今夜は寝られないぞ。それに今日は日本ネタストッパーことアイシューがいないんだ。質問地獄におちいること間違いなしじゃねえか。俺はオッサンだから、若い頃みたいにオールなんて出来ないからな!」


「なんだよ、都合のいいときだけオッサンになりやがって! いつもは無理して若者ぶってるくせに!」


「べべべ、別に無理なんてしてネエよ! 普段の俺は、いたってナチュラルなヤングガイだ! お前、女神様が見てないからって、お下品な話し方してんじゃネエぞ! 女神様に言いつけて、勤務評価を下げてもらうからな!」


「おい、オッサン! やっていいことと悪いことの区別もつかねえのか!? もし、アタシの給料が下がったら、アンタに補填してもらうからな!」


 この守銭奴のガラ悪使徒め……

 そもそもホニーに変な日本の知識を植え付けたのは、お前とホニーの師匠の田所氏じゃねえか。それなのに、いつも俺に尻拭いさせやがって。


 ここは断固戦う意志を示すためにも、正々堂々更に一層口汚く罵ってやろうと思っていると——


「チョット、アンタたち! なに大声で喧嘩してんのヨ! 地上まで、まる聞こえなんだからネ!!!」

 視線を下に下げると、街の中心あたりに赤い髪をなびかせながら、エラそうにふんぞり返っている少女が見えた。

 どうやらホニーが地上から怒鳴り散らしているようだ。


 ホニーの周りには護衛の人と思われる人が数名いるが、全員息を切らせている。

 きっと城門からここまで、走ってきたんだろう。

 よく見ると、ホニーも肩で息をしているように見える。

 なんだか、みんなに心配をかけたようだ。


「二人とも、早く降りて来なさいヨ! 近所迷惑なんだからネ!」

 本当だ。ホニーや護衛の人を取り巻くように、街の人たちも首を上げて俺たち二人を見つめているじゃないか。


「俺たち…… そんなに大声で喧嘩してたのかな?」

「……不覚っス」

 夕日に照らされたパイセンの顔が、更に一層赤く染まった。



 そそくさと地上に降りる俺とパイセン。

 俺たちが住民の皆さんにいろいろとお騒がせしたことをお詫びした上で、決して怪しいものではないことを力説していると、おもむろにホニーが口を開いた。


「まったく! アンタたち、いい加減にしなさいよネ! アタシが今のこのヤバい状況をそっちのけにして、日本ネタで盛り上がる訳ないでショ!」

 あ…… やっぱり聞かれてたんだな、俺たちの話。


「あーあ。アタシがそんなに常識のない人間だと思われてたなんて、なんだかとっても心外だわワ」


「い、いや、そういうことじゃなくて……」

「そ、そういうことじゃないっスっていうか……」

 いや、実際はその通りなんだけど……


「安心しなさい! ヒガシノ国軍を追い返すまで、日本ネタは封印してあげるワ!」

 なんと! 自信に満ち溢れた表情で、ホニーはとんでもないことを宣言したではないか!


「なんだよホニー! お前、ずいぶん大人になったんだな! 」

「ホニー氏が成長して、ジブンは嬉しいっスよ!」

 これで徹夜は回避されたとばかり、目と目で喜びを伝え合う俺とパイセン。しかし——


「その代わり、この件が片付いたら、6泊7日で合宿をやるんだからネ! 合宿って、なんだか日本の若者になったみたいで素敵じゃない? そういう訳だから、二人とも、とれたての日本ネタを期待してるわヨ!」

 ……ちょっと待てよ。6泊7日って…… 1週間ぶっ通しでやるつもりか?

 中学生や高校生の部活の合宿って、たぶん2泊3日ぐらいが一般的だと思うぞ?

 そんなに連泊するのって、甲子園に出場が決まった高校球児ぐらいじゃないのか?


 お前は、保護者の皆さんの経済的負担を考えたことがあるのか! とホニーに言ってやりたい所なんだけど……

 街の人たちがみんな、俺とパイセンの様子をうかがっている。

『お前たち、ここでまた揉め事を起こすんじゃないよな?』みたいな目で、どうか俺たちを見ないで下さい……


 言えない。合宿なんてやりたくないなんて、今ここで言える訳がない。市民のみなさんの視線が痛い。


 そんな俺の心の内など知る由もないホニーが、ウットリとした表情でつぶやいた。

嗚呼ああ、『日本文化強化合宿』が、今からとても待ち遠しいワ!」


 ……なんだよ、名前まで考えてあるのかよ。

 お前、最初から合宿するつもりだったな?



 俺たちの中で一番交渉が上手いのは、実はホニーなのかも知れない。

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