人事異動

『ヒビキさんは、もっとマイカさんを信頼すべきです! いいですか? ヒビキさんは現在お仕えている女神様とソリが合わないのでしょ? マイカさんはそのことを、とても気にしていたのですよ!?』

 空の彼方から、怒れるテラの声が響き渡る。


「ちょっと待ってよ。なんでウチが女神様を嫌ってるってこと、羽伊勢が知ってるのさ」


『え? ヒビキさんが新しい赴任先の給湯室で、他の使徒たちに女神様に対する愚痴をこぼしてるのは、女神の使徒界隈かいわいでは有名な話ですよ?』


「そんな界隈、聞いたことないよ…… というか、誰だよ、ウチの秘密を漏らしたヤツ。ああもう、思い当たるヤツが多すぎて特定出来ないよ」

 チッ、もう『私たち、友達でしょ?』なんて言葉、信じないからね。



『ヒビキさんは、大天界に『異動願い』を提出するつもりでいるみたいですけど、マイカさん曰く、今の勤務評価では難しいだろうって……』


 確かにウチは『絶対に異動願いを出してやる!』って、いつも言ってるけど……

 なんで羽伊勢は大天界の勤務評価基準まで知ってるんだ?

 羽伊勢の情報収集能力はどうなってんだ?

 アイツはハッキング集団でも配下に置いてるのかよ!


『今回、この世界で臨時の案件を受けてもらい、その成果に対して高評価を付け大天界に報告すれば、ヒビキさんの勤務評価も上がるでしょ? そうすれば、たぶん異動願いも受理されるだろうってマイカさんは言ってましたから! もちろん、評価をつけるのは私ですので、そりゃもう、とびっきりスっごい評価をつけさせてもらいますからね!』

 お人好しのテラが、意気揚々とそんなことを言うんだけど……



「なによ…… それじゃあ、今回の案件は出来レースみたいなものだったの? また…… ウチは羽伊勢のお情けで助けられるのね」

 転生した時もそう。ウチが女神になってからもそう。ウチは羽伊勢の憐れみなしでは生きていけないのか……



「チョット! アンタなに言ってんのヨ! パイセンはマエノー様のことを親友だと思ってるからこそ、いろいろやってるんでショ! なによ、グズグズ言っちゃってサ!」


「も、もう、ホニーったら! マエノー様に対してなんてこと言うのよ! …………でも、私もパイセンさんはお情けとかではなく、本心からマエノー様のことを心配されているのだと思います。パイセンさんは照れ屋っていうか、人からお礼されるのをとても嫌がる方ですから、きっと口では『お前のためにやってるんじゃない』とか、おっしゃると思いますが」


「チョット、アイシュー! アンタ、パイセンのこと、よくわかってるじゃない! そうヨ! パイセンが人に情けなんてかけるわけないじゃない! パイセンはとっても非情で冷酷な人で…… って、あれ? アタシ、なに言ってるんだろう? ああもう! アタシが言いたいのはそういうことじゃなくて……」


「人に憐れみを向けるような、狭量な人物ではないって言いたいんでしょ?」


「そうヨ、アイシュー! アタシが言いたいのは、そういうことヨ! アンタよく言ったワ! 帰ったらアタシのお気に入りの眼帯を、一つあげてもいいわヨ!」


「それは謹んで遠慮させてもらうとして…… パイセンさんは、よほどマエノー様のことが大切なのですね」


「ぐっ…… 眼帯の件は後で話すとして…… アタシもそう思うワ。だって親友のためなら、一生懸命自分の出来ることを考えると思うもの。あーあ、パイセンにそこまでさせるだなんて、なんだか羨ましいな」


『ふふ、本当にそうですね。私もマイカさんとの付き合いは長いのですが、やっぱりマイカさんにとって、ヒビキさんは特別な存在のようです。なんだかちょっと、妬けちゃいますね』


 おかしい。なんだかみんな、とても恥ずかしいことを言い出したんだけど……

 ひょっとしてウチの顔、赤かったりしないだろうな。



「私は幼い頃から『水の聖女』なんて呼ばれていたせいで、周りのいる同年代の人たちからは、ちょっと距離を置かれていたから…… なんだか羨ましいです、そういう関係って」


「チョ、チョット! アイシューってばバカなの!? いいい、今は、その、なんて言うか、あの、アタアタアタシが、いるっていうか、その……」


「も、もう!!! ホニーったら、なに恥ずかしいこと言ってるのよ!!! み、みんな聞いてるじゃないの!!!」


「な、なによ!!! アタシは別に、アンタなんて——」


 顔を真っ赤にしたホニーとアイシューの、愛情のこもった口喧嘩が始まった。


 まったく、二人とも素直じゃないんだから。

 口では相手のことを悪く言ってるけど、もしどちらかに困ったことが起きたとしたら、きっと全力で相手のために全力を尽くすんだろうね……


 でも……

 よくよく考えてみると、日本で交通事故に遭って以来、確かにウチは羽伊勢に劣等感みたいな感情を抱いていたかも知れないけど、昔はウチだって羽伊勢のことを大切に思っていたじゃない。実は今だって本当は……


 ウチの唇の隙間から、吐息と共に言葉が流れ出した。

「あー、もう、二人とも喧嘩はやめなよ。なんていうか、その…… ありがとうね。なんだか昔のことを思い出したよ。なんて言うか…… 自分よりもずっと年下の子に、大切なことを教えてもらった気分で…… ちょっと恥ずかしいね」


『あの、私もいますよ? 私のことを忘れてはいませんか?』


「…………年下の子と、人生経験豊富なお姉さんに、大切なことを教えてもらいました……」


『いやだ、ヒビキさんったら! 私の年齢についてはふれないで下さいって言ってるじゃないですか!』


「……ねえ、テラ。おチャラけてるところ申し訳ないんだけど、話を本題に戻してもいいかしら?」


『あっ、しまった! ハイ…… お願いシマス……』


「テラたちはこの後、今までさんざん話に出てきたフードを被った森林族の男を探すってことでいいのよね?」


『その通りデス……』


「なら、天界からニシノ国が見えないと、捜索が大変になるわよね?」


『おっしゃる通りデス……』


「わかった。それなら、最後にひと仕事して帰るとするよ。ねえ、教皇、ここまで放ったらかしにして悪かったんだけど…… 以前使っていた聖堂会の通信ネットワークはまだ使えるよね?」


「えっ? あの…… マエノー様のお声を、全ての聖堂会に伝えるために作ったアレですか? 確かマエノー様が、『給食の時間に、放送室から各教室に今日の献立を伝えるみたいなヤツを作れ』と言われたため、なんのことやらわからない我々が、血の滲むような努力をして作り上げたアレのことですか?」


「…………本当に悪かったと思ってるけど、そのアレだよ。なあ、お前、ひょっとして今度はドSに目覚めたりしてないよな?」


「いえ、私は生粋のドMですので、そのようなことはありません」


「お前の性癖は置いといて、そのネットワークを今、使わせてもらえないか?」


「まさかとは思いますが——」


 教皇の言葉をさえぎり、ウチは強引に話を続ける。

「なあ、頼むよ。これは命令じゃなくてお願いだ。最初で最期のお願いだよ」


 ためらいの表情を見せた教皇だったが、ひとつ、ふたつと息を吐いた後、意を決したように口を開いた。

「では何点か確認させて下さい。まず、マエノー様はご自分の意志にかかわらず、もうすぐこの世界から去らねばならない。間違いありませんか?」


「ああ、そうだ。別にこの世界が嫌いとか、そういうことじゃないさ」


「では、今回のように、またこの世界に戻ってくることは可能である。そう理解してもよろしいのですね?」


「まあ、しょっちゅうは無理だろうけど、またテラからの依頼があれば、この世界に戻って来ることは可能かな」


「……………………わかりました。そういうことなら、テラ…… いえ、今世代女神テラ様に協力致しましょう」


「アンタたちには、本当に悪いと思ってるんだけど——」


「皆まで言われますな。我々がお仕えするのは、マエノー様只お一人のみ。マエノー様なき聖堂会など、なんの興味もありません。しばしお待ちを」


 教皇は力のない声でそう言いながら笑うと、幹部たちを引き連れて聖堂会の建物の中へと歩みを進めた。


 教皇のヤツ…… ウチがこれから何をしようとしているのか、だいたい想像がついているみたいだ。


『えっ! ヒビキさん、いったいこれから何をするつもりなのですか!?』

 ……テラはまったく想像がついていないみたいだ。

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