旧ナンバーズ諸国領の動乱 編
ダメ人間になったセイレーン卿
ここは執務室の隣にある職員休憩ルーム。
王都からトンズラした下級貴族の館を勝手に拝借して、俺の宿泊施設兼仕事場所にした建物の中にある、スピリチュアルでハートフルなルームだ。
俺はこのルームを家臣のみなさんの憩いの場にしようと思い、お茶やらお菓子やら、そして座り心地の良さそうなソファーなんかを用意して、リラックスすること間違いなしの部屋にしたつもりだ。
職員の福利厚生を考えるのは、大事なことだからな。
でもそれって、王様の仕事というより、会社の経営者が考えるようなことであるようにも思うが……
まあいい。
とにかく俺は、家臣のみなさんが、いきいきと働ける職場づくりを目指したのだ。
しかし——
現在、このイカしたルームに誰も寄り付こうとしない。
その理由は……
「ハァーーーー」
職員休憩ルームを一人で占拠しているセイレーン卿が、大きなため息をついた。
そう、この男が辛気くさい顔でこのルームを占領しているため、誰も寄り付かないのだ。
「なあ、セイレーン卿。朝っぱらから、もうため息をついてるのかよ」
俺はあきれ顔でつぶやいた。
ちなみに、セイレーン卿に年齢を尋ねたところ、なんと俺より歳下の34歳だと言うではないか。
めちゃくちゃ落ち着いた雰囲気のある人なんで、てっきり俺よりも年上なのかと思っていたのに。
まあそういう訳で、彼の年齢を知って以降は、なんだか職場の後輩のように思えてきたのだ。だから俺は、堅苦しくない話し方で彼と接するようになったという訳だ。
実際にところ、家臣のみなさんって、俺より年上の人が多いんだよ。
なんだかスゴく気を使うんだよ。
だから、セイレーン卿のような若い人材は、俺の精神衛生上とても貴重なのだ。
そういえば日本にいた頃、年上の部下の扱いに苦慮していると、愚痴をこぼしていたヤツがいたな。
その話を聞いた時は、『俺、万年ヒラ社員だから、そんな苦労とは無縁だな』なんて思ってたんだけど……
ハァ…… なんで俺、王様になんて、なっちゃんたんだろう……
さて、ただいまの時刻は午前9時。
ここのところ、セイレーン卿は、朝から夕方までこの部屋でため息を撒き散らし、なんの仕事もせず家に帰って行く。
アンタ、優秀な人材なんだろ?
ちょっとは仕事しろよ。
「パイセン様は、今日もお美しい……」
うつろな目をしたセイレーン卿の口から言葉が溢れた。
そうなのだ。この人は美人を見ると、魂を抜かれたようなダメ人間になってしまうのだ。
絶世の美女である女神テラ様を見たときも、こんな感じだったな。
女神の使徒パイセンも無駄に美人だから、こうなるんだよな……
「おい、セイレーン卿! しっかりしろよ!」
「はっ! こ、これは陛下。いつからそこに? ひょっとして、陛下は瞬間移動も出来るのですか?」
「……出来ないよ。さっきからずっとここにいたよ。なあセイレーン卿、しっかりしてくれよ。ここのところずっと、心ここにあらずって感じじゃないか。ケッパーク卿にも怒られてただろ」
「も、申し訳ありませんっっっ! 私は世の美しいものを見ると、どうも他のものが目に入らなくなってしまうようで…… 自分でも、このままではいけないと思っているのですが」
『世の美しいもの』なんてカッコいいこと言ってるけど、それって単純に、美女に目がないってことじゃないのか?
天界から来たパイセンは、しばらく人界に留まりこの国のために働いてやると言っている。
うーむ…… セイレーン卿がこのままパイセンの近くにいたら、きっと本物の救いようのないダメ人間になってしまうだろう。
よし、これはもう人事異動しかないな。
パイセンが天界に帰るまで、どこか他の部署で頑張ってもらうことにしよう。
職員の適切な部署選択も、王様の大切な仕事だ、たぶん。
「ハァーーーー」
また、セイレーン卿が大きなため息をついた。
「セイレーン卿、うるさいよ…… アンタがここにいると、他の家臣のみなさんが、このハートウォーミングなルームを使えないんだよ。とにかくこの部屋から出て行ってくれよ。おい、セイレーン卿、俺の話を聞いてるのかよ……」
ダメだ。俺の言葉が耳に届いていない。
仕方ない。こうなったら強制的に、セイレーン卿をこの部屋から連れ出そう。
さて、どこに連れて行こうかと考えていたところ……
「そうだ。昨日の会議で、『北西郡』の動向が怪しいっていう報告があったな」
「え? そんな報告ありましたっけ?」
「……おい、セイレーン卿。お前、昨日の会議の話、聞いてなかったのか」
「私は世の美しいものを見ると、どうも他のものが目に——」
「それはさっき聞いたからもういいよ! そういえば、会議にはパイセンも同席してたからな……」
仕方ないので、俺はセイレーン卿に、昨日の会議の内容を話してやることにした。
昨日の会議では、旧ナカノ国の地方領主たちの動向について、クローニン侯爵から報告があった。
地方領主たちのほとんどは、俺たちが新しく成立させたインチキ王国——今後、この国名は絶対に変更してやるからな——への帰順を願い出ているようだ。
俺は特に何もしていないのだけれど。
前国王が逃げ込んだ南部の都市周辺の領主以外は、ほぼ新王朝の傘下に入ったと考えていいという話だった。
俺、なんにもしてないんだけど……
何度も言って恐縮なんだけど、俺、本当に何もしてないんだよ。
なんだか俺って、ものすごく怖い人だと思われているみたいで、ちょっと哀しい。
ただ、『北西郡』については、何やら揉め事が起こっているとの報告があった。
この地域は、数年前に旧ナカノ国が新しく版図に加えた地域で、元々はナンバーズ諸国があった地域だ。
ナンバーズ諸国のうちの、
この地域にいるエラい人たちの多くも、俺のいる王都に来て帰順を申し出たいらしい。
だが、この地域の一番エラい人である北西郡統括代官ってヤツが、彼らの通行の邪魔をしているとの話だった。
「そういう訳だから、これから一緒にその『北西郡』を視察に行こうじゃないか。なあに、俺の風魔法を使えば、あっという間に『北西郡』に到着するよ」
「え? 私、パイセン様の側から離れるのは嫌なんですけど?」
……コイツめ。俺は無理やりセイレーン卿の腕を掴むと、風魔法を使い、部屋の窓から大空目掛けて舞い上がった。
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