間話 6歳のホニーと日本から来た師匠

 私の名前は田所文蔵、56歳。日本から来た転生者で元地方公務員だ。日本で交通事故に遭い命を落とした後、とても美しい女神様のおかげでこの世界に転生させてもらったのだが……


 残念ながら、私はおっさんだ、いや、おっさんがすぎるのだ。56歳で剣と魔法でしのぎを削り合う世界に転生させられても、はっきり言って体力が続かない。どうせ転生するのなら、もうちょっと、まったりとした世界に転生させて欲しかったのだが……


 まあ、贅沢を言っても仕方ない。どうせ一度は死んだのだ。それなら残りの人生は女神様からのプレゼントだと思い、この世界で自分の出来ることを懸命にやるだけだ。



 そんなことを思っていたところ——


 ——コン、コン


 私の部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「ホニーかい? 中に入っておいで」


 私が答えると、とても可愛らしい少女が部屋の中に入ってきた。


「おはよう師匠! 今日も師匠の講義、とっても楽しみにしてたんだから!」


 ハキハキと言葉を発するこの少女。名前をホホニナ=ミダ・ヒトスジーと言う。6歳という年齢に見合わない、とても難しい言葉をあやつる聡明な少女なのだが……


 以前この子が、『師匠には、特別にアタシのことを、ホニーって呼ばせてあげるわ』と言ったため、私は彼女のことを『ホニー』と呼んでいる。ちなみに彼女は私のことをなぜか『師匠』と呼んでいる。有り体に言うと、ちょっと変わった女の子なのだ。


 この少女は、私が居候させてもらっているヒトスジー伯爵家の第二子で、なんでも魔法の才能に溢れているそうだ。


 この少女の父親、マホウノ=ミチ・ヒトスジー伯爵は稀代きだいの変わり者として有名だとか。それはそうだろう。私のような戦闘能力皆無の転生者の面倒を見てくれているのだから。




「やあ、よく来たね、ホニー。今日も元気なようで私も嬉しいよ」

 私は笑顔でホニーに語りかける。


「ええ、それはもう! アタシったら、師匠が話してくれた、昨日のお話の続きが気になってしょうがなかったんだから!」


「……ん? そうなのかい?」


「ねえ、左手に魔の力が封印されてた男の子、やっと真の力に目覚めて左目から暗黒のドラゴンを出せるようになったんでしょう? それからどうなったの?」


 …………ああ、そうだな。確か昨日そんな話をしたっけ。


 勢い余ったホニーが、私の右腕にしがみついてきた。それを見た、彼女の後ろに控えていた初老の執事が低い声でつぶやく。


「……お嬢サマ、タドコロ様が困っておいでですよ。もうチット、おしとやかにシネエと…… いや、なさいませんと」

 初老の執事が低い声で言葉を発するや否や——


「ヒイッッッ! わ、わかってるわよセバスー。それから、もっと陽気に話しかけてって、いつも言ってるでしょ!」


 ヒトスジー家の使用人達が手を焼いているこのお転婆お嬢様を、たった一言でビビらせてしまうこの初老の執事。名前はセバスーという。なんでもこの人は元盗賊団の首領だったそうだ。この国有数の魔導士であるヒトスジー伯爵に捕縛された後、処刑を免ずる代わりとしてホニーの教育係に指名されたとか。


 なんだそれ? いくらヒトスジー伯爵が変わり者だとはいえ、そんな人事があっていいのか? いや、それは言いますまい。これでも私は元公務員デス。どんな理不尽な業務命令でも黙って従う。これが私の生き方なのデスから!


「ねえ師匠。アタシも頑張って魔法の勉強したら、その男の子みたいに、左目からドラゴンを出せるようになるの?」

 好奇心旺盛な瞳を真っ直ぐ私に向けて、ホニーが尋ねてくる。


「ふっ、ホニーは素直ないい子だね。昨日の話は私の息子が中学生のころ、とある病気にかかっていた時の話で………… ヒッ、ヒイッッッ!!!」


 ホニーの背後にいるセバスー氏が、私を睨みつけている。怖い…… とても怖い…… オシッコちびりそうだ……


「あ、ああそうだね。き、きっとホニーも頑張って魔法の勉強をしたら、目からドラゴンを…… 出せる…… ような気が……」


 ハァー…… 全く生きた心地がしない……


 私がヒトスジー伯爵から依頼された仕事はたったの一つ。それは、私が持つ日本の知識を使って、この少女から魔法に対する興味を引き出すことだ。なんでも、この少女は魔法の才能に溢れているにも関わらず、全く魔法の勉強に興味を示さないんだとか。


 しかし…… こんな嘘っぱち、彼女に教えて本当にいいのか? この子が大きくなって真実を知った時、私、殺されたりしないだろうか? 念のため言っておくと、この世界にドラゴンなど棲息しないし、まして暗黒の力など存在するはずもない。そんなファンタジーがあってたまるものか。あっ、でも、ここも一応ファンタジー世界だっけ。


 そんな私の頭の中の逡巡しゅんじゅんを察したのか、セバスー氏は小さくコクリとうなずいた。


 これはきっと、『嘘でもなんでもいいんだよ。要は嬢ちゃんがヤル気になりさえすりゃあ、それでいいんだ。グズグズしてるとブッ殺すぞ、このクソ野郎』って意味なんだろうな…… これはもう、やるしかない! そう、私はどんな業務命令にでもいい々諾だくだく々と従う男だ!


 私は昔とある病にかかったウチのバカ息子の話を続けることにした。そう、これは仕方のないことなのだ。だってホニーってば、ウチのバカ息子の話にやたら食いついてくるんだから。他の日本の話なんて、さっぱり興味を示さないくせに!




 落ち着きを取り戻し、私は出来るだけ冷静に口を開く。

「で、では、暗黒の力を手に入れた男の子の、その後について話をしようか……」


「ええ、お願いするわ!」




「えっと、その男の子はね、暗黒の力を手に入れた後、孤高を好むようになったんだよ」


「ええ、それはそうでしょうね。だってそんな強大な力で誰かを傷つけたら大変だもの」


 ……違うんだ。変なことばっかり言うもんだから、友達がいなくなったんだよ。




「よ、よくわかったね。まだ闇の力を上手くコントロール出来ないから、強大な力が暴走を始めちゃってね」


「まあ、それは大変ね」


 ……ああ、大変だったよ。あのバカが、『暗黒竜召喚』とかわめいて、学校中のガラスを割りまくったって先生から連絡があった時、私は心臓が止まりそうになったよ。




「まあ、無理して力を使った代償として、その男の子もかなりの傷を負ったんだ」


「えっ、なんだか心配だけど…… でもその男の子ならきっと大丈夫だと思うわ」


 ……大丈夫なもんか。ガラスの破片で右手が何か所も切れて、いったい何針縫ったと思ってるんだ。病院の先生にはあきれられるし。なんで暗黒竜を召喚しようとして、右手だけ怪我するんだよ? 明らかに右手で物理的にガラスを割っただろ?




「えっと、その後なんだけど。そうそう、その男の子の力を巡って、いろんな勢力との確執があったんだよ」


「まあ! 他の勢力も、男の子の力を欲したのね」


 ……そんな力、誰が欲するもんか。病院から帰った後、あのバカと大ゲンカになったんだ。私が最後に『これ以上バカなことするんなら、この家から追い出すからな!』と言ったら、流石にあのバカも、学校で暗黒竜を召喚することは諦めたようだが。




「それ以降、男の子は大きな魔法の使用を控え、コッソリと行動するようになったんだ」


「でも誰かはきっと、男の子の行動に気付いていたハズよ! きっとそうに違いないわ!」


 ……まったくその通りだよ。近所のアケミちゃんが、『ねえ、おじさん。さっき公園でおじさんトコの息子が、一人でブツブツ変なことつぶやいてたよ。なんか精霊と交信してるんだって』と教えてくれたとき、私は溢れる涙を止めることが出来なかったよ。




「ふぅー………… あっ、えっと、確かに誰か気付いた人はいたかも知れないね。でも、やっぱり男の子はずっと、世界から隔絶した場所で生きていたわけだよ」


「へえー、大変そうね。でも、なんだかそれもカッコいいわ」


 ……どこがカッコいいんだか。通知表の通信欄に『奇行がおさまらず、友達が一人もできません。なんとかして下さい』って書かれた親の気持ちを察して欲しい。




「あっ、思い出した。男の子は、それでも一人で魔法の訓練を続けてたんだった」


「エライわ。そんなにスゴイ力があるのに、まだ練習するなんて」


 ……通知表の通信欄の続きに、『放課後、一人で教室に残って魔法陣を書いてます。何度注意してもやめません。気持ち悪いのでどうにかして下さい』って書いてあったっけ……




「ま、まあ練習は大事だね………… そうだ! そんな彼にも、唯一心を許せる『友』がいたんだ」


「なによソレ! なんだか素敵じゃない。きっと二人の間には、強い友情の絆が結ばれてたのね!」


 ……悪いな、ホニー。『二人』じゃないんだよ。『一人と一匹』なんだよ。あのバカ、どこからか勝手に猫を拾ってきやがって…… なんでも名前はトリエイグルで、種族はケット・シーなんだと。でもトリエイグルのヤツは、美味そうにキャトフード食べてたけどな。




「そ、そう、友は大事だよね…… あっ、そうだ思い出したぞ! 友と言えば、あのバカ、一回だけ家に女の子を連れてきた…… コホン、失礼。そういえばその男の子は、とても美しい女性に出会ってたんだ」


「まあ、素敵! なんだかロマンティックな話ね!」


 ……あのバカが家に女の子を連れて来るって言うもんで、私と母さんは、それはそれは期待して待ってたんだ。そして、その女の子が家にやって来て、自己紹介をしたのはいいんだが…… 確かこんな内容だったな——


『初めまして。わたくし、サンクチュアリ・エインヘリアルと申しますの。この世界のことはまだよくわかりませんが、よろしくお願しますわ、パードレ、マードレ』


 なんだその挨拶? ツッコミどころ満載じゃないか? ウチのマードレ、いや母さんの笑顔が一瞬にして凍りついたっけ…… なんでもネットで知り合ったとか言ってたな。


 そうそう、それから何年かして、私は偶然、街で彼女を見かけたんだ。私が『やあ、サンクチュアリ・エインヘリアルさん、久しぶりだね』って言ったら、彼女、顔を真っ赤にして逃げて行ったな。いやー、今となってはいい思い出だよ。




「チョット師匠! なに感慨にふけってるのよ!」

 おっと、昔の思い出に浸っていたようだ。ホニーが頬を膨らませて怒っている。


「ごめんごめん。えっと、どこまで話したかな?」


「もういいわ。大切なのは最後よ。その男の子、最後はどうなったの?」


「そうだねぇ…… そう、ある日、男の子は気づいたんだよ。この力を使うのはまだ早いって。そうして男の子は暗黒の力を再び封印することにしたんだ」


「ふーん。じゃあ、まだ終わりじゃないってことなのね。もっと時間的なゆとりを持って、きっと計画的に魔法を使おうと考えたのね」


 ……反対だよ。高校受験が目の前に迫ってきて、流石にあのバカも焦ってきたんだ。焦ったあのバカが恥ずかしそうに『父さん、俺、塾に行きたいんだ』と言った時、私はこの長い戦いにやっと勝利したと、涙を流して喜んだものだ。




「……そうか、ホニーは『まだ終わりじゃない』って思ったんだね。うん、そうだね。彼の人生は、まだこれからも続いて行くんだからね」

 きっと愛すべき我がバカ息子は、これからも日本で元気に生きて行ってくれることだろう。我が孫はどんな中学生になるんだろうな。バカ息子が持ってた眼帯を、親子二代で使うことにならないよう心から祈ってるよ。


「ハァー、なんだかとってもいい話だったわ。最後がハッピーエンドにならないあたりが、なんだか信憑性があって、とっても素晴らしかったわ」


 ……そうなのか?あのバカ息子も今では真っ当な社会人になってくれたんで、私にしてみればハッピーエンドなのだが?


「師匠、お話ししてくれてありがとう! アタシも魔法の勉強をもっともっと頑張るわ。そして素晴らしい友達を見つけて、それからステキな運命の人に出逢えるよう頑張るの!さあ、魔法の練習に行くわよ、セバスー!」


 ……え? 私、そんなイイ話をした覚え全くないんだけど…………


 ホニーは勢いよく私の部屋から走り去っていった。ホニーの後に続くセバスー氏が私の方を振り返り、少しだけ笑顔でコクリとうなずいた。


 それはきっと、『やればできるじゃネエか。無駄飯食らいのワリには、まあまあの仕事ぶりだったゼ』という、ご褒美の意味のこもった微笑だったのだろう。



 ♦︎♦︎♦︎♦︎



 未来のホニーが信頼をよせる 心優しき我が日本の同胞 様


 前略

 ここまでお読みいただきありがとうございます。私、田所文蔵でございます。出来るだけ事実に即して表現したいと思い、ここまで会話調で記述させていただきました。


 上記の話は全て事実です。いくら私が法令遵守を愛する元公務員とは言え——セバスー氏は私にとって、もはや法なのです——ホニーに対してとても不誠実な態度をとってしまったと後悔しています。


 いえ、それだけではありません。きっと私は今後も、ホニーのやる気を引き出すため、中二ネタを利用することでしょう。申し訳ありません。だってセバスー氏、本当に怖いんです。


 そこで、将来ホニーが出会うであろう、我が親愛なる心優しき日本の同胞にお願いがあります。私は今あなたが読まれているこの手紙をホニーに託します。もしあなたがホニーと出会ったとき、まだホニーが中二病をわずらっていたならば、どうかホニーを真っ当な人間に戻してやって下さい。


 私はこの仕事が終わり次第、どこかへ身を隠すことにしています。だって、こんな嘘っぱちがバレたら、私、本当に殺されかねないんで。それでは後のこと、どうかよろしくお願いします。




                       探さないで下さい  田所文蔵



 ♢♢♢♢♢♢



 俺の名前は岸快晴。心優しき日本の同胞だ。


「チョット、カイセイ! 古代ルーン文字の解析はもう終わったの?」

 ホニーが大声で俺に尋ねてくる。


 まったく、なにが古代ルーン文字だよ……



 ホニーが言うには、師匠から、


『この紙には古代ルーン文字が書かれている。おそらく、とても重要なことが書かれていると思う。残念ながら、私ではすべての内容を解読することはできない。君が成長して信頼できる日本人を見つけたら、この紙に書かれている内容を解読してもらいなさい。それまで誰にも見せてはいけないよ』


 と言付けられたそうだが……


 なんだこれ? 普通の日本語で書かれた手紙じゃないか。ホニーが日本語読めないからって、好き勝手書きやがって。しかもなんだよこの内容。読んでてちょっと面白かったぞ?


 それから、セバスーさんって、元盗賊団の首領だったんだな。通りで怖いはずだよ……

 そう言えば、ヒトスジー軍の隊長ホノーノさんは、セバスーさんに対して『積年の恨み』があると言ってたっけ。ひょっとして、若い頃はお互いヒトスジー軍と盗賊団に身を置いて、しのぎを削り合っていたのかな?


 ちなみに、ホニーやセバスーさんたちの名前は、間所さんトコの自動翻訳機能が訳した俺にとって聞き覚えのない名前になっていたので、適時、俺が脳内で変換しながら読み進めたことをお断りしておく。



 それにしても、この田所さんって人…… まあ、息子さんのことで大変だったのはよくわかったけど、なんで俺がこの人の尻拭いをしなきゃならないんだ?


 仕方ない。ちょっとホニーに確認してみるか。

「なあホニー。お前、もし一人で精霊と交信してる人を見たらどう思う?」


「ハア? そんな人いるわけないじゃない」



「じゃあ、もし俺が突然、サンクチュアリ・エインヘリアルさんって人を連れてきたらどうする?」


「エ? なんて言ったの? 聞き取れないんだけど?」


 よし、大丈夫だ。ホニーは中二病をわずらってないぞ。誰が何と言ってもわずらってない。反論は認めないからな!



 俺はホニー向かってしみじみと語りかける。

「なあ、ホニー。いつか絶対、二人でお前の師匠を見つけ出そうな」


「別にいいけど…… でも、師匠の消息って、ホントにわかんないんだけど…… あっ、そうか! アンタなら見つけられるかも」


 ふふふっ、ハッハッハッ、アーハッハッハーーーーーー!!!!!!


 残念だったな、田所文蔵56歳! えっと、今は61歳になってるのか?

 俺にはユニークスキル『広域索敵』と『人物鑑定』があるんだよ! アンタがどこに隠れようと、絶対に見つけ出してやるからな!!! 責任は自分で取ってもらうぞ!


「でも、もし師匠にまた会ったら、アタシなんて言えばいいのかな?」

 ホニーがなにやら心配そうな表情でつぶやく。


「ん? どういうことだ?」


「だって、アタシまだ暗黒のドラゴンを召喚できてないのよ? やっぱり、そろそろ本格的に召喚を試みるべきかしら?」


 …………今の言葉は聞かなかったことにしよう。ガラス割って怪我しても、この世界には外科医なんていないんだから。どうか学校の先生から電話がかかってきませんように。

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