第4章 王都編

39 王都①

  王都への定期便は、トリム港からトリティエ湾へ出航し、海岸沿いを南西方向に進んだ。


 しばらくすると、切り立った断崖絶壁を伴ったジーク岬が見えてきた。以前は見下ろしていた巨柱の連なりを、今は左手に見上げながらシーナ海峡を通過。


 なんか不思議な感じだ。


 そして、岬を回り込むように南東方向へ進路を変え、しばらく進むと大きな島が見えてきた。


「大司教様、あれが祭礼を行うミトラス聖霊島です」


「思っていたよりも大きいですね。海から山が突き出ているみたいだ」


「はい。霊峰ミトラスとも呼ばれ、島のほぼ全てがひとつの山から成ります。路面は整備されていますが勾配がきつく、実際に登ってみると山頂まではかなりの距離があります」


 だよな。このサイズの山だ。鍛えていなければ、登るのは大変だっただろう。


「【登攀】のスキルレベルを上げておいてよかったです。実物をみるとそう思います」


「今の大司教様であれば、山頂まで確実にたどり着くでしょう。私もお供させて頂きますが、 この度の大祭は素晴らしいものになるでしょうから、今からとても楽しみです」


「クラウスさんが居て下さるのは、私もとても心強いです。無事に務めを果たすことができるよう王都でも全力を尽くすつもりです」


「儀礼的な作法は既にひと通り習得されていますから、王都のミトラス大神殿では当日と同じ祭具を使用しての全体予行演習と精神の鍛錬が行われる予定です」


「精神の鍛錬ですか……。心してかかります」


「大祭は参加する神官の人数も多く、大神殿では参加者に共通の課題が与えられ、大祭前の最後の修養を全員で行います。この期間を共に過ごすことにより、連帯感が増し、心をひとつにして神の御前に進み出ることが出来るように成るのです」


「大仕事ですね。これが六祭礼の最後のひとつですから、良い形で成功させたいです」


「きっとそうなると思います。王都が見えてきました。あの尖塔の元に我々の行く大神殿があります」


 *


 予想していた通り、観光する暇もなく修行に突入した。


 まだ陽が昇らない内から、起床の鐘とともに起き、平服に着替える。


「黙想室」には、大勢の神官が集い、それぞれ指定された座席に座っている。


 皆、一言も喋らず音も立てない。聞こえるのは互いの呼吸音だけだ。


 ……こういうところの作り込みがすごい。


 NPCにも各自呼吸音が設定されているのか、集合音として流しているのかは区別つかないが、息づかいひとつひとつまで、とてもリアルだ。


 俺も着席し、目を閉じた。


 心を落ち着け、周囲から意識を切り離し、自分の内面に集中させていく。


 …… 深く深く、沈思の海に潜るように。



 ◇



「黙想」の指導教官から指示されたのは、


 ・自分の過去の振り返りをする。


 ・今まで意識的に、あるいは無意識に遠ざけてきたことや、心にわだかまることを探していく。


 ・そういったことを見つけたら、それについて、自由に、素直に思考をめぐらせてみる。


 ・本当はどう思っていたのか。どうしたかったのか。なぜ自分はそうしたのか。

  日々の忙しさに流されて、通り過ぎていってしまったものを、丁寧に掘り起こす。


 ・そうやって過去の自分をひとつひとつ見つめ直し、整理していくことで、自我の奥深くに潜り込んでしまっている、無意識の自分に会合する。


 これを繰り返すことで、知らなかった自分の一面や、表に顕われていなかった本心を自覚し、個としての自分を確認するそうだ。


「思考を広げましょう。今見えているあなたは、あなたのほんの一部が表に顕われているに過ぎません」


「あなたがこれまでの人生で積み重ねてきたものは、もっと厚く折り重なるようにあなたの中に積もっています」


「それを見つけ、解き、心をひとつにすることで、自分に与えられている多くの選択肢に気づき、正しき道へ導かれることでしょう」


「黙想」の合間には、「説法」の時間もあり、「祈り」とは、「義」とは、「徳」とは…といった概念論が多く語られる。


 *


 正直、大丈夫か運営? ……って思った。


 ここまでやる必要がある? だってこの宗教、実在しないんだぞ(しても困るが)。


 つまり、この「教義」やら「儀式」やらは、一応フィクションのはずだ。既存のものに似過ぎているかもしれないが、運営の誰かが作った〈創作物〉に過ぎない。


 なのになんだこのリアリティは……。


 ゲームだと割り切って受け流せばいいだけだと分かっている。真面目にやったって、人によってはどうってことのない課題だ。


 だけど。


 過去に潜行すると、どうしても避けられないことがある。


 俺の過去は……、母を失ったあの時点で一旦止まり、そこを境に二色に塗り分けられている。


 幸せだった子供の頃。


 家族の笑顔があって当たり前のものだと疑いもしなかった。親から与えられるものを、ただただ享受して、惜しみなく与えられる愛情に満たされていた。


 ……それを失った12歳を境に、俺はずっと自分を誤魔化してきた。


 世の中にはもっと辛い思いをしている人が大勢いるとか、俺がしっかりしなきゃ父さんを困らせるとか。


 本当は泣きたくて。


 心細くて。


 誰かに行き場のない憤懣をぶつけたくて仕方がなかった。

 周りの幸せそうな人たちを見るたびに、羨む気持ちも止められなかった。


 ……だから、忙しさを理由にして、人と深く関わるのを無意識に避けていたんだと思う。


 過去の温もりを伝える思い出は、俺の〈憧憬〉そのものだ。


 心の奥深く、最も柔らかい場所にギュッと凝縮されて隠れている。

 そうしておかないと、消えてなくなってしまうんじゃないかと、小さく小さく……身を竦めて。



 *



 このクエストを作った人が、何を考えてこんな課題にしたのかは分からない。


 俺は今まで、これほどただひたすら考えるなんてことはしたことがなかった。

 本音なんて自覚しないように、自分を顧みることもしてこなかった。


 ゲームの中で何やってんだろ、俺。


 こんな誰が覗いているか分からない状況で、思考するのを止めることができない。真綿で包み、壊れてしまわないようにくるんできたものが、初めて圧力をもって内面から押し上げてくる。


 出たかったのか。


 本当はこんなに出ていきたかったんだ……。


 泣きたい気持ちも、


 羨む気持ちも、


 憤りも、


 全部一緒くたでいい。


 殻に閉じ込めていなくても、もう壊れたりはしない。


 ………だって母さんは、いつも言っていたじゃないか。


 人と人が触れ合う温もりは……、本当に温かくて……、全てを包んで癒してくれるものだって。


 俺はもう……。



 *



「終了の時刻です。皆様、次の説法の開始までしばらくご休憩下さい」


 …………。


「大丈夫ですか?」


「………はい。一旦、私室に戻らせて頂いてもいいですか? 教官殿に宜しくお伝え下さい 」


「承知いたしました。あまりご無理をなさらないように。まだ時間は十分にありますから」


「ありがとうございます。……そうですね。しばらく部屋で休んでくるかもしれません」


 私室に引き上げてログアウト。混乱してる……少し整理する時間が必要だ。



 *


 

《運営モニター室》


〈ピーッ! ピーッ! ピーッ!〉


「おい! イエローアラームだ」


「4番モニターに表示します」



「……出てきた。えっと、場所は……王都のミトラス大神殿。なんだ、戦闘エリアじゃないのか」


「珍しいですね。非戦闘エリアだと、大抵は屠殺場なのに」


「情動メーターが、イエローライン越え。下がらないな」


「状況は、上級職への転職クエスト中。課題『黙想』を消化中とあります」


「あれか。『要注意』・『要観察』マークが付いていたクエストだよな」


「そうですね。この課題は、受ける対象によっては、心理面で大きく影響が出る可能性がある……と注釈が付いています」


「……全く。そんなの作るなよ。1人目でイエローが出てるじゃないか」


「こういった、人の心に働きかける課題は、やはり『要注意』ですね。メーターイエローのまま下がりません、……というか緩やかに上昇傾向でしょうか」


「ふーむ。調整を入れるように進言しよう。緊急ログアウトのリスクの高い案件だ。このプレイヤーには、問題が起こらない内にさっさと課題をクリアしてもらった方がいい」


「どういたしましょうか?」


「……とりあえず室長権限で、情動メーターの振れ幅に比例してスキル取得経験値を上げる。それなら既に鋳型があるはずだ。直ぐ対応できるだろう」


「はい。プレイヤーのログアウト待ちですが、修正を入れることは可能だと思います」


「上には俺が事後報告を上げるから、技術班へ連絡を頼む。最優先事項だって言ってな。あと、確か他にもこれと似たような課題があったよな?」


「はい。まだ受講者はいませんが、『瞑想』にも同じ注釈が付いています」


「そっちも調整がいる可能性があるな。クソッ。こういうのはβでちゃんと確認しておけよ」


「AIの予測はあくまで予測に過ぎないってことですよね。VRは、アバターこそ作り物ですが、中身は生身の人間なわけですから」


「……全く。忙し過ぎるぜ。モニター室の人員をもっと増やせよな。24時間シフト組んでカツカツじゃないか」


「技術班も帰れないみたいですよ。いつ行っても、誰かが床に転がっています」


「あの部署も苦労しているよな。つまり悪いのは企画だな。リアリティ、リアリティ、うるせえんだよ、あいつら」


「構想班にも問題があると思います。趣味に走り過ぎるきらいがあります。企画からきた話を、膨らませ過ぎるというか、故意に拡大解釈してますね、あれは」


「苦労するのは、実行する技術班と尻拭いする俺たちだな」


「そうですね。以前、屠殺場で緊急ログアウトが相次いだときは、どうなることかと思いました」


「グロ映像にリアリティ追求とか、頭沸いてんのかって怒鳴っちまったよ、あん時は」


「あれはスッキリしました。あの人たち、常識がなさ過ぎますから、あれくらい言って当然です」


「だよな。やつら全然こたえてなかったけどな」


「本当に、図太いですからね、あの人たち」


「VRでトラウマ作成とか、洒落になんねえのが分かってない」


「自分たちが強靭な神経をしているから、分からないんでしょうね。1人くらい止める人がいてもよさそうなものなのに、揃いも揃って……あっ。メーター下がりましたね。どうやら課題が一旦終了したようです」


「大事にならなくてよかったぜ。あとはプレイヤーのログアウト待ちだな」



「では、技術班へ連絡を入れてきます。早く対応してもらえるように、直接部署まで足を運びますので、戻るまでしばらくかかると思います」


「おう。宜しく頼む。さて。俺は報告書の作成だな。この事例のデータをダウンロード、保存して……」


「……やれやれ。独り言が多くなっちまったぜ。全く。第四弾投入も間近だし、これでボーナスが増えなきゃ割りに合わないぜ」


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