第2章 第二・第三の街

002 閑話 十二歳の夏

 

 12歳の夏に、母さんが死んだ。


 何か特別なことがあったわけではなく、前の日はいつものように3人で夕飯を食べて、いつものようにベッドに入った。


 次の朝起きたら、らしくもなく慌てた様子で父さんがやって来て、


すばる、母さんの様子がおかしい。まずいかもしれない。父さんは、119番してくる。お前はこの部屋で待っていろ。学校は休め。いいな?」


 驚いて、父さんの顔を見上げると、今まで見たことがないくらい真剣な顔だった。


 これはただ事ではないな。……と子供心にもそう感じて、言われたように部屋でおとなしくしていた。


「父さんは、母さんと一緒に病院へ行くから、お前は家にいろ。婆ちゃんを呼んだから、2時間程したら来てくれるはずだ。隣の三井さんにも頼んであるから、何か困ったことがあったら相談しろ。飯は、悪いが婆ちゃんが来るまでなしだ。冷蔵庫の中のものは食べていい」


 慌ただしく告げる父さんの声に、頷くだけで精一杯で、何も聞き返すことはできなかった。


 しばらくして、サイレンの音が近づいてきて、家の前でフッとその音が消える。そして、救急隊の人たちによって担架に乗せられた母さんと一緒に、父さんは救急車に乗って病院へ向かった。



 ◇



「何が悪かったわけでも、誰がいけなかったわけでもない。ただ、運が悪かった」


 母さんの死亡診断書を書いてくれた年配の医師が、父さんにそう言ったそうだ。


 …… 俺は、他人事ひとごとだから簡単に言うよな。って当時は思ったけど、今になるとわかる。


 あの言葉は ……


 母の最後の時に一緒にいて、気づかないまま遺族になった父と、そして俺が、


  「自分たちが悪いわけじゃない、何もできることはなかった、仕方がないんだ」


 って、母さんの死んだ理由を自分自身に求めないようにと気遣ってくれた、いたわりの言葉だったんだ。

 


 *



 母の死因は「肺塞栓はいそくせん」。


 耳慣れない言葉だが、エコノミー症候群に絡んで一般に知られるようになった病態で、突然死の原因になる。若年者に起こることは珍しく、40代から増え始めて、高齢者に多い。


 ……それが、俺たちから母さんを奪ったものだった。


 実感が湧かないまま母さんを見送り、父さんと二人で火葬場から家に帰ってきたその日。


 父さんがポツリと、


「昴、婆ちゃん家に行くか?」


 って聞いてきた。


 俺のことを心配した婆ちゃんと、今現在婆ちゃんと同居している伯父さん夫婦が、しばらく俺を引き取ってもいいって言ってきたそうだ。


 でも俺には……。


 ここ二、三日で急に小さくなったように見える父さんから離れる理由はなかったし、


 それに、


 伯父さん一家の幸せそうな様子や、俺の顔色を見ながら心配して話しかけてくれる温情にも、当時は耐えられる気がしなかった。



 ◇



 父さんと男二人きりの生活は、とても大変でとても忙しく、仕事をしながら俺の世話をしてくれた父さんには、感謝の言葉しかない。


 初めは失敗ばかりだったけど、父さんも俺も少しずつ家事を覚えて、新しい生活にも慣れて時間に余裕が出来た頃、やっと母さんのことを思い出すことができた。


 ……… 涙が止まらなかった。


 どうして死んじゃったんだよ。


 もっとずっと一緒に居たかったのにって。俺にはわからなかったけど、父さんもどこかで泣いていたのかもしれない。ふとそう思った。



 ◇



 転勤でいろんな街に引っ越した。


 景色が変わって、俺も成長したけど、あれ以来、俺の内側の何かが埋まらない気がずっとしている。


 なんだろうな……。言葉で表すのが難しい、もやもやっとしたもの。そうだな。ひと言でいうなら、「熱い思い」……かな。


 グツグツと体の奥底から熱せられて、抑えても抗って湧き上がってくるような、そして、一旦溢れてしまえば、その流れに身を任せてしまいたくなるような、そんな何か熱い塊に、俺は触れてみたくなっていた。


 でも。


 近々、そんな熱さに俺は出会える気がする。


 それは予感?


 ……… 外れても何の責任も取らないけどな!

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