『地下トンネル』の先にあった『マイホーム』

っていうお店もあったんだよ。


それではみなさん。いいですか? よーく、聞いてください。

あの角では「絶対に」長居してはいけません。理由は、わかるよね。

3番君と4番ちゃんが教えてくれたあの話に全部があります。あの場所には、まだお腹を空かせた桜の木が残ってるの。木の根っこはまだ枯れてない。

そういうこと、でしょう。




あーあ。たくさん話したから喉が渇いちゃった。

うー、ごほっ、ごほっ。

あ、だいじょぶだいじょぶ。たまにあるんだ。こういう風に咳が出るの。




えっとね、次の話だよ。


私の前の家。土砂で埋まっちゃったんだけど、隣町のすぐ近くにあったの。

その家のすぐ近く。家から見えるくらいほんとに近くに、トンネルがあったの。

両方とももうないんだけどね。




次の停留所は地下トンネル。

からの、わたしの家。


まもなくー、当バスは地下通路を経由しないでー

自宅直行!


くらぁい地下トンネル。

そして

懐かしいマイホーム。




今、帰るよ。お父さん、お母さん。

あの日、土に呑み込まれたトンネルの先にあったはずの私の家。

私の、家族たち。


今、帰るよ。帰れなかった、変えれなかった、あの日の運命。


あの日は雨が降っていてね。

朝、お母さんが雨合羽を着せてくれたの。お気に入りの長靴もしっかり履いて。大好きなおかずがぎっしり入ったお弁当もしっかりランドセルにしまって。

それでも、心配性なお父さんは雨が強いからって傘を持たせてくれた。お父さんはその日、たまたまお仕事がお休みだった。

たまたま、2人とも家にいたの。


あの日も雨が降っていてね。

朝からずっと、その前の日からも、その前の前の日からもずっと雨が降っていてね。

学校でお弁当を食べて、5時間目を短縮した時間で終わらせて。


そうだ。サイレンが鳴り始めたから。


早く帰りましょうってことになったんだ。

ほとんどの人は大丈夫だろう。でも、隣町に近いほど危険になるだろうから、特に私みたいな外に住む人は、避難してください。そう先生に言われたんだ。

学校にいれば安全だったんだろうけど、私は家が心配になった。所々が切り崩された山のすぐ近くにあった私の家。そこにいるはずの家族たちが心配になった。


私は家に帰った。帰ろうとした。

ランドセルの中には空になったお弁当箱をしまって、朝のように雨合羽を羽織った。長靴を履いた。

雨も、サイレンも、止むことはなかった。


ねえ。私は何度も何度も桜の木にお願いしたよ。お母さんとお父さんを守ってくださいって。中の人たちと一緒に、私も、私の家族も守ってくださいって。何度も何度も祈った。

ねえ。もし私の傘に特別な妖精が住んでいて、もしその傘を家に置き忘れてきていたら。妖精は私の家を守ってくれたかな。


でも、私の手の中に残った傘には誰も住んでいない。桜の木も、私に言った。


「お前の家は外にある。だから、手が届かない。お前の家は助からない」


助けられないんだって。遠すぎて、手が届かないんだって。

誰も助けられなかったの。それはしょうがないことなんだ。

誰かが悪いってことでもないよ。それは、もう、わかってる。わかってるんだ。


でも。でも。でもね。

大人になった今でも思うんだ。

もしあの時、もう少しだけでも早くトンネルを抜けることができたら。どこかのヒーローみたいにカッコよく、みんなを手を引っ張って助け出せたのかなって。

そんなの、できっこないよね。

なら、土砂で家が埋まる直前に時間を戻す? 入り口が消えるその瞬間に、時間を止める?


違う! 違う!!

そうじゃないの!

そうじゃ、ないんだよ。


どんなに何回あの瞬間に戻れたって、あの日亡くなった人たちを取り戻すのはできない。そんなのは解ってる。だって、今この瞬間にあの人たちはいないんだもん。

もう、私の心の中にはあの時から時間を進めた人たちはいない。


今ここに、お母さんもお父さんも生きていない。それが全部なの。

卒業式も、入学式も、成人式も。どんなお祝い事だって、ほんとはいつも家族と一緒に迎えたかった。いつも一緒にいようって、言ってた。

言ってたのに。




みんな、先にいっちゃった。




ごほっごほっ。

ごめん、ちょ、ごめん。

はあ、ごめんね。

あの時のこと思い出すといっつもこう。

落ち着こう。うん。大丈夫。落ち着いて、ふう。

よし。大丈夫。


えっとね、どこまで話したっけ。

ああ、そうだ。


雨が降っててね、ずっと降ってて、サイレンが鳴ってた。土砂崩れが起きる可能性があります。近隣のみなさんは避難してください。

そういう放送が何回も入ってた。

避難するべきだったの。でも、私の住んでいた地域は、避難できなかった。

一本道しかなかったの。その地域と桜ヶ原の中を繋げる道。一本の、トンネルだった。

そのトンネルが、その時だけ使えなかった。


みんな、何でかわかる?

一本のトンネル。


地下通路だよ。

あの時、たまたま七不思議の四つ目がそのトンネルと繋がっちゃったの。


桜ヶ原の人なら七不思議を知ってる。いつもと違う雰囲気のトンネルを見て、きっと誰かが四つ目を知ってたんだね、誰もそのトンネルを通ろうとしなかった。だって、誰も助からなかったんだから。

その時トンネルを通ってても、誰も助からなかったんだよ。

地下通路は一方通行。入ったら戻って来れない。だって、途中で食べられちゃうんだから。ね、そうでしょ? 18番ちゃん。




地下通路に喰われるか、土砂に呑まれるか。そのどっちかしかなかったんだよ。




小学校から小さな私は急いで帰ろうとした。

私の家は学校から結構距離があって、子どもの足じゃ数時間かかっちゃうくらい離れていた。だから、いつも登下校はバス通学だった。

雨が激しくなってきていて、道路に並ぶ車たちはちっとも動いていなかった。長靴の中にまで水が入ってきちゃいそうなくらい道には水が溜まっていた。

そんな状況で、バスなんて動かせるはずがないんだよ。

学校自体が避難所として人を受け入れ始めた時だった。小さな私は突然、不安になった。お母さんがいない。お父さんがいない。帰りたい。帰れない。帰らなきゃ。おうちに帰らなきゃ!


そこで私を拾ってくれたのがね。

あの車掌さんだった。


校門を出て、桜並木の先でうろうろビチャビチャ、深い水溜まりに突っ込んでは泣きそうにしていた私を、あの車掌さんは文字通りすくい出してくれた。というか、担ぎ上げてくれた。


「こんなとこでなにしてる」


「おうちに帰りたいの」


おうちに帰らなきゃだめなの。

今、家に帰らなきゃいけない。そんな気がしていた。なんだか、お母さんとお父さんにもう会えないような気がして。

子どもってさ。時々、すっごく勘が鋭い時ってあるよね。直感的に何かを感じ取るの。ああ、だからか。大人より子どもの方が「連れて」いかれやすいのって。目が合いやすいからだよ、きっと。


小さな私は車掌さんとしっかり目を合わせて、こう言った。


「おうち、帰りたい」


私と同じように雨の中に立つ車掌さんの制服は、いつもと変わらずにいた。


ぐずる私の手を引いて、車掌さんはバスに乗った。


「行けるのはトンネルの前までだからな」


こうして、私たちは雨道を走った。




バスはバシャバシャ水の道を進んでいった。どうやってかは覚えてないよ。頭の中は、もっと早くもっと早くってことで一杯だったから。

ただただ、家に帰り着くことだけを願ったの。


バスがトンネル前のバス停に着いた頃には、雨がもうどしゃ降り。

車掌さんはトンネルの入り口ギリギリまでバスを寄せてくれた。

私は、扉が開いた瞬間に飛び降りて、お礼も言わずにトンネルの中へ駆け込んだ。


その時、後ろから車掌さんの声がした気もしたわ。でも、そんなことなんかには構ってられなかった。


私は長靴をグッチャグッチャいわせながら精一杯足を動かした。入り口か出口からは、ヒューヒュー音が鳴っていた。冷たい、ううん。生ぬるい風がトンネルの中に漂っていた。

いつもより寒くて冷たい、暗いトンネルだった。私は走った。足下をバシャバシャぐちゃぐちゃ鳴らしながら、ただ走った。


でも、出口に出ないの。


走っても走っても、出口にたどり着けないの。


足下は水で溢れてた。


いつもとどこかが違う。そう思ったのは、走るのに疲れてしゃがみこんじゃった時だった。


ねえ、18番ちゃん。

地下通路にはたくさんのモノが落ちているよね。

小さかった私の足下にもね、たくさん落ちていたよ。


長靴が、真っ赤に染まってたの。


(…ざく)


ほんとに怖い時って、悲鳴なんか出ないのよね。


(ざく)


その時までは、雨の水がトンネルに入っちゃってるのかと思ってた。でも、そんなことは普通ない。ちゃんと排水されるような設備があるから。ある、はずだから。


(ざくざく)


いつもと同じような、違うトンネル。擬態して、獲物を待ち構えて、大口を広げてる、大きくて長い、地下通路。


(ざくざくざく)


大きくて、長い


「蛇!」


真上からきらりと何かが光った時だった。気づいたら、私は車掌さんにランドセルごと後ろに引っ張られていた。

すっぽりと彼の腕の中に収まった私は、頭の上から聞こえる叫び声を理解できないまま耳を傾けていた。ぼんやりといろんなことが頭を過ぎていった。

あの車掌さんが怒鳴ってる。すごく寒い。雨が。水が。真っ赤だ。良い匂い。車掌さんの、匂い。生っぽい臭い。知ってる、におい。真っ赤っかだ。真っ赤。

へび。へび。


「おい、ここから出るぞ」


不意に、車掌さんが私を抱き抱えて声をかけてくれた。

すごく、すごく優しい声だった。

そして、周りを囲んでいた剥き出しの歯たちにこう言った。


「一昨日来やがれ」


低い声で、いつもダメな大人を叱る時のように彼は言った。ううん、ちょっと違うかな。あれは喧嘩を吹っ掛けるみたいな言い方ね。ほら、私もよくするあの言い方。

小さな私はというと、昨日も一昨日も来たよ? そんな的外れなことを思ってた。とにかくね。超ヤンキーオーラむんむんな車掌さんに地下通路の怪異は怯んだの。すぐそこまで近づいていた歯の音が止んで、徐々に遠ざかって行ったんだ。

さっすが、私の大好きな車掌さん。


車掌さんは私を抱き抱えて走り出した。小さな私はまるでお姫様のようだって、はしゃいでた。のかな。

違うな。うん、違う。

本当は、本当はね。

私、じっと見てたんだ。


バシャバシャ音がしてた。


私、わかってたよ。車掌さんが私を落とさないように、強く抱いてくれてた理由。


バシャバシャ音がしてた。

足下は、真っ赤にまっかに染まってた。


見てほしくなかったんだ。

トンネルの中も、私の長靴も、車掌さんの靴も裾も。真っ赤に染まってた。


バシャバシャ音がしてた。

それは雨の音なんかじゃなくて、足下の水が跳ね上がる音だった。その水は、真っ赤にまっかに染まってた。

バシャバシャぐちゃぐちゃ染めるその赤は、血の色だった。

誰かの、血の色だった。

地下通路に喰われた人たちの血が、バシャバシャ音を立ててたんだ。




あんなに長かったトンネルを、彼はあっという間に駆け抜けた。

トンネルを出た瞬間、外はどしゃ降りで、足下にびっちゃり着いていたものは雨と一緒に流されていった。

ああ、外に出たんだ。いつもの向こう側だ。おうちに帰れたんだ。そう思いたかった。


「お母さん! お父さん!」


彼の腕から飛び降りて、私は家に向かった。目の前には家の門が見えていた。いつもみたいにお母さんが出てきて、おかえりって言ってくれる。今日はお父さんもいるから、三人で晩ごはんが食べられる。


私、帰ってきたよ!


でも


ごほっ


でも、私、


ごほっごほっ


間に合わなかった。


もうちょっとで足が玄関に届きそうだったの。もうちょっとで玄関の扉に指が届きそうだったの。自分の心臓の音以外、なんにも聞こえなかった。お母さん。お父さん。二人を呼ぶ声も、聞こえなかった。

届かなかった。


ごほっごほっごほっ


目の前で、真っ黒な蛇が口を開いて全部を呑み込んでいったわ。家も、雨も、誰かの悲鳴も、向こうにあった山も。

右隣の家にはね。ワンちゃんがいたの。可愛いまだ仔犬のワンちゃん。雨が上がったらね、撫でさせてもらう約束をしていたの。

左隣の家にはね。お医者さんになるんだって医大を何回も受験してた頑張りやさんのお姉さんがいたの。春から大学生だって笑って話した。


みんな。みんな。

呑み込まれちゃった。


ごほっ。


朝にはね。お母さんもお父さんもいたの。笑って、行ってきますって言ったの。言ってたんだよ?

でも、最後のただいまだけは言えなかった。私がほんのちょっとだけ間に合わなかったから、最後に会えなかったんだ。


ごほっごほっ。ん、大丈夫。

私ね。ずっとただいまが言えなかったことだけがつっかえて残っちゃってたんだ。でも、違うんだね。ただいまじゃなくて、帰ってくるよって約束できなかったことを後悔していたんだ。

あの日、ただいまって言ってみんな一緒に呑み込まれちゃえばよかったって思うこともある。でも、違うんだよね。

小さな私の手を引っ張って、生き残る方にいさせてくれたのはあのバスの車掌さん。


私、あの人が好きです。好きなんです。

だから、最期の一瞬まで側にいたい。

時間がずいぶん経った今だからこそ、お母さんとお父さんにそう言える。

もしもあの時いなくなった人たちと話せるならね。絶対、みんな私のこと構ってくれると思うんだ。

やれその後どうしたとか、ちゃんと元気にやってたかとか。

そんな人たちに、私ははっきり言ってやりたい。


「今、彼に猛アタックしてんだから邪魔すんな」




全部をなくして泣き叫ぶ私を、彼はずっと抱き締めてくれていた。

今でも覚えてる。

彼の匂いは桜の花の匂いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る