『オリオンは高く』
赤いポストを見ると手紙たちのこと、ちょっとだけ、思い出すかな。
思い出すだけで、もう絶対に書くことはないと思うんだけど。
さてさて、次のお話ですよー。
桜ヶ原にはたった一ヶ所だけ池がある。一度は埋め立てられて、不思議なことに復活した池。その池にはこれまた不思議な砂時計が沈んでいる。
ってね。
出席番号14番の担当した七不思議、三つ目。
ああ、また会いたいなぁ。会えるかな。会えるよね。また、会えたね。
会えたよね、私の同級生。
時間軸はいつでも真っ直ぐじゃないのかもしれない。
昨日から今日を通って明日へ向かう? それは誰が決めたこと? 太陽が顔を出して、背伸びして、眠りにつく。それを一日として、ひたすら繰り返す。地球は回る。くるくる回る。一回回るごとに、一日という命を消費する。そういうことじゃないの?
そういうことじゃないの。
私の言ってる時間軸っていうのは、そういうことじゃないの。
時間軸っていうのは未来に向かってるのを前提で一つの事象の変化を観察したものらしいね。あれ? 時系列の方だっけ?
んんんー?
わかんなくなっちゃったな。珍しく難しいこと言おうとするとすぐこうだ。
えっとね。
こうかな。
時間は未来に向かって強制的に進むの。寝てても朝は来るし。嫌でも日曜日は終わって月曜日がやってくる。夏休みは始まって過ぎ去って最後の三十一日で毎年地獄を見て宿題が終わらなくても九月一日がやってくる。
例えばそれを一本の矢印、棒として考えるの。
で、その矢印棒は下から上に向かって伸びてるとしよう。うりゃ。
これの下が過去、上が未来ね。
そこにー。ぱんぱかぱーん! メモ帳が登場! これを無限メモと名付けよう。
無限メモはすごいんだぞー? あった出来事とかを書いてメモできるんだ。しかも、出来事があった瞬間に。
書かれた無限メモはさっきの矢印棒に突き刺さっていく。下が古いの。上が新しいの。
つまり、過去から未来方向に向かって順番に出来事が並べられていくんだよね。
で、多分なんだけど、死ぬときには分厚ーい無限メモの束が。ううん、そこまで行くともう分厚い本なのかな? そういうのが出来上がる。
何年何月何日何時、細かく細かく並べられた紙の束。きっちり順番通りにね。
本になっちゃったらページを入れ替えるなんて無理でしょ?
でも、それって一枚一枚無限メモを動かないように固定していくからなんだ。
何年何月何日、こういうことがあった。はい、終了。これで完成にしちゃうから動かなくなっちゃうんだよ。
ただし。
これは時間軸、時系列の軸となるものが時間だから。
私たちの同窓会は時間を軸に話してないよね。
高校生の頃の話をしていたり、小学生の頃の話をしていたりの大人になってから、社会人になってから、中学生の頃。みーんなバラバラ。
大事なのは出席番号順にするとっておきの話ってことだけ。
私なんて、あっちこっち話の時間が飛びまくってるよ。
模範にするなら十番君のだよね。きっちり一年のことを順を追って話してる。
そうそう。余計なこと多くなっちゃたね。
あれ? バレた?
難しいようなことを話して内容は全然正確じゃない。正しいか間違ってるか確証もない。そんな話をしたいんだ。
次の話は、曖昧な部分が多すぎるんだよ。ほら、十四番の話みたいにね。
で、ね。
私の話はほんっとに時間がバラバラ。バスが通る停留所っていう話をしてるのにさ。
その理由は簡単なんだよ。
私が乗ってるあのバスは、停まるかもしれないし留まらないかもしれない。停まった停留所だけを順に並べると、本来並んでるはずの停留所から見ると当然穴だらけ。
もしかしたらさ。あのバスって。
全部の停留所を回るために走り続けてるのかな。
そう思うときがあるんだ。
どうかな? みんな。
ここが要点、テストに出すよ!
次の停留所は砂時計。
まもなくー、当バスは池に沈む砂時計ー
を空に大きく映す大星座。
オリオンは高く。
あの形、私にはどうしても砂時計にしか見えないんだよね。
車掌さん、貴方にはどうですか?
これはいつの話だったかな?
えっと、そうだ。
私が二十歳を迎えた日。
知り合いに連れられて初めての居酒屋に行って、初めてのお酒を飲んだ夜。
こいつ酔ってないから大丈夫だろ。そう言われて家に帰された。
一人で。
ふざけんな。初めての飲酒でどうなるかわかんないのに放置するな。
今ならそう言うだろうね。
夕方から呑み始めたから、まだ比較的早い夜間の時間。それでもタクシーを呼んだ方がいいだろうな。
今ならそう判断ができるだろうね。
自分はアルコールを摂ると眠くなりやすい。それに、あんまり強くない。
飲み会の回数をこなしてきた今ならわかる。
甘いカクテルほど度が低いわけじゃない。がばがば飲みすぎると危険。
いくつか種類を試したから実証済み。
全部、全部今だったらっていう話。
でも経験値0の勇者にとって武器を持つのも選ぶのも使うのも初めてでドキドキよ。
何だって一回目がある。その一回目は、うまくいくかうまくいかないかわかんないコイントスみたいなもの。
あ、私、今かっこいいこと言った?
一人で帰れと言われた私は、いつも通りバスに乗った。
無意識だったのかもしれないし、運命だったのかもしれない。
ふらり、と足を乗せたいつもの車掌さんが運転するあのバス。そして、座ったいつもの座席。
がたん、とバスが発車した。
後ろの方から苦しそうな呻き声が聞こえた。座っていたのは顔を真っ青にした酔っぱらいたち。
ああなりたくなかったら、今度から呑み方には気を付けよう。
ぼんやり、とそんなことを思いながら前を向いた。
小さな男の子と母親が乗ってきた。
「おねえちゃん、よっぱらいー」
「こら」
「よっぱらいだぞー、がおー」
「あはははははは」
私と男の子は小さな声でふざけあった。
母親は、しょうがないわねと言って、声だけ小さくするよう私たちに注意した。
バスは夜道を走った。ただひたすら、真っ暗な夜道をライトで照らしながら。
私は、いつの間にか目蓋を下ろしていた。
「おい、起きろ」
目を開いたとき、これは夢かと思った。
目の前には屈んだ車掌さんの顔があった。バスは止まっていて、他の乗客もいなくなっていた。
「うー、起きてる」
「あー、大丈夫か? これは何本だ?」
「ぶいさいん」
私はまだ、酔いから覚めきっていなかった。車掌さんが立てた人差し指一本を、Vサインだと言っていたらしい。これは酔っていたね。
酔っぱらいのターンはどこまで続くのかわかんなかったけど、とりあえずそのバスに乗っていれば大丈夫だと安心していた。だって、そのバスにはあの車掌さんが乗っているんだもん。大丈夫だよ。
といっても、いつまでも頭がぽやぽやフラフラしているのは良くない。ほら、よく言うでしょ? 酒の適量は薬にもなるけど、多すぎると毒になる。もしかしたら、飲んだ量が多すぎて体がアルコールを分解しきれていないのかもしれない。急性アルコール中毒で死んでしまう事例だってあるんだよ。そんな最期、いやだ。
自分はどういう状態なんだろう。みんな、初めてはこんな感じなのかな。ぐるぐるする。フラフラする。あつい。頭、ぐるぐるする。
でも、すぐ側に車掌さんがいる。
そこで私は言ってはいけない言葉を吐き出した。
「………吐く」
気持ちが悪かった。
誰かが言った。
酔えば酔うほど強くなるのだと。吐けば吐くほどアルコールには強くなるのだと。うん。関係ないね。関係ない話だったね。
おえっぷの意味で私は気持ちが悪かった。
「やばいやばい」
「くそ、こんなときに」
「歩けるか? 動くぞ。降りるぞ」
「暗いからな。ライトつけてるが気を付けろよ」
「ゆっくりでいいからな」
「ほら、屈め。吐くか? 一人で吐けるか?」
「向こう向いててやるから。すぐそこにいるって」
「水、水持って来るから」
ここで待ってろ。
頭の中はぐらぐらしていたけど、車掌さんの声ははっきり聞こえた。珍しく焦った声。安心させるためか、口数が多かった。
茂みの中で屈んだ私は吐いた。最悪だね。最悪の気分だね。でも、笑っちゃった。
私のためにあの車掌さんが焦ってあれこれしてくれるの。暗くて顔がよく見えなかったのが勿体なかった。
「水」
車掌さんが戻って来て、水のペットボトルを一本手渡してくれた。と思ったけど、すぐにそれは奪われた。
「悪いな。開けてから渡すべきだった」
がり、と蓋を開封する音が聞こえた。そして、今度は蓋が外された状態で渡された。
「………あざ、っす」
完全にグロッキーで、ちゃんとありがとうとは言えなかった。でも。
「わかってるから」
ありがとうは、ちゃんと彼に届いたみたいだった。
口をすすいで、その後でごくごくと水を飲んだ。お酒なんかよりそっちの方が断然おいしかった。
「落ち着いたか」
後ろから声がした。
「すいませんでした」
今度はしっかり謝れた。水と冷たい空気のおかげで意識もはっきりしてきていた。
車掌さんは言った。謝るようなことをしたのかって。悪いことをしたわけじゃないんだから、いつも通り笑っていろって。
さっきまで焦っていた彼が夢だったかのように、いつもの車掌さんがそこにいた。
周りは暗くて、バスのライトで照らされた私たちの場所しか見えなかった。
「ここ、どこ?」
車掌さんは屈んでいた私の横に並んでぽつりと言った。
「砂時計って知ってるか」
少し前まで、この町にはたった一ヶ所だけ池があった。その池は、外の人たちによっていとも容易く埋め立てられた。その池には、河童たちが村をつくっていたとも聞く。その池には、昔から、この町が桜ヶ原と呼ばれ始めるより前から、砂時計が沈んでいるのだと聞く。
そうだよ。七不思議の二つ目、砂時計だ。
「二つ目、ですか」
「知ってるじゃないか」
車掌さんは、ふ、と笑った。そんな顔、私は見たことなかった。
「池を埋めるなんて、何考えてるんだか」
「外の奴らなんてそんなもんだ」
見てみろ。車掌さんは後ろを、バスが停まってる方を指差した。バスの向こうには、大きなマンションが建っていた。
「あの下に、池があったんだ」
ごぽり、と水の音がした気がした。
「そのすぐ手前にな、バス停があった」
そうだ。昔は、池のすぐ横をバスが走っていた。池の工事が始まってすぐに、バスの通る道は変えられたんだけど。
懐かしくない? 池の横を走るバス。水はいつでも綺麗に澄んでいてね、大きな大きな甲羅がぷかぷか浮いているの。キラキラ光る水面すれすれに鳥が飛んでいって、小さな魚が跳ねる。
この池の何処かに、七不思議の砂時計が眠っている。そう考えるだけでも不思議な気持ちになった。
そんなの、もうなくなっちゃったんだけどさ。
「なんでそんなことするんでしょうね」
掠れた声で、私は聞いた。車掌さんに聞いても、きっと答えは返ってこない。そう思っていたけど、聞きたかった。
「知らん」
ほらね。車掌さんって、そういう人だから。
「知るわけないだろ」
「ですよねー」
空は真っ暗で、まだまだ朝は遠そうだった。月も出ていない、冷たい夜だった。
私と車掌さんはバスに乗った。
出入口の扉を開けっ広げにして、ライトを消して。たくさん話をした。
いつも走っているバスに乗るように、車掌さんは運転席へ。私はそのすぐ後ろの席に座って。たくさんたくさん話をした。
運転席の前にある大きなガラスから見える、更に大きな夜空を見ながら、私たちはバスが町の中を走っているときのように話をした。
ふと、思い出して、私は指を伸ばして言った。
「知ってます?」
席を乗り越えて、運転席の前にある大きなガラスを星座の形に沿って指を走らせた。ガラスの形に切り取られた夜空の中には小さく小さく光る星たち。
冬の星座、オリオン座だった。
小学校の理科の授業でも習う、有名な星座が冷たい空に輝いていた。
「オリオン座っていうんですよ」
「砂時計だろ」
何のことかと思った。車掌さんが言う「砂時計」がオリオン座のことなのか、それとも池に沈んでいたはずの七不思議のことなのか。
何処かで、ぴちょんと水の落ちる音がした気がした。
私は、車掌さんの顔を見た。そんな私に気づかない車掌さんは、まっすぐに前を見ていた。
彼が、車掌さんが、星座を見ていたのか、星座の形に似ている七不思議を思い出していたのか。そんなことは私にはわかんない。でも、どこか哀しそうな顔をしていたその夜の彼を、私は覚えている。
そういえば。車掌さんは思い出したみたいに声をあげた。彼は、私の顔を見てこう言った。
「今日、誕生日だったんだな」
自分でも忘れかけていたことだった。というか、誕生日で二十歳になったから酔い潰れるっていう失態を繰り出したんだけどね。
マジで恥ずかしいよ。せっかくの誕生日に限って、好きな人に吐いてるとこ助けてもらうなんて。
でもね。
そんなことも忘れちゃうくらいのいい笑顔で、車掌さんは私に言ったんだ。
「誕生日、おめでとう」
今世紀最大の誕生日プレゼントだった。
ほらね。こういうとこが車掌さんなんだよ。
冬の夜空を見上げると思い出す。
特別な二十歳の誕生日。砂時計と、星座。
夢を見ているみたいだった。
夢の、中にいるみたいだった、あの夜。
でも、次の日の朝に目が覚めてみれば、机の上には知らないパッケージの水のペットボトル。ご丁寧にも二日酔いっていうおまけまで付いてきてたけどね、最高の誕生日だったと思うよ。
「あれを見ると、懐かしく思う」
あの夜、最後に車掌さんが言った言葉が、水の音と一緒に掻き消えた。
オリオンは、今年の冬も夜空に姿を現すだろう。
大きな大きな砂時計は、今も変わらず空高くで輝き続けている。
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