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 ボーン、ボーンと録音された音声からは寺の鐘が聞こえる。事件現場付近には寺なんかないのに、ましてや大晦日でもないのに真夜中に鐘を鳴らす寺がどこにある。岩波はここでようやく自分が摩訶不思議な現象の中にいるのだと気がついた。


 いな、気づくべき要素なら何箇所もあった。水島哲郎の性格、東駿介が書いた本、一色麻理の不法侵入被害、国本大貴の受診歴、松倉から出たイゼウシの名前、そして、そして……。


 あれ? 彼女の話だけ捜査で調べた情報と一緒だ。となると、やはりあのテープは事件当時を録音したものなのか? 


 なら、いまこの状況は何だというのだ。なぜ、ここまで状況が録音の内容と一致している。なぜ、小舘はこちらの呼びかけに応じず歌を歌い出しのだ。


 説明できない!


「課長は今の歌、聞いたことありますか?」


 小舘は立ち上がって岩波のことを見た。ラップトップが後ろから照らしているせいで彼の顔はよく見えない。


「小舘、一体何をしているんだ?」


!」


 若手の警察官とは思えないほど上司に対して怒気を露わにする小舘に岩波は素直に従うしかなかった。この時、彼の頭の中には一つの推理が浮かんでいた。もし、彼の推理が本当なら、変に逆らわず指示に従ったほうがいい。自分は今、拳銃は持っていないのだから。


「し、知ってる。浅馬村に伝わる子供を寝かすための童謡だろう」

「はい、そうです。『浅馬の子守唄』、『浅馬の唄』なんて呼ばれていますね。では、闇に『潜』む悪『魔』と書いて『潜魔の子守唄』を知っていますか?」


 潜む悪魔の唄? そんな話、聞いたことない。


「し、知らない」

「浅馬村は江戸時代に禁止されていたキリスト教徒の隠れ蓑だったんですよ。しかもただの隠れ蓑じゃない。悪魔崇拝者たちの潜伏先だったんです。浅馬村の村役場の地下奥深くに浅馬村の歴史を記した村史があります。発行年は昭和二十二年と戦後間もない頃でしたが、そこには確かに浅馬村が悪魔崇拝者たちによって成り立った村であることが記されていました。


 しかも、その資料によれば彼らはこの村である探究を行っていました。それは悪魔降霊の儀式の研究だったのです。中世のヨーロッパでは実際に悪魔を降臨させる儀式が研究され、今もなお一部の秘密結社で行われているようですが、なんと、ここ浅馬村の人たちはそれを見つけてしまったのです。彼らはこの儀式を『六芒の儀式』と呼称することにしました」


 唐突に語り出す小舘に岩波は何も言えずただたじろぐだけだった。頭の中であった疑問は一つ。なぜお前がそんなことを知っている? お前はただの鑑識だろう。地方都市の出身で、こんな田舎とは縁もゆかりもなかったはずだ。加えて浅馬村なんて、今回の事件で初めて訪れたとも言っていた。なぜ、そのようなやつが自分でも知らない浅馬村の裏情報を知っている。そして、なぜこうして私の前で声を張り上げている。岩波は答えのこない問いをひたすら心の中で繰り返していた。


 やはりお前は……。いや、もしかしたら……。


「課長、事件現場で彼らの遺体がどのようにして並べられていたか覚えていますか?」


 急に問いかけられて岩波は困惑した。「浅馬不審死事件」は被害者が円形状に配置されていたことも捜査員たちの記憶に残る事件であった。しかし、先ほどまで「答えのない問いかけ」を行っていた岩波は小舘の問いによって慎重に置いていたドミノが崩れてしまったかのように記憶が混ぜこぜになってしまったのだ。彼は急いで頭のあちこちに散らばった記憶をかき集めて言葉を作り出す。早くしないと、いつ「彼」の気が変わるか分からない。


「確か、北に水島、東北東に宮坂、東南東に一色、南に松倉、西南西に東、西北西に国本の配置だった気がするが……。まさか!」

「さすが一課長。そこらへんの推理は早いですね。六角形を描く遺体の置き方、そして先ほど聞いた内容から話者の語った順番。ここまで言えばもうお分かりでしょう」


 被害者が怪談を話した順番は、水島、東、一色、国本、松倉、宮坂の順。これを線で結ぼうとすると……


「……六芒星が一筆で描ける」

「そう。安定や調和の象徴として知られる六芒星を六つの怪談を一筆で描くように語ることで崩していく。さて、崩した先に何が待っていますか? 混沌です。一時的に場は混沌の世界になるのです。その世界からやってくる使者は誰か。地獄の長として混沌の世界に君臨し、キリスト教からは神の敵対者、イスラム教では人間の敵として描かれるサタンがやってくるんです!」


 そこであたりは静かになった。録音された音声もいつの間にか再生を停止して不気味だったホワイトノイズも今では恋しく思ってしまう。岩波はもはや自分の力でどうするかなど考えていなかった。なぜなら、彼の前にいるのはおそらく宮坂陽子の息子、晴久で、六芒の儀式によって降臨したサタンそのものなのだから。


「彼らはこの方法を知られないためにも『浅馬の唄』として童謡で後世に伝えました。しかし、この唄にある通り、ただ円になって一筆書きを描くように順番に怖い噺をしていても彼は現れません。かつて浅馬村に住んでいた人々はサタンの降臨を恐れて、『浅馬の唄』の二番をあえて継承しなかったんですよ。それが村史にはしっかりと調べられて書かれていました。


   語りましょ、語りましょう、六つの噺を語りましょ、


   一つは傲慢、一つは強欲、一つは嫉妬の噺を語りましょ


   一つは色欲、一つは暴食、そして最後に怠惰の噺を語りましょ


   さすれば、さすれば、彼の方はお見えになるでしょう


 課長、気づいていましたか。テープに流れていた六つの噺。あれら全て、この唄に乗っ取って語られているのですよ。自分は幽霊が平気だと強がったK君、名誉に目が眩んだ垣本、少女の幽霊に羨ましがられた一色、一夜の情欲に身を任せてしまった国本、霊を祓うために食うことを止めなかったダリ、そして授業をサボるためなどに『かの時計』を使用した晴久。


 これらの話、全てが七つの罪のうちの六つの罪について語っているんですよ。


 そして、彼らの他にこの儀式に参加している人たちがいました。そう、私たちですよ。私たちも彼らの噺を聴きながら同時に『六芒の儀式』に参加していたのです。途中から気付いていたでしょう。テープを聞いていた捜査員たちが次々と部屋から出ていったことに。残るは私たちのみ。


 彼らがどうなった知りたいですか? 


 『彼』の手によって殺されたのか、はたまた眠らされたのか。部屋を出ればその真相が全て明らかになりますよ


 さあ、課長。共にいきましょう。この『六芒の儀式』を終わらせに……」

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