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 それは去年の夏でした。なので、もうすぐ一年経ちますね。二学期が始まっても勉強のする気がなかった息子は同じ志を持った同級生と一緒に学校や先生の文句を言いながら帰っていました。そして、友人と別れて一人になったとき、ある老人が彼に声をかけてきたそうです。


「少年よ、学校が嫌いか?」


 その老人はチェック柄の上着に薄汚れたジーパン、そしてピカピカに磨かれた革靴を履き、目元が隠れるくらいまで野球帽をかぶっていました。一見、危ない人ではなさそうだなと思った晴久は、そうだよ、大嫌いだよ、と答えました。すると、


「どんなところが嫌いだい?」と尋ねてくるので、ムキになって言い返したそうです。


「何もかもさ。望んでもいないのに難しいことを覚えさせて、使う機会なんてないのにカンスウだホウテイシキだ習わされて、おまけに教師ときたら自分を神様だと勘違いしてやがる。そういった学校という枠組みの何もかもが大嫌いなんだよ」


 すると老人はクックックと笑いました。息子はドキッとしました。もしかしたら、自分はとんでもない人物に絡んでしまったのではないか。このときの彼は最近読んだ漫画を思い出していたそうです。うだつの上がらない高校生がカリスマ塾講師と出会い、東大合格に向けて邁進する物語。


 学校批判などただの飾りだった晴久にとってその展開こそ最も恐れていたものでした。中学の奴ら、とうとう問題児専門の教師を派遣しやがったな。彼は老人の出方を見ながら、ゆっくりと後退りしました。


 すると、老人は


「警戒せずとも良い、警戒せずとも良い。お主の教育機関に対する反抗心、誠に感慨深い。こういった若いものがどんどん声を上げていかねば国はちっとも良くならんな」と彼の意見を肯定したのです。


「では、君は学校がいらないというのかね?」

「いらない……、わけではない。友達と過ごす時間は楽しいし、修学旅行も楽しかった。それに、勉強がしたくないわけじゃない。生きてく上で必要ないことを習う意味が分からないんだ」


「なるほ、ど。つまり、学校での過ごし方も君自身で決められるようにしたいのだね? 履修したい授業だけ履修してそうでない授業は聞かなくてもいいようにする。そんな『学校』が欲しいんだね?」

「リシュウって意味が分かんないけど、まあそうじゃないかな。受けたくない授業を受けなくてもいいんだったら全然構わないよ」


「素晴らしい。ここまで自分の意見を持っている若者は珍しい。そんな君とここで巡り会えたのも何かの縁だ。よかったらこれを授けよう」


 そう言って老人は晴久にあの懐中時計を渡しました。今どき懐中時計なんて流行らないよと晴久は返そうとしたのですが、老人は無理やり彼の手に懐中時計を持たせて、握りしめさせました。


「いいか、少年。この懐中時計には不思議な力が宿っている。なんと、この時計は時間を自在に操ることができるんだ。これで君は聞きたくない授業を聞かなくて済むし、大好きな親友と永遠に遊び続けることができる。ぜひ、この力を使ってあなたの思うがままの学生生活を謳歌して、今後に役立てなさい」


 老人の言葉に信じられないと思いながらも晴久は懐中時計を眺めました。とても不思議な構造をした懐中時計で、もしかしたら時間操作でなくとも何かできるのではないかと思わせてくれる、そんなデザインをしていました。一体、どこで作っているのだろう。そして、どうやってできているのだろう。息子は老人に尋ねようと顔を上げましたが、その時には老人の姿はどこにも見当たりませんでした。


 見知らぬ老人から渡された懐中時計。普通なら捨てるなり警察に届けるのが普通でしょう。しかし、「時を操れる」というワードに息子は引っかかっていました。彼の言っていたことは本当なのだろうか? しかもどうやったら操れるのか、そのレクチャーもないまま老人は去ってしまいました。もしかしたら年寄りの戯言かもしれない。


 息子は老人の言葉を信じていませんでしたが、それでもなおこの懐中時計には興味を唆られました。六つの針に、謎の模様が描かれた文字盤、細かいところまで彫刻された銀色の懐中時計は十四歳の少年を魅了しました。


 いったいどういう構造なのだろう。晴久はそれを確かめるためにも時計の上部についているノブを回してみました。すると秒針と思われる細長い針が回りました。もう少し押してから回すと今度は分針が、さらに押すと時針が回転しました。どうやらノブの押す強さによって回転する針を指定できるそうです。


 その構造に気づいたところで晴久はハッと辺りを見回しました。なんと、先ほどまで頭上で照らし続けていた太陽が沈み始めていたのです。彼は慌てて時計に目を落としました。少し暗くて見辛かったのですが、時刻は午後六時を指していたそうです。


 本当に時が操れた。息子は言葉にできない気持ちの昂りを感じながら帰路につきました。




 そこから彼は時計の構造について理解を深めました。どうやら時・分・秒以外の針は日・月・年を表しているらしく、それすらもノブの押し加減で調整可能のようでした。


 加えてノブを引っ張ると、彼が指定した以外の全ての物質の時間が停止する機能も見つけました。つまり、その懐中時計の持ち主は時の完璧な支配者になれるのです。そんな時を操る能力を手に入れた息子は受けたくない授業は全てスキップし、学校に行きたくない日は時間をとめて好きなだけゲームをしていたそうです。


 そのことには私も一切気づきませんでした。それもそのはずです。なぜなら彼は時が止まった世界で遊んでいたのですから。


 もちろん、息子は受けたい授業は受けていました。ですが、彼は天文学が好きなため、そんな高度なことを中学で教えてくれることはありません。結果、彼はほとんどの授業を時計を使って早送りしていたそうです。


 そして、中間テストは時を止めて優秀な子の答案用紙を写しとる。一人の答案用紙を全て写してもバレるから、成績優秀者を三名ピックアップし、彼らの答案をランダムで写したそうです。


 やがて晴久は時計の力を使って悪事も働くようになります。——

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