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 やがて一週間して魔法の粉は無くなってしまいました。せっかく普通の体型に戻りつつあった彼は、二度とあんな惨めな姿には戻りたくないと再びイゼウシさんの元を尋ねました。すると、イゼウシさんは快く魔法の粉を渡してくれました。


「この調子で行けば、その悩みも解決しそうですね」


 帰り際の彼女の顔はどこにでもいる女子高生のような屈託のない笑みで、ダリは少し安心したそうです。最初はもしかしたら村の権力者から無理やり霊媒師だと祭り上げられて遣わされていたとも思っていたのですが、どうやら杞憂だったみたいです。


 しかし、物事とというのは上手く回り始めると、悪く転じるもの。彼女のもとに通い始めて数ヶ月が経つ頃、ダリは猛烈な空腹に悩まされるようになりました。ご飯を食べてから一時間もしないうちにまた何かを口にしたくなる。三食どれか一つでも我慢すると、空腹のあまり下痢のように腹は鳴り続け、口からは酸っぱい唾液がドバドバと出てきたのだそうです。


 この事をイゼウシさんに相談すると、彼女は少し困った顔をしてこう言いました。


「おそらくですが、二口女があなたからエネルギーを摂取できないことに苛立ち、あなたの脳を空腹になるよう錯覚させているのだと思います」


 なんとも不思議なものでしょう。取り憑いた幽霊が宿主の感覚まで操作することがあるそうです。恐ろしいことですね。何とかそれを治すことはできないのか。そう訴えると、イゼウシさんは苦悶の表情を浮かべて考え込み、こう言いました。


「やはり、そうなると、あなたから二口女を無理やり引き剥がすほか道はないと思います。しかし、それではあなたの命が危ない。感覚まで操作できるほど彼女があなたと根深くつながっていると考えると、かなり危険な処置になるでしょう」


「でも、これ以上こいつのせいで悩むのはうんざりなんです。イゼウシさん、頼みます。どうか、俺からこいつを引き剥がしてください」


 半分ベソをかきながらダリはお願いしました。彼が考えていた危険とは手術のようなものを想像していたそうです。確かに、手術はどんなに簡単なものであれ、命の危険が伴います。ですがたかが霊を取り除くくらい、大した危険性はないだろう。そう彼は踏んでいたのです。


 ですが、イゼウシさんはその要望を拒否しました。まるで、暴力を振るう大人を拒む子供みたいにワナワナと身体を震わせて、首を横に振りました。


「ダメです。いけません。これを使用すれば、あなたはまず間違いなく死に、運が良くても全身付随になってしまいます。ダリさん、自分の命を粗末にしないでください。たかが目に見えないもののために、一生に一つしかない自分の命を差し出さないでください!」


 彼女の言葉に圧倒されたダリは渋々あきらめました。今まで幾度となく会ってきて、彼女があそこまで不安な瞳を見せたことがありませんでしたから、二口女を無理やり引き剥がそうとすると、自分はほぼ間違いなく死ぬのだろうと感じたのです。そうであれば、まだ霊に取り憑かれていても生きてる方がましだ。ダリは先ほどまで大切な命に目もくれず涙を堪えながら懇願していた自分が見窄らしくなりました。


「残念ながら、現時点で彼女を倒す有力な方法はございません。ただ一つ、対処療法としましては、今より多くの粉を飲んで、腹が減ったら食べる、ということくらいでしょう」


 イゼウシさんは最後にそう言い添えました。そこからダリは空腹を感じてはすぐに腹を満たすようにしました。鞄にはサラダチキンやお菓子などを忍ばせ、時には食べるついでに仲間にも配るようになりました。


 その結果、彼の体はみるみる太り始め、気がついたら体重が一〇〇キロを超えていたそうです。しかし、ダリはそんなこと気にせず、イゼウシさんのいう通り毎朝粉を飲み、食べ続けました。社会人になってからは粉を朝夜と飲むようになりました。すると、副作用なのか余計お腹が減るためさらに食べる。そんな事をここ最近では繰り返しているそうです。


 ここまで聞いてもしかして、と思った方もいるかもしれません。なんでしたら、イゼウシという名前をご存知の方でしたら、彼の体に起こった異変はもしかしたらと思うかもしれません。当時の私もを知らなくともどこか胡散臭いと感じていました。ですが、ダリがかなりイゼウシ家にご執着の様子だったので、これは引き戻すのは難しそうだなと思い、最後まで話を聞いていました。


 しかし話を聴き終わって、しばらく高校時代の思い出を語ってからの別れ際、私は彼の背中に何かがしがみついているのを見たのです。別れの挨拶をして雑踏に紛れていくダリの背中にくっついたそれを注視していると、なんと顔の潰れた女性だったのです。


 彼女は胴体はなく、首から上だけがあって、髪の毛を器用に彼の体に巻きつけていました。そして顔が潰れたと言っても、その有り様は酷いもので、顔と呼べるパーツはどこにもなく、顎や頬すらも原型を留めていませんでした。私はすぐにあの顔側がダリの妹に取り憑いていたんだと悟りました。


 彼の妹は交通事故で亡くなった。どういうわけか、その時に二口女の顔も轢いてしまった。もし、彼女の顔だけ無事で妹さんだけ亡くなっていたら、顔の方はどこか別の人に取り憑いていたかもしれない。けど、それが叶わなかったからダリから倍のエネルギーを吸い取ることにした。


 ダリはいま、二人分の苦しみを背負って生きているのだと、私は思いました。そしてイゼウシさんは彼を助けるために手を差し伸べてくれた。彼女たちがしてきた所業の実態を知らなかった当時の私は、彼の話とイゼウシさんの存在を信じることにしたのでした。

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