五の噺「松倉裕樹——イゼウシ」
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捜査資料:松倉祐樹(男) 四十一歳 会社役員・アマチュア怪談師 死因:肺に大量の水を取り込んだことによる溺死
先ほど国本さんが最後の方でこう仰っていましたね。人間には自ら制御できない三つの欲があると。俗に「三大欲求」なんて言いますが、食欲、睡眠欲、そして性欲がこれにあたります。確かに、彼の言う通り、性欲に溺れた際のデメリットは相当なものです。
しかし、果たして他の二つの欲求に呑まれた際の仕打ちは軽いものでしょうか。例えば睡眠欲では、車の運転中にふとしたことで寝てしまっては大事故に繋がりかねません。そうでなくとも、会議中に居眠りなんてしたら人間関係にも響いてきます。私たち自身では制御できないこの「三大欲求」というのは、きちんと付き合っていかないと痛い目を見るものです。
それは食欲に関しても同じこと。これよりお話しいたしますのは、私の友人に起こった食に関する噺でございます。まぁ、食欲と直接関係あるかと聞かれれば、ないのかもしれませんが……。
では何故このような入りを取ったかといいますと、そっちの方がかっこいいかなと思ったからでございます。それ以上も、それ以下もございません。どうか最後までお聞きください。
私の中学から高校の同級生で段くんという子がいました。彼は周囲が心配するくらいに痩せ細った体をしておりまして、上半身は全ての肋骨が見えるほど浮き出ており、腕や足はほとんど骨と皮だけでできているのではないかと思うほど痩せ細っていたのです。
加えて頬は顎関節が見えるほど薄く、目を大きく見開くと眼球が半分近く出ているくらいの不気味な様相をしていました。そうですね、言うならば理科室にある骸骨の模型を小学生が粘土で肉付けしたような身体といえばよろしいでしょうか?
そんな彼についたあだ名が「ダリ」。名前の「段」と「ガリ」を掛け合わせてできた当時の私たちに取っては造語です。もちろん、後になって「サルバドール・ダリ」について知った時はみんなで大爆笑しました。そんな経緯もあって本家ダリを覚えたので、彼の名前を聞くと今でも昔の段くんの姿が脳裏をよぎってしまうのですよ。
彼の異常な痩せ方については学校の先生方も注視しておりました。特に高校に入ってからの身体測定では、成長期真っ只中の子は身長と比例して体重も増えていきます。
しかし、ダリの場合は身長だけ増えていって、体重はむしろ減少傾向にありました。なんと高校一年生で身長一七〇センチメートルにして体重が四十三キログラムだったのです。これは痩せ過ぎを逸脱したレベルです。彼は要検査対象に指定され、医療機関を受診しました。
もちろん、ダリが食べる事を渋っているとか、常に空腹でいるとか、そんなことはありません。むしろ、昼休みには二人前のご飯を食べるほど食欲は思春期の男子そのものでした。
なので、これは何かの病気ではないかと、医師に診断してもらったわけですが、根本的な原因は分かりませんでした。一応、栄養剤をいくつか処方され、そのおかげで体重の減少自体は止まったそうですが、彼が痩せていることには変わりありませんでした。
高校を卒業する時も彼は痩せたままで、それ以来ダリとは疎遠になっていました。しかしつい二年前ですかね、彼と食事する機会があったのですよ。
どういうルートか分かりませんが、私が怪談師をしていることがダリの耳にも伝わって、ぜひ自分の話を聞いてほしいと連絡があったのです。私は快く了承し、とある平日の終業後に彼と繁華街で待ち合わせをしました。
しかし、時間になっても彼の姿は見当たりません。彼と会うのはおよそ二十年ぶりですが、それでもあの露骨に痩せ細った見た目は変わらないと思っていました。なので、あたりを見回すのですが、どこにも痩せた人影は見当たりません。遅れているのかとも思ったのですが、そのような連絡は一切来ていませんから、時間通りに来てはいるはず。
一体、どこにいるのだろう。もしかして、人混みに呑まれてどこか彼方へ運ばれてしまったのではないか、そんな冗談めいた事を考え始めた時でした。
「ゆうちゃん、久しぶり!」
ちょうど私の右前方から少しくぐもった声が聞こえたので視線を移すと、そこには関取かと間違えるくらい大柄な男性が笑顔で立っていました。私の知り合いに力士はいませんから、
「どちら様ですか?」と尋ねると、力士はじゃっかん嬉しそうに、
「俺だよ俺、まああの頃に比べてかなり変わったから忘れたかもしれないけど、中高同級生だったダリだよ」と言ったのです。
まさか、と私は思いました。なぜなら私の知っているダリは、その由来の通りガリガリに痩せていて、頬骨が見えるほど皮膚が薄くて、目が飛び出るほど不気味な出立をしているのですから。しかし、いま目の前にいるのはブクブクに太った、頬骨どころか首もなくなる勢いで脂肪に覆われ、目を開いているのか分からないほど細目の大男だったのです。
「本当に、あのダリなのか?」
「ああ、そうだよ。なんならお前がクラス委員の秋ちゃんを屋上に呼び出しておきながら、コミュ障のあまり告れなかった話をこの人前で披露してやろうか?」
私はすぐに本人だと確信しました。彼は当時から見た目のインパクトもしかり、性格のクセも凄かったのです。色恋沙汰にはすぐ首を突っ込んできて、中をヒッチャカメッチャカに掻き回す存在で、クラスの男子の間では
「たとえ、光GENJIでも彼に知られたらフラれることになる」と噂されていました。
加えて、ダリは一度聞いた恋話は忘れないタイプで、クラスの男子ほぼ全員の失恋談や馴れ初めを覚えているのです。私がクラス委員の秋ちゃんに思いを寄せた話もその一つ。彼に唆されて屋上に呼び出すまでは成功したものの、そこから先が進まず秋ちゃんが帰ってしまった話を高校時代ずっと言いふらされてきました。
と、寄り道はここまで。本題に戻りましょう。
「しかし、随分変わったな、その、体型が……」
「ああ、実はお前に話したいっていう怪談はこの体にも関係してるんだよ」
「ってことは、お前が体験した噺なのか」
「体験したって言っても、俺自身は実感ねえんだけどな。まぁ、詳しい話は飲みながらやろうぜ」
ダリの最後の言葉に疑問を持ちながらも私は彼の提案に従って店に入ることにしました。人から怪談を聞く際には周囲に配慮して個室のある店を選びます。そうでないと、万が一この話を聞いた人全員が呪われるという類のものだったら、大変なことになりますから。
私たちが入った店は日本料理を得意とする居酒屋らしく、潮騒の香りがするフロアと暖色ライトでほんのり照らされたおしゃれなところでした。まずはビールで乾杯します。すると、ダリはコップいっぱいに注いだビールを一口で飲み干し、すぐさまビールを注ぎ足してまた一口で喉に注ぎ込みました。そして運び込まれた刺身や唐揚げといったものをバクバクと口に放り込みます。まさに鯨飲馬食なんて言葉がお似合いでしょう。
そんな彼に私は言いました。
「すごいよく食べるな。昔からそんな食べる方だったっけ?」
「いや、ここ十年で食べる量は増えたな。なんか今まで溜まっていた食欲が一気に出てきた感じでさ」
「そんな食欲旺盛だったか」
「まぁ、昔から食べることは好きだったからな。好きだったというか、半分義務みたいな感じで食べさせられていたから好きになってしまったと言うべきか」
私はダリの親を思い出しました。彼らはダリが痩せているのが世間体として気になるらしく、小学生の頃は毎日ご飯を無理やりお代わりさせていたのです。そのこともあって、彼の胃袋は大量に食べることに慣れてしまって、この時も私の目の前でどか食いをしていたのでした。
しかし、当時と大きく変わったのは何を隠そう、その体型です。かつてはいくら食べても変わらなかった体型が、今では関取と間違えるほどふくよかな体つきをしています。いったい何があったんだと尋ねると、ダリはニンマリと笑って、
「そこにお前の大好きな怪談が関わってくるんだよ」と言いました。
そこから彼は私と再会するまでの二十年で何があったのかを話し出しました。時には刺身を摘みながら、ビールや日本酒を流し込みながら。
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