三の噺「一色麻理——赤いワンピース」

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 捜査資料:一色麻理(女) 二十六歳 中学校教諭 死因:胸部を複数回刺されたことによる出血死



 これは四年前、私が実際に体験した出来事です。


 当時、大学を卒業したばかりの私はある中学校に社会科の教師として赴任していました。教育実習などはしていたのですが、やはり初めての教壇というのはとても緊張するもので、けど生徒がとても優しくて授業崩壊などは起きませんでした。私も日が経つにつれてリラックスできるようになり、本来理想としていたものに近い授業を行うことができました。そういう意味では、数多くの方が若い時代に苦労すると言われている教育現場において、私はとても恵まれていたのかもしれません。


 ですが、二学期が始まってしばらくした頃です。奇妙な出来事を経験するようになりました。


 初めてそれが起きたのは真夜中の駅のホームでした。残業して終電ギリギリになってしまった私は何とか電車がくる前にホームに辿り着きました。翌日は研究日という名の休日でしたから、明日は何して過ごそうかなと妄想に耽っていたのです。こう見えて映画鑑賞が趣味で、何か面白い作品は無いかと映画情報アプリやSNSで気になる作品を探しながら、電車が来るのを待っていました。


 そんな時、ふと視線を上げると反対側のホームに一人の少女が立っていました。こんな真夜中に女の子がいるだけでも教職員として反応してしまうのですが、何よりも気になったのが彼女の出立でした。


 顔がほとんど見えないくらいに髪を下ろしていて、何も履いておらず、裸足でコンクリートの上に立っていたのです。そして、肌は遠目からでもわかるほど青白く、そのキャンバスを引き立たせるように赤いワンピースを着ていました。


 最初は酔っ払った誰かの悪戯かと思いました。しかし、それにしては見た目が幼すぎますし、引いてしまうほど不気味な雰囲気を醸し出していたのです。もしかしたらホームの電灯が不規則に明滅しながら彼女のことを照らしていたからかもしれませんし、なぜか視線が私に向けられていると感じたからかもしれません。本当ならこういう事象には無視するのが鉄則なのでしょう。教員である私としては自分の学校の生徒だとしたら見捨てたことになりますので、注意すべきか迷っていました。


 しかし、迷ってるところへ反対ホームから特急列車が通過するアナウンスが聞こえて来ました。ややあって、特急列車はアナウンスをかき消すように反対線路を通過して行きます。ものすごい轟音とともに車輪と線路が擦れ合って耳を裂くような音がして私は少し首をすくめました。やがて特急列車が通過しきった時、ホームに少女の姿はありませんでした。電灯もいつも通り煌々と暗闇を照らしていました。


 見間違えたのかな、と最初は思っていました。もしくは電車が通過している間にホームから消えたのかもしれない。そんな腑に落ちない結論を持て余したまま、私は終電に乗り込みました。終電ですからほとんど人はいません。私は酔っ払いが寝ている席列とは一番離れた場所に腰を落ち着かせました。発車ベルが鳴ってドアが閉まり、列車がゆっくりと動き始めたその時、私は見たんです。


 ホームと改札口をつなぐ階段、そこからあの赤いワンピースを着た女の子がこちらをじっと覗いているのを。


 今回は先ほどと違って明らかにこっちを見ていることが分かりました。髪の毛の隙間から見えた丸い大きな瞳を血走らせながら一度も瞬きすることなく私を見つめ続けていたのです。私は驚きのあまり声を出せずに彼女のことを凝視してました。


 ですが、発車した列車は次第に彼女と私の距離を遠ざけてくれて、赤いワンピースを着た女の子の姿はやがて見えなくなります。そこから私が一息つくことができたのは、同じ車両の酔っ払いが寝ながら嘔吐した時でした。


 そこからです。帰り道で誰かに尾けられている気配を感じるようになりました。それもストーカーのように——ストーカーの被害にあったことはないので確かなことは分かりませんが——毎日ではなく、まちまちで、それが余計に不気味でした。


 最初の方は気にしないようにしていたのですが、次第に耐えられなくなって、たまに振り返ってみるのですが、そこには誰もおらず雑踏が広がっており、私はその一部になっているいつもの感覚が戻って来ました。気のせいなのかな、と思い再び前を向いたのですが、するとまた誰かに見られる感じがするのです。まるで、人混みという泥の中から私と私を見つめる誰かだけが浮き彫りになって、この場に二人しかいないみたいでした。けど、また振り向くと私は雑踏の泥に埋もれるのです。


 誰かに見られている日は、その視線を家まで感じました。初めて振り返ったその日も、私は誰かに尾けられている気配を感じながら自宅にたどり着きました。


 私が住んでいた「つばめ荘」は築四十五年のボロアパートですから、玄関扉が並ぶ廊下からは外の様子がはっきり見えるような構造をしています。そこで私は玄関の前で振り返って視線の方を見ました。


 すると、夜の誰もいない往来にポツンと人影が見えたのです。さらに眼を凝らして見ると、その人影とはあの夜に見た少女だったのです。かじかんだ裸足を舗装路の上に置き、赤いワンピースからすらりと伸びた青白い足、そして顔にまで垂れた長い髪の毛の隙間からは血走った瞳が私のことをじーっと見つめていました。私は気味が悪くなってすぐに部屋へ入りました。


 それから少女の姿を見かける機会が増えたと思います。ですが、それは決まって人混みの中でなく、人通りの少ない場所で見かけました。夜の往来や終電間際のホーム、あとは……、ああ、深夜のコンビニでも見かけました。明るい店内の中で少女がいるところだけの電灯が不規則に明滅していて厭な様相でした。しかも、さらに不思議なことはそこのコンビニ店員が一切怪しんでる様子もなく、まるで私だけが彼女の存在を認知しているよだったのです。


 しかし、少女自体は私に何かをしてくるわけでもなかったので、次第に彼女に対する警戒心は消えて行きました。むしろ、あの子は私のことを見守っているのではないかと思うようになったのです。そう思い始めると、赤いワンピースを着た彼女が少し愛おしく思ってしまい、あっ今日はあの子がいる、とどこか安心感を覚えるようにもなりました。


 ですが、そう思えたのは一瞬のことでした。いつか聞いた話のなのですが、人は不気味な存在に慣れてしまうと、逆にその存在にシンパシーを感じてしまうそうです。当時の私はまさにその状態だったと思います。そして、その不気味な存在は相手が自身に共感した瞬間に噛み付いてくるのです。

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