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 垣本は依頼を受理したその夜にはFビルに忍び込みました。


 Fビルはかなり古い建物だったため、電子セキュリティなど最新の警備システムは導入しておらず、正面玄関と裏口の鍵だけが侵入者を阻む障害となっていました。しかし、そこは盗人を稼業としている垣本です。難なく裏口の鍵を解錠して、建物内へ侵入することに成功しました。


 時刻は午前二時を回った頃です。建物内は灯り一つついておらず、人の気配も一切ありませんでした。これは早々に片付けられるなとと思った時です。


カツン、カツン


 と、誰もいないはずの場所から足音が聞こえて来たそうです。垣本はぴくりと反応すると瞬時に幽霊の噂を思い出しました。空間把握能力があり、盗人稼業によって人の気配も感知できるようになっていた彼が気配のない場所から音を聞いた。もしかしたら本当に幽霊はこの建物に実在するかも知れない。


 垣本は勉強なんてあまりできませんから、幽霊の存在をすぐに信じて気を引き締めました。なぜ、幽霊に対して気を引き締めたのか分かりませんが、彼曰く、幽霊に出会うと自分まで地獄に連れていかれるのだそうです。この発言から彼の頭が賢くない事が分かるでしょう。


 さて、閑話休題。垣本は足音に注意しながら、同時に自分も足音を出さないようにして階段を上りました。劇薬の製造方法が記された書類は最上階の五階ですから本来なら難なく行けるはずです。しかし、階段を上っていくと、今度は上から


カツン、カツン


 と足音が聞こえてくるのです。もちろん、上からは人の気配がしません。垣本は慌てて三階に行きました。ですが、それでも足音は確実に近づいてくるのが分かります。どこかに隠れなければ。そう思って彼は男子トイレに駆け込んだそうです。


 なぜロッカーとかではなくトイレなのかは彼自身でもよく覚えていませんでした。私が思うに、垣本は計画どおりに行かなくなると慌てやすくなる性質のようです。なので、よく考えもせずにトイレに入ったのでしょう。


 さて、トイレに入った垣本は三つある個室の一つに入って、ドアを閉めて様子を伺いました。足音は三階全体に不気味な響きを届けています。


 こっちに来るな、こっちに来るな。


 垣本はそう念じたのですが、それが仇となったのでしょうか。足音は徐々にこちらに近づいて来て、とうとうトイレに入ってきました。


 あぁ、ヤバイ、あぁ、ヤバイ、と彼は今までに感じたことのない恐怖を覚えました。それは暴力団事務所に連行された時よりも恐ろしかったそうです。あの時はまだ相手が人間だったから自分の予想する限りの事しか起きない。けど、今回の相手は幽霊で、人外の存在だ。何をしてくるかわかったものじゃない。そう彼は語っていました。


 やがて足音は彼が隠れている個室の前でピタリと止みました。もうバレてることは完全に分かっています。どうしようか、と考えるものの、得体の知れない相手にどう太刀打ちするべきか分からず、頭は空回りする状態が続きました。しかし、次の瞬間——


   


 「何か」は垣本のいる個室の扉を激しく叩き出したのです。もう、垣本は怖気ずいてしまい隅っこでうずくまりました。扉は相変わらず勢いよく叩かれており、その低音の隙間から甲高い笑い声も聞こえて来ます。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだったと彼は証言します。ゲージにいれられたハムスターのような気持ちとも表現していました。まさにその通りでしょう。唯一、異なる点といえば、そのゲージは外から開けることができない、というところでしょうか。


 このまま扉が壊れてしまうのではないかと思っていたのですが、扉の奥にいる何者かはやがて叩くのを止めたそうです。そして、そのまま甲高い笑い声だけを響かせながらトイレから出ていくそぶりを見せました。

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