0016 傷跡

 丁寧に梳いた赤薔薇色の髪をひとつにまとめた。何本もまとめて売られていた安いヘアゴムではなく、小さな飾りがついたものを選ぶ。

 アビーは自身に可愛げのあるものは似合わないと常々思っているが、このくらいさり気ないものならば、と頭を左右に振って完成したポニーテールを鏡に映す。

 最後に真っ直ぐ正面を向き、自分の顔を鏡で見つめた。

 昨日は出先の黒の霧フォグが濃かったからか、肌の調子が少々悪い。セガルタやウォルフほどではないにせよ、耐性は強い方だ。それでも汚れた空気が体に良い影響を与えるはずがない。

 アビーは寝る前にもう少しちゃんとケアしておくべきだったかと小さく呻きながら鏡に顔を近づけたが、ノックの音でそこから離れた。

「アビー? 準備、出来たよ」

「入っていいわよ。ごめんね、もう少し待ってくれる?」

 静かに扉を開けたのは、一緒に出かける予定にしているツキナだ。するりと入ってきた彼女に、自身が座っていた椅子を譲る。

「ねえ、ツキ。よかったらお揃いにしない?」

 にっと笑ったアビーは自身の髪型を指差した。

 髪型を同じにしよう、という提案を理解したツキナがこくんと頷く。

 一緒に出かける時はアビーがツキナの髪を結んでやることが多かった。今日もいつもどおり、彼女に鏡の方を向くよう促して、茶色の髪に優しく櫛を通す。

「いつもやらせてくれてありがとうね」

 妹がいたらこうやってしてあげるのが夢だったのよ、とアビーが明るく声を弾ませる。

「ううん。やってくれて、ありがとう。私、上手に結べないから……」

「そう? だいぶ慣れてきたじゃない。昨日も上手にまとまっていたわよ」

 近所の食堂へ手伝いにいくこともあるツキナは、行く前に必ず髪をまとめる。最初こそ髪を上手くまとめられずアビーやツカサに助けてもらっていた彼女だが、今ではひとりでも問題ない。

「……そう、かなあ」

「そうよ」

 からりと即答したアビーがヘアゴムに手首に通す。慣れた手付きでツキナの癖っ毛を集めていく。

「せっかく可愛いく出来てたんだから、もっと自信を持ってもいいのに」

「そんなこと……」

 いつもなら俯いてしまうツキナだが、アビーが髪を持っているので頭は動かせない。目だけを伏せる様子が鏡に映って見えていた。

「結んでいなくても癖っ毛がよく似合ってて可愛いけどね。それに髪だけじゃなくて目もくりくりしていて、色も素敵だし」

 ヘアゴムで髪をまとめたアビーが小さな引き出しを開けた。ツキナが着た服に近い色のリボンを取り出す。自分では使わないのについ買ってしまうコレクションだったが、使い道が出来て嬉しい。

「それに、控えめに笑うところだってお淑やかで可愛いところ」

 リボンを形よく結び「はい、完成。お待たせ」と鏡越しに笑いかける。短時間で可愛いだの素敵だのと言われてツキナは恥ずかしくなったのか、頬が僅かに上気している。

「……アビーのほうが、ずっと素敵だよ。綺麗だし……とっても、気を使ってるもの」

「ありがと。――まあ、お洒落ってほどじゃないけどね。可愛すぎても私には似合わないし」

「きっと、似合うのに」

「ツキの方が似合うわよ」

 ツキナには散々と可愛いを繰り返しながらも、自らにはそれを決して当てはめないアビーが腰を伸ばす。

 その可愛いツキナは困ったようにまた目を伏せている。

「でも、私は……大きな傷も、あるし……」

 彼女がぺたりと押さえた頬の下には切り傷が残っている。もう少し幼かった頃に異形シンズに切りつけられた跡だそうで、消すにはもう遅い。

「あら。傷なんて私にもたくさんあるわよ。ヴェールには珍しいことじゃないもの」

 アビーはツキナを椅子ごと自身に向け、目の前でしゃがみ込む。

 彼女にだって腕に消えない大きな傷がある。ただ、気にするのはすぐにやめてしまった。これは町を守って出来たものだ、恥じるものではない。何か言ってくるような奴ほど臆病なことだって、知っている。

 武器を振るい、硬くなった手のひらでツキナの頬に撫でる。

「顔の傷が気になるなら目立たなくしてあげようか。私はあんまり跡にならなかったけれど……ほら、おでこにも傷があるの」

 頬を撫でた手を離し、前髪を上げてみせる。

「普段は何もしないけど、今日みたいに楽しいお出かけの時はいつも目立たなくさせるのよ」

「お化粧?」

 に、と笑ったツキナが膝を突いた。机にあるポーチに手を伸ばして取る。

「そんなに大層なことは出来ないけどね。やってあげる。ほら、こっちを向いていて」

「で、でも……いいの……?」

「ツキが嫌ならやめるけど、私がやりたいの。やらせてくれる?」

「……うん。それじゃあ、おねがい、します」

 肌の色をしたクリームを手の甲に出し、指先で少し伸ばす。

 大人しく、少し恥ずかしそうにこちらを見てじっとしているツキナに笑いかける。

「私は簡単なことしかしないけど、お化粧に興味が湧いたならいつでも教えてあげるからね」

 硬い指とは違う柔らかい頬に優しくクリームを伸ばし、アビーは愛おしむように目を細めた。

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