0013(2)昔と変わらないこと

 ツキナは目覚めてすぐに部屋を出た。順番で回ってくるはずだったごみ出しの当番は「誕生日でしょ!」と笑うアビーに、急遽代わられてしまった。

 誕生日と言われてもいまいちぴんとこないのは、セガルタやウォルフとあまり大差ないのかもしれない。あの二人のようにすっかり誕生日を忘れることはないにせよ、この日を理由に祝われたことはもっと幼い日の記憶にしか残っていない。祝った側に回ったのだって、先日の彼らの誕生日が久々だった。兄の誕生日すら、記憶に遠い。

 どうやらそんなツキナの誕生日を祝ってくれるようだとチームの雰囲気は感じているのだが、自分なんかが祝われていいのだろうかと卑屈な考えが消え去らない。

 期待と不安。わくわくする気持ちと、メンバーの負担になるのではと落ち着かない気持ち。

 浮かれてはいけないと思いながら、ツキナは階下へ向かう。

「あ。起きてきたわね。ツキ、おはよう」

 下りてすぐにアビーと鉢合わせた。

「おはよう。あの……ごみの当番、ありがとう……」

「いいのよ、それくらい。今日はツキが主役なんだから」

 明るく笑うアビーの横から兄のツカサがひょこりと顔を出す。

「ツキナ、おはよう。それに、誕生日おめでとう」

 ありがとう、と返すよりも早く、そのツカサの上に頭が生えた。リビングに居たのだろう、セガルタがこちらを見下ろしている。おはよう、に言葉を切り替えようとしている間に彼が笑った口を開く。

「誕生日おめでとう。用意をしたら、俺と出かけようか」

 どう返事をするか、混乱して詰まった。

 おはよう、ありがとう、うん分かった――いいやまずは、どこへ行くの、か。

 ツキナが選べない返事にぽかんとしてしまうと、アビーがセガルタの腕を手のひらでぐいと押した。

「急すぎるし、説明がなさすぎるわよ」

 そうしているうちに、今度はバージルが顔を出す。

「おはようさん。今日は家にいても落ち着かねーだろ。セグとウォルが町の中央へ行くから、カサと一緒について行ってこい。観光地じゃねーが、なかなか行く機会もないしな。あ、教会はなかなか綺麗だぞ」

「そういうこと。ゆっくり準備して」

 ツキナはリビングに踏み込む間もなく作られてしまったメンバーの壁を見上げる。最終的に助けを求めるようにツカサを見ると、彼は背中を押すように優しく頷いてくれた。

「ええと……。うん。ありがとう。そう、します」

 ひとり壁とならならかったウォルフが「いい加減にツキを解放してやれよ」と笑うのが聞こえた。セガルタとアビーがけらけらと笑いながらすぐに離れ、ウォルの方へ歩いていく。バージルも「ま、のんびり楽しんでこいよ」とひらりと手を振り、キッチンへ向かった。

 目の前が開く。

 いつもどおり、と念じながらも、心はふわりと暖かく浮きそうなほど軽い。そんなツキナの手を、ツカサがそっと引いた。

「しっかり楽しんでいいんだよ、ツキナ」

「……うん」



「もしかして、緊張してる?」

「今まで、散々お前が緊張させてきたからな」

 町を走るバスを降りたところでセガルタに問われ、それを見ていたウォルフが呆れた調子で肩をすくめた。

「そ、んなこと……ない、です」

 ツキナは慌てて小さな両手を振って否定するが、彼を見上げることが出来ずにうつむいてしまう。頭の上で彼が「んー」と困ったように呻いたのが聞こえ、余計に顔が上げにくくなる。

「よし。――なあ、ツキ。今日はアビーがごちそうを作るけど、今度はツキがごちそうを作ってくれる?」

 その彼が全く関係ない話題を引っさげて、しゃがみこんだ。こちらを見上げる真っ直ぐな緑の瞳と、そこに添えられた笑みは以前のように怖くはない。

「え、あ……うん。セグの、食べたいもの、作るね」

「やったー」

 子供みたいな笑顔を見せられ、ツキナもはにかんだ。彼が少しずつ距離を縮めようとしてくれているのは、気付いている。だから、こちらも少しずつ、少しずつ。こうやって目を見てくれるのも、笑ってくれるのも、緊張はするけど怖くはない。

 ウォルフがセガルタを立たせながら「祝われる側の相手にさっそく頼むなよ、腹ぺこさん」と笑っているのを見上げ、歩き出す彼らについていく。

 この町ラムキルの中心と言っても、人口もそう多くない田舎だ。住民たちの格差も比較的小さいここでは、中心だからといって華美な人や物が多いというわけでもない。

 ただ、それでも町の外に近い狼の巣周辺に比べれば道は整っているし、埃っぽさもない。畑なんかも少なく、ぎゅうっと詰めたように建屋が並んでいる。

 ツキナはツカサの隣をぴったりと歩きながら、周囲を見渡す。

「セグとウォルはこれから、クレイドルに行くの?」

「正しくはクレイドルにある研究所だな」

 教会クレイドルはこの町の中枢を担い、ヴェール協会ケージを管理する組織ではあるが、直接加護持ちヴェールが関わることはまずない。町のあらゆるところにあるクレイドルの支部で祈りを捧げることはあれど、中央の本部に用があることなど滅多にない。

「向こうから指定のあった素材の納品に行く」

「いつもはケージを通すから、俺たちが出向くことはねえんだが……。時々くらいはこうやって顔を出す」

 そう言う二人の肩には大きなバッグがかかっている。異形シンズを倒して、その死骸から血や骨を素材として回収したものが、そこに入っているらしい。

「それじゃあ、俺たちはこのまま用を済ませてくる」

「二人はこの辺りを好きに彷徨いてくれ。雑貨屋なんかもあったはずだし、隣の公園も整備されていて……ああそれと、あっちの中央教会は誰でも入れるから、興味があるなら覗いてくるといいぜ。小ぶりだがステンドグラスが綺麗らしい。――それで、この広場が集合場所だ。終わったら連絡する」

 あっという間に到着したクレイドルの前には小さな噴水がある広場があった。

「写真でも撮って、手紙にでも入れたら?」

「うん。……でも、場所が分かるかもしれないから、やめておくよ。その分、たくさん見て、たくさん手紙に書くよ」

 ツキナはセガルタの提案に首を振るツカサを見て、顔を伏せた。綺麗に並べられた石畳がある。

 そのまま石畳を眺めていると、大きな手がわしっと頭を撫でた。アビーが結んでくれた髪が乱れたような気がしたが、あまり気にせず顔を上げる。

「ゆっくり、楽しんでおいで」

 笑ったセガルタにはにかみ、小さく頷いた。

 そのまま二人は揃って四角い棟へまっすぐ向かっていき、残されたツキナはツカサを見上げた。楽しんで、と言われても何をすればいいのかは分からない。

「二人とも、中央のクレイドルには行くんだね……。支部へ、お祈りには行かないけど……」

「セグがエンゼルに呼ばれたことがあるんだって。それがあって、何人か知り合いがいるみたいだよ」

「……セグが、エンゼル?」

「本当に強いんだね、セグって。もちろん強いとは知っているけど、見たことがないから……不思議な感じがしない?」

 ツカサが笑う。

 昔から変わらない兄の控えめな笑い方にツキナは体の力が抜けることが分かった。この町へやってきてからツカサと一緒にいることは多いが、こうやって外で二人きりでのんびりと過ごすことはあまりなかった。

 家族だけの空間をくれたのだと分かって、ツキナは心臓に熱がこもるの感じる。ほう、と息を吐いても、心地よい熱は逃げていかない。

「……誕生日のお祝いなんて、すごく……懐かしい」

 ここに両親もいれば、と思いかけ、振りほどく。

 それなのに。

「いつか、父さんと母さんとも一緒にお祝いしたいね」

 兄は分かっているかのようにそう言ってくれた。



 持っていたバッグがぺしゃんこになったセガルタとウォルフと合流し、家まで帰ってきた。

 アビーが腕を振るってくれた料理はどれも美味しく、ツキナは普段以上に食べた。よそいすぎた分もセガルタが食べきってくれ、おかげでバージルが買ってきてくれたケーキも美味しく食べることが出来た。

 そして、ソファに座った膝の上には食事前に渡されたプレゼントが大事そうに置いてある。

 ツキナが無意識にそのプレゼントを撫で、柔らかい感触を何度も確かめていると、ソファの後ろからアビーが肩に手をついて顔を出してきた。

「ね、ツキ。おなかも落ち着いたし、それ、つけてみない?」

 膝の上を見る。

 カラフルな小花柄が可愛い三角巾が色違いで何枚かと、茜色の地に花や小鳥が刺繍されたエプロンだ。近所の食堂で手伝いをしているツキナが、真っ白の味気ないそれらを身に着けているので、新しいものを選んでくれたのだ。

「髪も結び直してあげる。その方が上手に三角巾も結べるだろうから」

 アビーが前に回ってきて、隣に座っていたツカサが席を外した。ヘアゴムも合わせてくれたのか、アビーの手首にあるのは可愛い花がついたものだ。

「……こんなにしてもらって、いいの」

 泣きたくなるくらい、嬉しかった。

 花柄は昔から好きだった。それだけではなく、ツカサがそれを覚えていてくれたことも、それを聞いて似合うものをとみんなが悩んでくれたことも、全てひっくるめて嬉しかった。

「いいに決まってるでしょ。セグ、鏡を持ってきて。私の部屋に手鏡があるの。机の上に出しっぱなしだと思うから。――他のところを勝手に漁ったら許さないわよ」

「えー」

「いいから、早く」

 けらけらと笑ったセガルタが二階へ上がっていく。

 ツキナは恥ずかしそうに頬を赤くしてうつむいたまま、小花柄の三角巾をなでる。

 明日のお手伝いにはこれを持っていこう、そして、いつもより頑張って、いつもより笑って、いつもより大きな声をお客さんにかけよう――そんな決心も怖くない。

「その白い方をつける?」

「……うん。ありがとう」

 アビーの手が優しく三角巾を受け取ってくれる。

 母が髪を結んでくれたときも、こんな風に優しかった。そんなことを思い出す。

「お、いい色じゃねーか。よく似合う。なあ、ウォル」

「ああ。今度、ツキが店の手伝いをしている時に食いに行かねえとな」

「私も行きたいけど、……身内が来るなんて恥ずかしいわよねえ」

「……恥ずかしいけど、ううん、平気」

 そうしているうちに三角巾が結ばれたらしい。アビーが正面を覗き込んで「うん、可愛い」とにっと笑う。

「あ、もう終わった? はい、どーぞ」

 ちょうどセガルタも降りてきて、アビーの部屋から取ってきたらしい手鏡をツキナに手渡した。

 ツキナは照れくさくなりながらも手鏡を覗こうとしたが、その前に小さな袋が差し出された。

「おまけ。花が好きなんだろ」

 目をぱちくりさせて、受け取る。紙の袋はサラサラと細かいものが入っている音がする。

「今日、研究所の顔見知りに話したら分けてくれた種だ。薬草の類らしいが、白い花が可愛いらしい。育てるのも難しくないって言っていたし、畑の端にでも植えたらどうだ?」

 ウォルフが説明すると、バージルが「種って。そこは花束でも用意してやれよ」と笑う。

 賑やかに笑うみんなの声を聞きながら、手のひらにそうっと小さな種を出す。花など育てたことがない。兄が世話をしている畑も、まだまだ分からない。

「可愛い花がたくさん咲くといいね」

 私なんかが育てられるだろうか、といった心配も、兄にはお見通しなのだろう。

 ツキナはこくんと頷く。

「……うん。すごく、楽しみ」

「咲いたら、押し花にして、手紙に入れよう。ツキナが咲かせたって言ったら、父さんも母さんも、きっとびっくりするね」

 もう一度、頷く。

 泣きたくなる。

 だけど、ツキナは笑った。

「今度の手紙、たくさん書くことが出来たね」

 そんな優しい兄の呟きを聞きながら、ツキナはエプロンも身につけてみせた。

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