0010 良い一日を!


 セットしてあった目覚ましよりも早く、セガルタは目を覚ました。役目を果たせなかったアラームのスイッチを切り、体を起こした。背をぐいと伸ばし、軽く肩を回す。ベッド横のカーテンをジャッと勢いよく開けると、明るい朝がそこにあった。目隠しの垣根が朝日を浴びてつやつやとしている。

 彼は寝間着のままサンダルに足をつっこんで部屋を出た。出てすぐのリビングにはすでに朝食の匂いが漂っている。

「おはよう」

「おはよう。ウォルは?」

 ちょうどそこに居たのは洗濯物籠を抱えたツカサだ。彼は狼にいる全員のスケジュールを覚えている。今日も朝からケージの依頼が入っていたセガルタたちの時間に合わせて朝食を用意してくれたのだろう。

「眠そうだったけど起きていたよ。アビーはさっき食べ終わったから、そこの二皿はセグとウォルの分ね」

「ありがとう。すぐ食べる」

 ツカサが顔を向けたダイニングテーブルには二皿それぞれにサラダとスクランブルエッグが盛り付けられていた。

 セガルタはトースターに二人分のパンを入れてから洗面所に向かう。小さな棚から自身のタオルを引っ張り出し、ざぶざぶと顔を洗う。その流れで歯ブラシを口に突っ込んだところで振り返った。寝起きの顔をしているウォルフが突っ立っている。

「おあよお」

「口にものを突っ込んだまま喋るな。おはようさん」

 くあ、とあくびをするウォルフに場所をゆずり、シャコシャコと歯を磨く。そして、ウォルフと入れ違いになるように場所を替わってもらい、口をゆすいだ。

 寝癖が酷いウォルフの髪を摘んで笑って、小突かれてからキッチンに戻る。焼けたパンを皿に出し、珈琲を二杯分注ごうとして手を止めた。皿をとりあえずダイニングテーブルに起き、そのままローテーブルの方へ向かった。昨夜から出しっぱなしだったノートサイズの端末を手に取る。

「また片付けていなかったのか」

「ちぇー。ばれる前に回収したかった」

 様々な情報と繋がっている機械だ。パスコードでロックがかかっているとはいえ、各自で管理を徹底すること――とはウォルフから散々と言われている。「ごめんごめん」と謝りながら席に戻る。

「物取りにでも入られたらどうするんだ」

「俺が隣の部屋で寝ているのに。家に入った時点で後悔させる」

「そういうことじゃねえだろうが」

 ウォルフが珈琲を二杯持って席についた。

「いただきます」

「いただいまあす。――えーと。今日の依頼は……」

 テーブルまで持ってきた端末のパスコードを入力し、明るくなった画面に依頼の内容を表示させる。

 ヴェール協会ケージからの依頼だ。小さな異形シンズが群を形成している様子を周辺調査に出ていたチームが目撃。その場での駆除は失敗。そして、狼への依頼として回ってきたものだ。

 セガルタは焼き目の濃いパンをザグザグと音を立てて咀嚼しながら画面の情報を眺める。場所も目撃されたシンズの特徴も、予想される数も、挙げられている情報はすでに昨夜のうちに確認済みだ。一晩のうちに何か特別に警戒情報が足されていることもないようだ。

「濃度も問題なし、か。天気もいいし、仕事日和だ」

「数が多いのが少し鬱陶しいな。厳しい現場にはならねえだろうがラインからは離れる。準備はしっかりしておけよ」

「分かった」

 管理に力が入っている交通ラインから離れると、情報外の会敵も少なくない。セガルタは今日の乱入は何体になるかな、と気楽に考えながら珈琲をすすった。

「――あ、おはよう。ねえ、セグ。今日は何を持っていくつもり?」

 ちょうど階段から降りてきたのはアビーだ。まだ寝間着の姿である男二人とは違い、着替えも終わって髪もばっちりいつもどおりまとめられている。

 今日の仕事はセガルタとウォルフ、そしてアビーの三人だ。目の前をその場で殲滅させるのに最適な三人組であり、かつ、狼が持つ戦力のほぼ最大値でもある。本人たちにとっては至って通常のメンバー構成であるのだが、他所からみれば羨ましい限りの火力だ。

「おはよう。どうしようかな。小型が多いみたいだし、散弾も有りか」

 アビーは装備品のボックスから幾つかのものを取り出し、ヒップバッグに詰めていた。ボックスに入っているのは薬液イルだけではない、閃光弾や煙幕などの戦況を覆すためのものも揃っている。

 彼女が取り出すものを横目で見ながら、セガルタは自分の立ち回り方を考える。

「銃を持っていくならちゃんと当てろよ。お前は無駄撃ちが多い」

「ウォルが上手いだけでしょ。そんなこと言われたら私も銃を持っていけないじゃない」

「いいや、今日のこいつは当てる気がしねえ」

「あはは。確かにセグって当たる日と外す日の差が激しいものねー」

 町と町が孤立している現在、物資は充実しているわけではない。生産工場を持っているものならまだしも、他は別の町から買うことが基本であり輸送費などがどうしてもプラスされていく。それは日用品だけではなく、武器や銃弾も例外ではない。輸送費の分だけどうしても高値がつく。無駄に消費していられる豊潤な資金があるわけでもない。

「……じゃあ止めておく」

 銃はシンズからも距離を取ることが出来る上に当てればダメージも大きな武器で重宝される。

 しかし、セガルタは今ほど十分に銃弾を用意が出来なかった頃から、確実に攻撃を当てられる刃物や棍棒などの近接武器を手に取ることが多かった。そのため、彼は今でもそちらの武器の方を得意としていた。ウォルフほど狙いをつけるのが上手くもないし、それに手間取るよりは自ら飛び出して斬りつける方が手間がない。

 ただ、決して彼は銃の腕が特別に悪いわけではない。

「それなら……いつもの剣か――あ、そうだ。この間、バージルが買った棒」

「ああ。あの折れた棒ね」

「……その棒には三節棍って名前があるんだぜ」

 ウォルフがあくびを噛み殺しながら言うと、セガルタとアビーは顔を見合わせて肩をすくめた。

 なんでも、バージルが得意先から安く譲ってもらった――処分先として使われたともいう――武器で、まだ誰も使っていない。

「じゃあ、その三節棍。使ってみたい」

「私も気になってたの。良さそうだったら私にも使わせて」

「どーぞ、お好きに。――ごちそうさま」

 セガルタが席を立つ。そのまま持っていく装備の話をしているウォルフとアビーの横を通り抜け、シンクに食器を置く。また置きっぱなしにしてしまうところだった端末を手にする。

「セグ」

「んー?」

 そのまま部屋へ戻ろうするのを呼び止められる。

「慣れた武器も合わせて持っていけよ」

「すぐ慣れる」

「セグ」

「はーい」

 了解、と片手を上げて笑ってから自室に入った。

 端末をベッドの上に放り捨て――本当はきちんと引き出しにしまえとウォルフに言われている――寝間着だか部屋着だか分からないTシャツを脱いだ。

 薄くはなっているが、仕事柄、体に傷は多い。打ち身や擦り傷なんかは日常茶飯事だ。セガルタは先日に作った大きな打ち身がようやく肌の色に戻ってきたのをちらっと見下ろしてから、肌にぴたりとしたシャツに首を通す。下もはきかえ、靴もサンダルから紐靴へ。靴紐を固くぎゅっと締め直したところで鼻歌がまじり始める。

 昨夜の寝る直前に聞いていた曲を自身で再生しながら、いつものパーカーを羽織った。撥水加工だなんだと銘打たれたものだったが、そんな機能はとうに失われている。繊維の奥に染み込んだ黒い血は簡単にとれないのか、買った当初より色がくすんできた。それに、走って転がって吹っ飛ばされてと、こき使われているせいで布自体も傷んでいる。

 新しいパーカーを買いに行かなければならないことから顔をそむけながら、セガルタはズボンに通したものとは別のベルトを腰に巻いた。剣をぶら下げるホルダーがふたつぶら下がっている。

 鼻歌がサビに入る前、ちろりと唇をなめた。

 そして、最後に一応程度に存在するテーブルにある黒の首輪を取り、己の首に巻いた。町の外に加護持ちヴェールとして出ていく際に必須の、それぞれの認識番号が振られたタグがひっついた首輪だ。

 ウォルフとお揃いの輪を確かめるように触れてから、セガルタは笑みを浮かべたままご機嫌な足音で部屋を出る。



「セグ。準備はしたか」

 家の裏にある倉庫からセガルタが選んで持ってきたのは慣れた長剣と、慣れない三節棍だ。ホルダーを棍に巻きつけて強引に固定した彼は、首をゴキと鳴らす。

「した」

 着替えたし、武器も持った。彼なりの準備は整っている。

「……しっかり準備をしろって言っただろうが」

 呆れた調子で言ったウォルフの背にはボディバッグが、玄関の前で出発を待つアビーの腰にはヒップバッグがぶら下がっている。

 しかし、セガルタの体にぶら下がっているのは剣と棍だけだ。

「何か持てよ」

「じゃあ、イル」

「馬鹿言え。昨日も使っていただろうが。却下だ」

 ふっと笑ったウォルフが手に持っていた軽そうなボディバッグを投げて寄越した。彼自身が身につけているものより少し小さいサイズで、重たくもない。

「今日は数が多い予定なんだし、あんたも採取のセットくらいは持っていてよ」

「派手に動きすぎて割るなよ」

 セガルタは良い子の返事をしながら、首にバッグをかけた。中を見てみると、シンズの血を採取するための瓶が幾つか、袋に包まれた状態で入っている。あとは小さなボトルに入った水と布、そして煙幕が場所を取っている。

「気をつける。ようは一撃ももらわなければいいんだろ」

「冗談を言ってろ――と言ってやりたいが、お前はやりかねねえからな」

「さすがに群れはセグでも難しいでしょ」

 けらけらと笑ったセガルタがバッグを閉じ、きちんと肩を通して背中へ回した。

「とりあえず、バッグに突進をくらわないよう気をつける」

「あんたのバッグが煙を吐き出したら、それはそれで面白いけどね」

「えー。俺は面白くない」

 のんびりしたやりとりをしながら、セガルタが玄関を開けた。アビーが横からするりと出ていく。

「ウォル」

「おう。行こう」

 そして、ウォルと共に扉を越えた。

 朝の空気はまだ澄んでいる。良い天気だ。

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