0007 狼の休日

 ベッドに寝転がっていたセガルタが目を開けた。手探りで枕元の小さな時計を掴み、盤面を見る。

「……えー。朝飯を食い損ねた……」

 目覚めるには遅すぎる時間で、上半身を起こした。眠りすぎて体が固い。

 ベッド脇にある靴ではなくサンダルに足を突っ込み、立ち上がる。大きなあくびをしながら扉を開けた。

「おはよう。遅いぞ」

 開けて直通のリビングには自身が愛用しているソファに座るウォルフの姿があった。彼は手元の端末に何かを入力していたが、すぐに手を止めてこちらを見る。

「おはよう。朝飯って残ってる?」

「ない。起きるかどうかも怪しいから作らなくていいって俺がカサに言った」

 普段はツカサが朝食を用意してくれることが多い。今日みたいな休みが確定している朝は特にだ。

 あくびを奥歯で噛み殺しながら、セガルタはウォルフに近づいて薄っぺらな画面を覗き込む。細かい数字が並んでいて、思わず顔をしかめた。

「もうすぐ昼飯だ。我慢していろよ、腹ぺこさん」

「……その昼飯を誰が用意するかは決まってる?」

「俺だよ。何か食いたいものでもあるか」

「がっつり食えるもの」

 ウォルフが苦笑しながら画面を消し、ローテーブルに端末を置いて立ち上がった。

「寝起きの胃がびっくりするぞ。ほら、早めに作ってやるから顔を洗って着替えろよ」

 セガルタはやる気のない返事をしてから洗面所へ向かい、その途中で振り返った。

 今日はチーム全員が休みのはずだ。急ぎの依頼もなく、黒の霧フォグも安定しているからと、ウォルフが数日前に設定した――放っておけば幾らでも依頼を受け続けるセガルタを強制的に休ませるための――休日だ。

 そんな全員が揃った休みだというのに、姿があるのはウォルフだけだ。

「みんなは?」

「アビーとツキは買い物で、そのまま飯も済ませてくるってさ。バージルは部屋だし、カサはそろそろ畑から戻ってくるんじゃないか」

「バージルも寝てるんじゃない」

「馬鹿言え。一昨日お前が壊した罠を直してんだよ」

「言わなきゃよかった」

 べ、と舌を出して笑ったセガルタは今度こそ洗面所に引っ込んだ。



 たっぷりの湯で湯がいた麺にたっぷりのミートソース。セガルタは空っぽの胃にそれを詰め込んでいた。大きなひと口を頬張っている間に次のひと口をフォークでぐるぐると巻いている。

 昼食で揃ったのはウォルフが言った通り、ここに残っている男ばかり四人である。天気から畑の出来、重要なことなど一つもない会話が交わされていた。

「みんなの午後の予定は?」

「さっきの続きだな」

 口の中を空っぽにしてからセガルタが問うと、隣に座っているウォルフから間髪を入れず答えが返ってきた。

「うわあ、仕事人間」

「お前には言われたくねえよ。というか、お前だって昨日の報告書がまだ出来てねえの分かってんのか」

「ウォルが昨日の晩、『セグ。明日はオフだ。休めよ、絶対にだ。分かったか』って言った」

 暫く丸一日の休みを取っていなかったセガルタがウォルフの口調を真似るが、反対側に座るバージルが「似てねーな」と笑った。

「今日やれとは言わないが、提出期限までには絶対に間に合わせろよ。またひとりでケージに行かせるぞ」

「それは嫌だ。――バージルは?」

「お前に壊された罠の修理がもうちょっとかかりそうだわ」

「それは本当にごめん」

「ごめんって顔じゃねーぞ。にやにやしやがって」

 反省の色なく笑ったセガルタが最後の一口を頬張った。視線はバージルから逃げるようにして、聞き役になっていたツカサに向ける。

 ツカサは視線で他と同じように問われていることに気付き、首を僅かに傾げた。何か決まった予定は思い浮かばない。

「うーん……。俺は、特になにも。ウォル、必要なら手伝うよ」

「ああいや、量を抱えてるわけじゃないんだ。問題ない。――お前も今日はしっかり俺たちに家事雑用を押し付けて休んでくれよ」

 家のことは全員で、が一応の家のルールではあるが、町の外へ出て仕事をこなす四人では手が回らない部分も多い。ツカサとツキナがメンバーとなってようやく余裕が出来ているのだ。ただ、その余裕はこの兄妹がせっせと家事をこなしてくれるおかげで、押し付けすぎないようにしなければ今度は彼らの休みがなくなってしまう。

「セグは暇なんだろ。掃除でもやれよ」

 ウォルフが生野菜を上手にフォークでまとめながら、セガルタを小突く。

「えー」

「ならお出かけでもしてくるか」

「報告書も掃除もお出かけも気分じゃない」

 ごちそうさまを一番にしたセガルタは片肘をついて、もう一方の手のひらを上に向けて揺らす。

「セグが出かける気分になることってある?」

「……ランニングの時くらいは自主的に出ていく」

 ツカサの指摘に苦い笑みになりながら、小さく呻く。やることがない。

「何をして時間を潰そうかな」

「報告書」

「修理の手伝い」

 そんな小さな呻き声に、ウォルフとバージルの声が重なった。少し遅れてツカサが「あ……ええと。それか、掃除?」と遠慮がちに付け足す。

「えー」

 逃げるように視線を彷徨わせ、最終的にツカサと目があった。

「――カサ。一緒に何か観よう」

「え、あ、うん。俺は……いいけど」

 今度はそのツカサの目がきょろと動いた。ウォルフとバージルの無言の圧力でも見えるのかもしれない。

 こいつは今まで寝ていただけだぞ、何か押し付けてやれ。

 俺の修理を手伝ったほうがいいと思わせてくれ。

 ――セガルタにもそんな声が聞こえてくるような気がして、彼は「ちぇー」と唇を尖らせた。



「っはは! 似ってねーな」

「歌自体はそこそこ上手いけどな」

 そんな評価をされたのはセガルタだ。

 昼食後、ウォルフとバージルを巻き込んで休憩延長に成功した彼はお気に入りのソファに深く沈む。くだらない映像作品のお勧めから始まり、お気に入りの音楽の話を片手にカードゲーム、そして今は何故かセガルタのひとり歌唱大会状態になっていた。

「えー」

「……女の人の歌を真似するのは流石に無理があるんじゃない?」

「はは。カサの言う通りだ」

「どう足掻いたって可愛げのねー声だからな」

 ツカサが笑いながらローテーブルに散らばったままのカードをまとめ始める。

 それに気が付いたウォルフも背を起こし、それに手を伸ばした。その空いた背中にセガルタが大きな手のひらをぐいと押し付けてきた。

 次はお前がやってよ、なんて無言が熱と一緒に伝わってくる気がした。

「なんだよ。お前はお前で可愛いよ、歌姫さん」

「……そういうことじゃない」

 セガルタが何を求めたのかは分かったまま違う答えを出したウォルフは、カードを箱にしまった。背中の大きな手を払い、またソファにもたれかかる。

「ま、カサの方が可愛げがあるわ」

「ちぇー。じゃあバージルが歌ってよ」

「なんで俺だよ! そこはカサに言うところだろーが」

 バージルの素早い反応にセガルタはけらけらと笑いながら、ウォルフが開こうとした端末をひょいと奪った。知っているロックナンバーで勝手に開き、音楽のフォルダを開く。

「あ、こら」

「じゃあ次の曲はー」

「自分のを使えって。お前じゃないんだ、音楽データも映像データもたいして入ってねえよ」

「えー」

 セガルタとウォルフがそのまま二人がけのソファで一つの端末を奪い合っていると玄関が開いた。

「たっだいまー」

 それにまず反応したのはバージルとツカサだった。

「おかえり」

 帰ってきたのは買い物に出ていたアビーとツキナだ。ツキナは小さな紙袋を一つ持っているだけだが、アビーは幾つも手に下げている。

「おー、またいろいろ買ってきたなー。いいもんあったか」

「すっごく可愛いワンピースがあって……あ、別に私のじゃなくて。ツキのなんだけどね。――って、そっちは何やってんの」

 ツキナが兄のツカサに買ってもらったワンピースの説明を始める横で、アビーはじとっとした目でセガルタとウォルフを見た。

「おかえり。俺は作る資料があって――」

「俺はまだウォルと遊んでいたい」

 端末の取り合いをしている二人に呆れた息を吐く。

「くっだらない……。ウォル。あんた、セグに働きすぎだって休み取らせるんなら、あんただって同じでしょ。そんな画面ばっかり見てたら馬鹿になるわよ」

 ウォルフがぐっと言葉に詰まったのを見てアビーが勝ち誇ったように、にっと笑う。そのままご機嫌な様子で紙袋をダイニングテーブルへ置いた。その紙袋たちの中から、一番小さいものを持ち上げる。ツキナがそれに気付いて「珈琲を淹れる?」と首を傾げるので、そのまま頼んだ。

「あ、なあ。アビー。この歌を知ってる? 聞いて――」

「知らない」

「……まだ歌ってない」

 ウォルフの端末から手を離したセガルタが笑った。

「あんたみたいにいろいろ見たり聞いたりしないもの。趣味だって合わないし」

「それはそうだけど。……それはなに?」

 アビーは持っていた小さな紙袋を自慢げに揺らし、ローテーブルの真ん中に置いた。

「お土産。ちょっと早いけど、おやつにしない?」

「ちょうど焼き菓子が安くなっていたの。それで……アビーがみんなにって」

 珈琲メーカーをセットしたツキナがソファの方へ戻ってきた。

 ウォルフはそんな話に真っ先に身を乗り出し、紙袋の口を人差し指で引っ掛けるようにして開いた。

「お、美味そうだな」

「でしょ。ツキが選んでくれたのよ。ほら、それとかあんたが好きそうだからって」

「はは、間違いない」

 ご機嫌になるウォルフの横に、セガルタもにょきっと顔を出した。甘い匂いが漂っている。

「えー。甘いやつばっかりだ」

「あんたの分はないわよ。買ったって食べないでしょ」

 アビーの遅い確認にセガルタが「うん」と即答したが、またソファへ戻って面白くなさそうに頭の上で手を組んだ。

「食わないけど、ないのは寂しい」

「その分、珈琲は一番大きなカップに目一杯入れてあげるわよ」

 セガルタが全く寂しくなさそうに笑っているのを見てから、アビーはキッチンに入った。そこで手を洗いながら肩をすくめる。いつもどおりのやり取りだし、甘いものは彼を数に入れないのは決まっていることだ。

 しかし、ツキナは困ったように眉を下げてうつむく。

「あの、ごめんなさい……。別のもの、探してくればよかったね……」

「え? ああ、ごめん。ツキは気にしないで。あっても本当に食わないし、余るだけなら買わなくていいって俺が前から言ってて」

「構ってちゃんの言うことなんていちいち真に受けなくていいのよ。セグって気紛れでも甘いもの食べないんだから」

「……気紛れくらいは時々ある」

「用意されたものに対しての気紛れはあっても、ないものに対して食べたいってないでしょ! 今日みたいに!」

 セガルタとアビーが慌ててツキナのフォローという名の言い合いをしているのを聞きながら、ウォルフは「ああそうだ」と顔を上げた。

「セグ。何かほしいっていうなら、俺からやるよ」

「えーなになに。ウォル、大好き」

 セガルタが期待の目をウォルフに向けると、彼はセガルタの端末を指差した。その何かを送ってくれたのだろう。喜んでロックを外す。

 新しい音楽のデータか、探していた映像データか――。

「……えー」

 修正箇所に赤が入った書類だった。

 ウォルフに不服の顔を向けるが、彼はくつくつと笑っているだけだ。

「大好きなんだろ。喜べよ」

 今日一番の渋い顔をしてみせたセガルタに、素知らぬ顔をしていたバージルが吹き出して笑った。

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