0005 ツカサ・ツクシ


 予備も含めて、武器に治療用キットに罠に。いろいろとトレーラーに積んだセガルタは、一段落したところで明けて間のない空を見上げた。淡い色が空に滲み出している。

「セグ。バージルがこれもって」

 グラデーションの変化を眺めている間もなく、ツカサが荷物を運んできた。セガルタと比べれば華奢で細い体つきをしているが、重たそうな箱を持ってしっかりと立っている。

「分かった。ありがとう」

 セガルタは軽々とそれを受け取り、中身を覗いた。自身は全く使わない、罠の類のようだ。開けっ放しのトレーラに上がり、奥の方へそれを置いておく。

「ウォルは?」

「ツキナが弁当を作ってるのを手伝ってくれてる。詰めるだけだってさっき言っていたからもうすぐ終わるんじゃないかな」

「ツキの弁当は美味いし楽しみだ」

 朝食を腹に詰め込んでからそんなに時間は経過していない。それでもチーム一の料理上手が用意している昼食は今から楽しみだった。ただでさえ今日は朝一からの、拘束時間が長い仕事だ。間に一つや二つ、楽しみがなければ面白くない。

「アビーがさっき間食にって何か持っていたし、今回は腹が減ってエネルギー切れ、なんてことにはならないかな」

 セガルタはトレーラーの両開きになっている扉に腕組みをしてもたれかかりながら笑い、ツカサの表情はそんなに明るくないことに気がついた。

 何度か瞬きをした後、トレーラーから飛び降りる。大きな手でツカサの濃茶の髪をわしっと撫でた。

「今日は調査範囲が広いだけで、危ない仕事ってわけじゃない。時間はかかるけど、そこまで心配するようなものじゃないよ」

 チーム総出でかかるような依頼だとしても、ツカサはそこに含まれない。

 狼の中、唯一の一般人。

 加護持ちヴェールではないツカサは共に依頼をこなすことが出来ない。加護のない彼にとっては異形シンズのような目に見える化け物だけでなく、それらが汚す空気でさえ簡単に死に繋がってしまう。

 そんな恐怖が漂う外へと出ていくセガルタたちを、彼は見送るしか出来ない。

 ただ、セガルタからすれば中も外も行動するのに大差がない。シンズが彷徨くか否かといった違いはあっても、ツカサのように見えない黒の霧フォグに怯える必要も、それから身を守るためのマスクも必要もない。

 今日だって気楽なもので、まるでピクニックのように弁当を食べる時の天気を心配したくらいだ。外へ出る程度のことに心配は不要だ。

「そうは言うけど……。どんな仕事でも、心配なことには変わりないよ」

 彼に仕事ぶりを見せれば、どれだけ自身が強いか、負ける心配などないかをはっきり見せれば、心配も減るだろうかと思ったことがあった。しかし、連れ出すことはしない。

 リスクから彼を守り抜く自信はある。

 それでもつきまとい続ける危険が外にはある。相棒は反対するだろうし、それを押し切るつもりがない。

「ありがとう。でも、カサもツキも心配しすぎ」

 セガルタはむず痒くなってきた首の後を軽く掻く。ツカサと同じ十七歳の頃にはとっくにシンズを狩って狩って狩りまくっていたし、そこに自信こそあっても恐怖はなかった。

「大丈夫。俺は強いよ」

「……分かってる。セグもみんなも強いことは、信じてる」

 だけど不安。

 ツカサの分かりやすい表情を覗き込む。大きな黒の瞳がぱちぱちと瞬きをして、こちらを遠慮気味に見返している。

「信じていてくれるなら、十分」

 すく、と背を伸ばす。

 ツカサは嘘偽りなく信じてくれている。

「俺はそれに応える」

 セガルタは下がった眉や目に逆らうように、強く笑む。

 まっすぐこちらを見上げるツカサの瞳には朝の澄んだ光が入っている。

「――うん。俺はみんなを信じて、ここで待っているよ」

 ツカサ・ツクシ。

 彼はヴェールとしては戦えない、だが、信じて待ち続ける強さを持つ仲間だ。



 豚の腸詰めを焼いて、スクランブルエッグの隣に並べた。食べてほしい仲間たちはまだ眠っているが、昨夜は遅くまで外にいて疲れているであろう彼らをわざわざ起こすつもりはない。ただ、出かける用事があるからと言って自分たちの分だけを作るのも申し訳なく思い、ツカサは冷えても食べられるものを人数分盛り付けておく。

 パンや珈琲は出来たてがいいだろうと手を付けず、ツカサはリビングにある壁掛け時計を見上げた。出発の時間にはまだ余裕がある。出かける準備もすっかり整っているので、やっておくことがない。

 妹と一緒に何かを一杯飲んでから出かけようかと考えていると、リビングから繋がる扉が開いた。セガルタの部屋だ、当然、そこからは彼が出てくる。

「ふあ。おはよう」

「おはよう。ごめん、うるさかった?」

「いいや。いい匂いにつられた」

 大あくびをしたセガルタがそのまま洗面所に向かう。

「あ、セグ。タオルは新しいのを出して。さっき洗濯しちゃった」

「分かったー。……あれ、今日の当番って俺じゃなかった?」

「疲れてるかと思って……時間もあったし、しておいたよ」

 洗面所越しにセガルタが「ありがとう。でも、俺はそんなに疲れてない」と笑っているのが聞こえてくる。

 彼はそう言っているが、日が昇る頃に出ていって、帰ってきたのは日付が変わる少し前だ。

 ツカサは彼らが帰ってきたところまでは見たが、その後は寝るよう言われたので何時まで起きていたのかは知らない。それでも、あれからシャワーでシンズの血を流し、着替え、簡単な食事を摂って――と眠ったのはもっと遅いはずだ。現に他のメンバーは誰も起きてこない。

 誰よりもタフなセガルタであっても仕事量は仕事量だ。疲れがないわけはない。

「みんなの手が回らないことをする。それが俺の仕事だから」

「うん。助かってる」

 チームが受け取る依頼は、ケージを通したものであろうがそうでなかろうが、ヴェールでなければこなせないものが殆どだ。そんな中、ヴェールではないツカサの役割はこの家を成り立たせることである。簡単な事務の手伝いに、電話番、借りた畑の面倒を見て、そして家事全般。行動時間に日々ばらつきがあるメンバーたちの手が回らないところをツカサが引き受けている。

 顔を拭きながら出てきたセガルタがキッチンに並ぶ皿を見て、おっとりと微笑む。

「朝飯まで用意してくれたんだ。ありがとう」

「もう食べる? まだ温かいよ」

「食おうかな。――ああいいよ、自分でやる」

 すでに切ってあるパンを二枚、セガルタがトースターに置いた。

 ツカサは棚から珈琲を取り出しながらセガルタをちらと振り返る。

「珈琲でいい?」

「自分でやるって。カサも用事があるだろ」

「ううん。ちょうど俺も飲んでから出ようと思ってたから。これは俺のついで」

「出かけるのか……どこへ? 買い出し?」

 珈琲メーカーをセットしたツカサが行き先の方向を指差す。ケージとはちょうど反対方向だ。

「今日は集会」

「ああ、あれか」

 気のない返事をしたセガルタがキッチンで並んだまま腸詰めを指で摘んで食べた。パキ、といい音がする。

「セグも行く?」

「行かない」

 被せるような早さでセガルタが答えた。

 分かっていた答えにツカサは「だよね」と笑う。

 これからツカサが妹を連れて向かうのは教会クレイドルの支部だ。十日毎に集会が開かれ、近所の住人が集まってそこで祈りを捧げるのだ。ツカサはほぼ欠かさず、毎回それに出席している。

 クレイドルは孤立した各町にある、それぞれ町の中心を担う大きな組織だ。シンズやフォグなどの脅威から町を守るために機能しており、ヴェールやヴェール協会ケージの管理もクレイドルの役目の一つである。そこではシンズやイルの研究なども進められているが、最も重要視されているのは女神への祈りだ。

 祈りを受け、女神は選んだ人間に加護を与える――そうして誕生するのがヴェール。

 だからクレイドルはヴェールのために祈り、ヴェールを守るために管理する。女神に選ばれ生まれる奇跡を守り育てる揺り籠なのだ。

 ――そう説かれるものを、。ツカサは祈りを捧げる。

 この祈りで、新たなヴェールが生まれますように。

 この祈りで、ヴェールのみんなに更なる加護を与えてくれますように。

 そして、女神が、妹を守ってくれますように、と。

「今日はアビーとバージルを誘わないの」

「うん。わざわざ起こすほどじゃないよ」

 他のメンバーは時間が合えば共に祈りへ出かけるが、セガルタは祈らない。彼の相棒も、同じく。

 狼の中で最も信仰心の強いツカサはそんな彼の分まで強く祈る。

「ツキは?」

「一緒に行くよ。ツキナも珈琲を飲んでから出るかな……淹れておこうっと」

 パンを取り出して皿に置いたセガルタがついでに冷蔵庫からミルクを取り出してくれた。ツカサも妹も珈琲の苦味を押さえるためにミルクが必要だ。

 ツカサは先にセガルタのカップに珈琲をたっぷりと注ぎ、妹の分には砂糖を足す。

「集会なら昼には戻ってくるか。飯は任せてもいいの」

「いいよ。じゃあ俺とツキナで作るから、みんなにもそう言っておいて」

 苦い珈琲を砂糖もミルクもなしに一口飲んでから、セガルタが席に座った。

「依頼もないし、俺が作ってもいいんだけど。カサたちが作る方が美味いんだよなあ」

 ガリ、とよく焼けたパンが音を立てた。

 大きく口を開けてパンをかじるセガルタを見る。大きな背中に、流れるような筋肉、背も高いだけではなく逞しい。最強という肩書は加護という奇跡だけではない努力の賜物であることは、一緒に暮らしているうちによく分かった。

 ツカサには加護がない。女神には選ばれなかった。今日も明日も祈るしか出来ない。

 だが、それがなんだというのだと思えるようになってきたのは目の前に存在する強さのおかげか。

 セガルタ・ゼロ。

 彼は最大級の加護を与えられたのに、祈りに頼らない強さと逞しさを持ったひとだ。

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