0004 バージル・ハズラック
夕食も当分前に終え、他の同居人たちは自室に戻っていた。セガルタも自室でのんびりしていればいいのだが、敢えてリビングのソファに寝転がっていた。二人がけのソファはベッド代わりには狭く、膝から下がはみ出ている。
急ぎで片付ける仕事もなく、音楽を聞いている気にもならず、ただ目を閉じていた。腹の上で組んでいる指をもぞもぞと動かし、待っている。
眠りに落ちてしまう前に待ち人が帰ってきてくれることを願いながら、指だけではなく足も動かし始めた頃、玄関の鍵が開く音がした。
「あー疲れた疲れた。ただいまーっと」
待っていた声にセガルタはぱっと体を起こす。
「おかえり」
「うお、そこに居たのか。ただいま」
誰もいないと思いながらも帰宅の挨拶をしたのはバージルだ。彼は青みがかかった灰色の髪を押し上げているヘアバンドを下ろしたが、癖のついた髪は落ちることなく上がったまま飛び跳ねている。
「お疲れさま。随分遅くなったね」
「いやー本当に疲れたわ。トラブルに巻き込まれてよー。腹も減ったし」
重そうな荷物をダイニングテーブルの横に置いたバージルはキッチンシンクで手を洗い、冷えた鍋を覗き込んだ。
「お、今日の料理当番はお前か」
「正解」
「お前が作るもんはなんでもごった煮だからすぐ分かるわ。後はなんだ、ブロッコリーか。山盛りじゃねえか……」
「湯がきすぎて、余っちゃって」
バージルは冷蔵庫から森のようになったサラダとドレッシングを取り出す。
セガルタもソファから立ち上がって、コップに水を注ぐなりして手伝おうとしたが手で制された。その手で彼は棚から透明の酒を出す。
「お前も飲むか。付き合えよ」
「いらない。この間、飲みすぎてウォルに怒られた」
「お前は酔うと面倒くせえからなー」
「……あの日は疲れていたのと、イルが――あ」
自分用にと水を注いでいたセガルタが言葉を切った。
「なにさ」
鍋を温め中のバージルを置いて席にひとりで座る。
「イルがもうない。今日使ったのが最後だと思う。ウォルにも言ったけど、ストックごと切れてるって」
リビングでわざわざバージルを待っていた理由だ。早めに言っておかなければこのまま日常会話に紛れて忘れてしまう。
報告にバージルは「あいよ」と気楽な返事をし、ごった煮という名のスープをよそい、そして眉をしかめた。疲れの見える灰色の瞳が、セガルタをまっすぐに見た。
「……もうねえのか」
「そういうことに、なる」
セガルタが目を逸らす。逸した先、ちょうど正面の席にバージルがスープを持ってきて座った。
「早くねえか」
「……少し?」
「少し、ねえ」
具沢山のスープを口に入れ、バージルが黙った。なくなるまでの日数でも数えているのか、視線が少し横にずれている。
こうやってしばしば使用量や頻度に対して小言を並べられるのは
イルは
セガルタはそんなものに頼らずとも問題ないほど強いと自覚しながらも、必要ないイルを摂取する傾向がある。相棒からも悪癖だと言われているのだが、つい手に取ってしまう。
「そんなにハードな依頼なんて飛び込んできてねーだろ」
ここ最近の依頼状況はバージルの言う通りで全く間違いがないので、何も言い返せない。フォグの濃度は安定していて
「イルくらい好きにすりゃあいいけどよ」
森のサラダにフォークを向けたバージルは口をへの字に曲げている。
「お前には必要ねーだろ」
「うん」
即答。
実際、イルを使う必要はないことが殆どだ。
セガルタはフォグへの耐性が抜群に高い。ヴェールとしての最高ランクであるブラックに分類され、バージルたちのような一般的なランクが進行出来ないような濃度でもマスクが必要ない。そんな強い加護を受けている彼が耐性の強化をしなければならない場面など、そうそうない。あったとしたらこの町がフォグに飲まれる時くらいのもので、それは起こってほしくない最悪の事態である。
「なくても大丈夫」
「その自信があっても、使うんだもんなー」
そして、セガルタは狩りの能力が高い。耐性が高くとも戦えないヴェールだってある中、彼は狩人としても最高の適正を持って生まれたのだ。
シンズを狩るために生まれたと言ったとしても、過言にならない。
「……お守りみたいなものかな」
そんな狩人の考えた末の言い訳に、バージルが酒をぐいと煽った。
「んな物騒なお守りがあるか!」
大声ではあったが、彼が怒ったわけではないとセガルタは分かっている。嘆きや呆れが声を大きくしているのだ。
セガルタは山盛りのブロッコリーを一つ摘む。
「物騒にならないようウォルとバージルが管理してくれているし、大丈夫」
もそもそした緑を咀嚼しながら、肩をすくめた。塩気が薄い。
バージルは二杯目を注ぎながら、じとっとした目を向けてくる。
「管理っつっても最低限だけどなー」
「十分」
用法用量、使用間隔など、あらゆる注意事項を無視してしまうのがセガルタで、そんな彼のブレーキがバージルたちだ。装備品を常備しているボックスにはいつも最低限のイルしか入れないし、セガルタがストックから勝手に追加してはいけないルールが設けられている。
「そもそもなー、お前ももう大人なんだぞ。自己管理をしろ」
「えー。俺は使っても大丈夫だと思ってるから使ってる」
「管理機能が正常じゃねーな……」
「そんなことないって」
今まで何度も繰り返されてきた小言だ。セガルタも聞き慣れているし、バージルも言いなれている。
「試しに俺が自分で管理してみようか」
「お前に任せられるか」
「ちぇー。信用されていないなあ」
「信用なんて出来るかよ。――お前のランクじゃあイルの効果だって薄いとは分かってるけどよ、なんでもほどほどだぜ。ほどほど」
これでもほどほどに抑えているとは言わず、セガルタは気の抜けた返事をしてブロッコリーをもう一つ。
まだまだ小言は続くようだが、彼はきっとイルを用意するだろう。効果の薄いものや安全性の高いものを選んで。この種類を、この量で、使用間隔は、といちいちセガルタに言い聞かせてくれながら。
バージル・ハズラック。
彼はなんだかんだと頼みを聞いてくれ、結末までを見届けてくれると信じている仲間だ。
届いた箱を開け、中身を確認したバージルはチーム内の電子掲示板に今回入ってきたイルの詳細を上げた。すぐに既読のチェックが入ったのは流石のリーダーで、一番読まなければならないセガルタは促さなければ読まないことだってある。
バージルは何本かだけを持って部屋を出た。リビングにある装備品ボックスにそれらを入れておく。
「おい、セグ」
そして、ソファから垂れている足に声をかけた。
二人がけのソファをああやってだらしなく使うのはセガルタしかいない。いつも窮屈そうにくつろいでいる。
呼ばれたセガルタは体を起こし、バージルを見た。端末を手に持っているようだが、新着の掲示板を開いている様子はない。寝転がりながら報告書でも書いていたのだろう、目が眠そうにぼやけている。
「新しい分が届いたぞ。ボックスに足したが、ちゃんと確認して気をつけて使えよ」
「ありがとう。後でちゃんと読むし、気をつける」
セガルタは気をつけるというが、彼の思う危険な量とバージルが思う危険な量は違うのだろう。そして、同じイルを使ったとしても、彼が感じる効果とバージルが感じる効果が違うことも知っている。
イルはシンズの体液をベースにして作られる。もちろん成分は適切に調整されているが、加護のない一般人には毒となるような代物だ。
ただ、その毒ですら飲み干せるのがヴェールである。そして、ヴェールの加護が強ければ強いほど、イルは効果を発揮できない。元がシンズの毒なのだ、強い加護はそれすらも打ち消してしまう。
「ない間も問題なかったろ」
「うん。当然」
セガルタが栄養ドリンクの如く気軽にイルを手に取れるのも、強い加護があってこそだ。バージルたちが同じ使い方をするリスクとは全く異なる。
「でも、ほら、お守りだから」
バージルの心配を他所に、セガルタは呑気に笑っている。
「お守り、ねえ」
鼻を鳴らし、腕を組む。
最強の名を冠するようなヴェールが何をイルで補っているのか。バージルには分からない。
「なら、水に入れ替えちまっても分からなさそうだな」
「バージルの酒みたいに?」
「……は? 待て。まさか、まさかだよな!?」
「冗談」
バージルの狼狽え方が面白かったのか、セガルタが大口を開けて笑った。冗談だと言いながら本気のことも多い彼だ。今はまだ冗談でも、いつか本当にやりかねない。
酒の味には気をつけておこうと口をへの字に曲げながら、まだ笑っているセガルタの隣に腰を下ろした。画面が暗くなっている彼の端末をひょいと取り上げる。
「酒に水を混ぜやがったら、お前のイルも水にしてやるからな」
楽しそうに笑う姿に安心もしながら、端末のロックを外させ、掲示板を表示させた。そして、何度も繰り返してきたイルの説明を飽きずに、彼にしていく。
セガルタ・ゼロ。
彼は心配になるほど強い、最高の仲間のひとりで大事な友人だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます