第8話

 アルブラード家、屋敷──


 屋敷に来客があった。

 それは男だ。

 昨日写絵で見たあの男?

 いや、違う。容姿が全然異なっている。

 禍々しい姿。

 黒色の衣に身を包んだ男だった。

 褐色の肌の男だった。

 黒い眼球には血のような赤い瞳が覗いている。まるでこの世の憎しみを一身に受け持ったような色。

 男は正門前に立ちながら、屋敷の周りを見回して。


 「俺と同盟を結びたいそうだな。ならばこの結界を解くがいい。魔術師共」


 ──冷ややかな声で、そう告げた。


 どう見ても男は人間ではなかった。

 まだ種族名は分からない。

 多くの魔物を見てきたが、あのような人間に近しい容姿は稀だろう。

 同盟とはどういうことなのか?

 突然の出来事にエリサは驚愕を隠せなかった。

 なんと自分の天明眼があの者は昨日の男だというのだ。

 昨日見せられた写絵を手にまた居場所を見る。

 やはり、昨日見た爽やかだが愚民の格好をした男と同一人物だというのだ。

 容姿が別人過ぎる。──来客を迎え入れた応接間を窓辺からそっと覗き、男を観察するも、確信が得られなかった。

 だが。

 パラフススがお父様に言ったのだ。

 

 「間違いなく昨日の悪魔殿でしょう。特有の気配を有しています」


 悪魔。

 やはり機能お父様が話したのはこの悪魔と同盟を結ぶためであったんだ。

 だがこうもあからさまに姿を見せるとは誰も思わなかったようだ。

 息を殺しながら犬を通して応接間の中を見る。

 男はソファーに我が物顔で足を組んで座っていた。

 

 「人間の屋敷にしてはつまらんな。もっと楽しめるかと思ったのだが」

 

 「君が正門で名乗りを上げて、結界を解けと言ったから術式から除外した。

 必要なら戻すかね?」

 

 「ふん、強固な結界ではあるが、俺には破壊するぐらい容易い。

 故に余興にすらならん」

 

 お父様の言葉に悪魔は身を窄める。

 いささか不満を見せる悪魔の言動をよそに、同盟は結ばれていく。

 文面が書き入れられている羊皮紙に血判とサインを入れていく。ある種の魔術契約だろう。

  

 「しかし、いくら悪魔の上位種とはいえ、単身で乗り込んでくるとは」


 そう言うお父様の表情は変わらないが、声色で驚愕しているのが分かる。

 それと違い、パラフススの反応は変わらない。

 何も話さずに、悪魔の男をじっと見つめていた。


 「見つかれば殺せばいいのだ。なにも問題はない」


 ワインを片手に、悪魔は笑う。

 蝙蝠のような羽を折りたたみ、その赤い瞳をぎらつかせ、長い足を組んでいる。

 警戒心など微塵も見えない。

 悪魔はその力に自信があるのだろうか?従来の悪魔と違って山羊のような角が生えていない。眼も黄色では無く赤い。

 明らかに別の種類だろう。それはお父様もパラフススも分かっているはずだろう。

 それなのに悪魔は悠然さを保ってワインを飲んでいた。

 虚勢ではないだろう。

 邪悪な笑みは作ったものでは無いとエリスは分かっていた。

 あれはここで起きること全てを楽しんでいる顔だ。

 余裕を感じているのだ。

 この世の全てが憎いのだろう。余裕の瞳には悪意も見える。

 一流の魔術師が居るこの屋敷の中において、魔術師の力が存分に発揮されるテリトリーにあって。


 「何なら結界を気動させてみろ。俺を殺して手柄にしてみればいい。

 この首に刃を突き立てるのであれば、その罪を知ることになるだろう」


 「あなたは自身の力の絶対さを信じておられるようですね」


 静かにパラフススが言う。

 その表情は未だに無表情だ。

 

 「無論だ。俺は悪魔の王だぞ。この力に敵う者はこの世界におらず」


 そしてその血のような色の眼をに向けて言う。

 

 「一人、俺に勝つるかもしれない者が居るがな」

 

 男は笑みを浮かべて言う。

 そして、部屋の仮面を取って自身の面につける。その仮面は何でもない魔術しか込められていない仮面だ。「気に入ったのか」と父は言う。

 そして男は「同盟のしるしにこれを貰う」と言った。そして言葉を続けて言う。

 

 「此度の同盟を認めてやろう。だが貴様らを見て決めたのではない。

 この俺を倒せるかもしれない幼子に興味と敬意を表して、いづれ頭角を現すであろう小さき女王に尊敬を込めてのことだ」

  

 空気が凍り付く。

 この悪魔が言うのは単純だ。

 この男は屋敷の者達を気に入らなければ殺す気でいたのだ。

 敵地にて、手を組むのかどうかをワインを片手に思考していたのだ。

 余裕などでは無かった。

 ──戦うか、否か。

 ──殺すか、否か。

 簡単に実行できると確信を持ちながら。


 「恐ろしい悪魔だ。最後までその気が無ければどうなっていたか」

 

 お父様が黒髪の悪魔に問う。

 すると悪魔は邪悪な笑みを見せて言った。


 「我が鎌の雷によってこの屋敷は吹き飛ぶことになっていただろうな」


                  ♰


 悪魔は一度決めたことは必ず遂行する。


 それは己の体が滅ぶまでずっとだ。

 故に手を組んで協力者となるのであれば安全は保障される。


 悪魔王の力は絶対だ。

 決して逆らってはいけない。


 ──絶対に。


                  ♰


 猛烈な吐き気が襲う。

 意識を保つのに必死だった。


 人を見る眼はあると思ったのに、まだまだだと感じる。

 あの悪魔はこちらに完全に気づいていた。

 背筋が凍え、独りでに震える。


 「ぅ……う、あ……ッ……」


 目眩にしては強烈に強すぎるものを頭に感じている。部屋がぐるぐると回っているように感じる。高熱が出たようにも感じた。

 あの男の邪悪な笑み、あの禍々しい姿。

 すべてが恐ろしく感じた。

 特にあの眼。

 あの眼だ。

 視覚を共有した犬越しに目が合った瞬間に体に異常を感じた。

 悪魔であることは分かった上で、監視をしていたつもりだった。その能力があるのであれば、視覚越しから殺されたかもしれない。

 それ故、震えが止まんない。

 絶対に目を逸らしてはいけないと感じた。

 邪悪な眼。何らかの呪いを受けたかとさえ感じた。けれど何にもされてはいない。

 それだけあの悪魔が放つが強いのだろう。

 口を押えながらも嗚咽を放つ。

 涙を押し殺す。

 何を感違いしたのだろう?

 

 ──ただの人の身で、この男の擬態が見破れると。


 ──この男を出し抜けると。


 未熟さを改めて痛感する。

 だが、今だけは目を逸らすことは無い。

 絶対に。

 

 

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