第3話
迷宮のような地下要塞を龍之介は進み続ける。
その中で、研究者のような容貌をした人間を斬り殺していった。
この鎌は信じられない切れ味だ。
人の体が豆腐のように切れる。
そして何の躊躇いの無く斬り殺せる俺はもう完全に悪魔になっているのだろう。
磨かれた石の壁にはドロッとした鮮血が一面に付いている。
「いい気味だな」
無機物の建物は暗い墓場と化していた。
血の匂いが鼻をつつく。
そして、龍之介は隣にある大きな扉へと入って行く。
「なんだ?これは」
そこに眠るは上半身だけで生かされている少年。
ケーブルに繋がれた幼子。
「何らかの拷問か?」
いや、それにしては大事に扱われている。
先程のホムンクルス。
その顔に似た少年。
ああ──
伊勢藤龍之介の予想だがおそらくこの子がクローンを作る上でのオリジナルの素体なのだろう。
そう思っているところに、その子がこちらに話しかける。
「ああ、そこに誰かいるのですか?」
震える小さい声。
痛みを我慢するかのようなか弱き声。
少年はおそらく目が見えていない。
そう思うと、なぜかこの眼から涙が溢れ出てきた。
悪魔の心になっていく一方で残っていた人間の心。
そう、まさに良心。
その心が龍之介の涙腺を刺激した。
自分だけが不幸なのだと思っていた。
なぜこんなにも自分が不幸にならねばならないのかと。
なぜこんなにも自分の心は満たされないのかと。
すっと信じていた。
いずれ自分が報われるときが来ると。
世界が暖かいと感じる時が来ると。
多くの悪人共を殴り倒してきた。
暴走族の総長だったり、街で番を張っている悪童だったり。
様々な害悪だ。
自分が満たされない心を埋めようと多くの人間を殴り倒した。
それでも世界は暗いままだった。
自分のしたことは間違っているのだろう。
だが、それならなぜ。
なぜ俺をこんな風にした奴らは死なないのか。
俺をいじめた奴ら。
それを見ていて止めようとしなかった奴ら。
俺がいじめていると言ったクソ先公。
そう──
自分だけが不幸なのだと思っていた。
だが、それは違った。
君の姿を初めて眼にしたとき、本来救われるべきなのは君なのだと思った。
悪魔として肉体を得て限界した世界において、自分が救うべき存在なのだと確信した。
いつまでも横たわる君。
儚い少年。
尊い少年。
「気になりますか?」
君はそう言ったね。
俺はいや、全然と答えた。
すると君は嬉しい。そのただ一言だけ。
おそらく喋るのも苦しいであろうその体で、俺と話をしようとする。
そう思うと増々涙が溢れた。
もう君は俺と違って、この部屋から出られない。
何て悲しいのだろう。
自分なんかとは比べ物にならない不幸だ。
──夜空に輝く星も。
──野原をそよぐ風も。
──海の匂いも。
──輝く太陽も。
君は見ることすら叶わないのだろう。
ああ、もし俺がこんな子が居ると知っていたら──
悪魔の最大の禁忌魔法。
多くの魂を集め生き返らせる。そして君にこの綺麗な世界を見せてあげよう。
俺が一緒にそばで……
俺は方法を告げずにこの子に言う。
告げれば君はダメと言うのだろう。
優しい子だものな。
俺と違って。
「本当にそんなことが叶えればいいですね」
大丈夫。
叶うよ。
俺が今命を懸けるに値する理由を見つけたのだから。
不思議でも何でもない。
これ以上の願いはこの世界に存在しない。
「そうなったら、あなたと私は友達ですね」
君はまた嬉しいとだけ言ったね。
人と接することも無かったのだろう。
そうだね。
なら俺はこうして召喚された後に知り合った初めての友のためにこの力を振るおう。
君の体を治して一緒に世界を旅しよう。
そう告げると君は頷いてくれなかった。
そして言ったのだ。
──私にはもう友達と言ってくれる人も出来た。
それ以上の幸福があるでしょうか。
ただ、後悔があるとすれば、この世界が未だに平和じゃないということですかね。
自分にはないはずの心臓が波打つように感じる。
針に刺されたように痛い。
こんなにも可哀そうな姿の君。
もうすぐその生が終わろうとしている君。
死が迫る君はそう言ってみせた。
涙が止まらない。
痛みに蝕まれているだろうに。
誰も恨んでいない。
不満を零さない。
惨たらしいその体を意に介さず君は平和を願った。
自分に無かったものを君は持っている。
君こそ生きているべき存在だった。
ああ、なぜこの子は救われないんだ。
最も救われるべき人間がここに居るだろう。
自分なんかよりも、二度目の生を受けるべき存在がここに居るのになぜ。
何かを傷つけようとしない。
暴力で自衛しようとしない。
自分と違い何も恨まず、憎まず、ただ人々の幸福を願うこの少年。
「私の最初で最後の友達。君にお願いがあるんです」
俺で出来ることならなんでもしよう。
俺はそう言った。
実際なんでもするつもりだ。
そうして君は言ったね。
不幸に襲われている人が居たら助けてほしいと。
それが君のささやかな望み。
胸が苦しい。
悪魔となって人間の死が近しいからこそわかる。
今、君はもうすぐ天へと旅立とうとしていることに。
そんな君の最後の望み。
お安い御用だ。
絶対に助ける。
君は見たことさへ無い外の人々のことを思ってそう言った。
なんて綺麗で。
なんて悲しいんだろう。
君は人々をこんなにも愛しているのに、まったく救われない。
しかも愛しているその人々は君のような聖人では無いんだよ。
ああ、もう分かってしまう。
君の命の火が消えかかっていることを。
君は見るからに衰弱して死んでしまう。
こうして枕もとで見つめることしかできない我が無力。
悪魔王であっても命は作れない。
出来るのは奪うのみ。
「ありがとう。あたしの友達」
震える声。
ああ、行ってしまう。
「最後に私の我儘を一つだけ」
もう喋ってはいけない。
体に障る。
そんな俺の制止も聞かず君は言う。
「どうか、君も幸福でありますように」
そう願いながら微笑んで、君は旅立っていく。
君はもう叶わぬ願いを口にしながらこの世を去っていく。
「そうか」
俺はただ呟く。
報われぬ君の天での旅路を祈って。
そして、君の心の温かさに敬意を払って。
俺は頭を垂れる。
大粒の涙を流す。
もう出ることは無いであろう涙をただいっぱいに流して。
──そして、君を救おうとしなかった人間に胸が焼けるような、爆発するような
おぞましいほどの憤怒を覚えて。
悲しみと敬意と怒りが混ざり合って、俺の心を黒に染めた。
俺は誓おう──
君は誰よりも幸せにならなければならない。
この世界の人間共よりも。
一切助けようとしなかったこの世界に君を奪わせない。
人間共の命を持って、この聖者を生き返らせる。
俺は心にそう誓った。
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