今年初めての手紙

石垣響

今年初めての手紙

 あけましておめでとう。家族が増えました。起業しました。今年もよろしく。昨年はいろいろありましたね。ご指導ご鞭撻のほどお願いします。今年は会いたいね。


 様々な言葉がおどる100×148の手のひらサイズのそれは、毎年私が受け取る初めての手紙たちだ。

 とはいえ、元旦から届く年賀状は思ったより少ない。私がクリスマスを過ぎてから息切れしながら投函した年賀状も、おそらく何日か遅れて届くことだろう。ここ数年、新しい送り先が増えるということは何回か転職してもなかった。(どころか二つ前の会社では年賀状自体が社内ルールで禁止されていた)、ふらっと見に行ったマンションの販売業者から新しく届いたのが唯一のニューカマーといったところだ。

 正直、ここ数年でむしろ送る数は減った。そして、送ってくる人の名字が変わったことは何度もあった。宛先を見ると、ぱっと見ただけでも友人、元同期、そして――

「……真面目だなあ」

 かつての後輩や、数年前までは恋人だった子も。



 年末から正月にかけて殊更に冷え込むのはなぜなのか。集合ポストからはがきと広告でぱんぱんになった新聞を救出した。とりあえず部屋を出るときに巻き付けたストールはほとんど意味がない。はーっとゴジラみたいに吐いた息が真っ白に長く伸びて、まるで年初から出て行く気を総辞職させるビームだ。賃貸マンションの作りの甘い階段を音を立てて上りながらちらっと年賀状を見やる。

 マットな手触りが独特のインクジェットはがきは、のっぺりとした印刷面が彼女の自宅のプリンター謹製であることをありありと示していた。赤ん坊を抱いたあの子の写真は少しにじんでいて、年末の歌番組で見たCGの歌手みたいに顔がよくわからない。

 鍵を開けて暖かい室内に入る。(ちょっと出る程度の時間でも防犯を考えると鍵はかけた方がいい)、テレビをつけっぱなしでポストに向かっていたから、家の中がむなしく騒がしい。元旦から生放送の芸人のうつろな笑い声に疲れさえ感じる。


 こたつに置いたiPad上ではタイムラインにいつでもいるメンツがみかんの味のアンケートを採っている。私は少しすっぱいみかんも好きなので、どちらでもないをタップ。

 電子ケトルでのろのろとお湯を沸かし、保温効果のあるマグカップに百パック三百円のティーバッグでなみなみと紅茶を入れる。今日は砂糖とミルクをいっぱい入れていい日ということで。ご褒美やお年玉を自分で用意する気分だ。大人。いや、本音を言えば誰かにもらいたいのはやまやまだが。

 ちょうどいい温度になるまで、年賀状を眺めた。

 明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。という郵便局の無料配布テンプレに入っていそうな達筆なフォントのプリント。もちろんお世話をした覚えはない。去年は会ってすらいないのだから。

 その横に小さく、「子供が生まれました」。見覚えのある教科書のようなきっちりした文字。そういえばあの子は字も綺麗だった。さすがに文字を指でなぞったりはしない。そこまでセンチメンタルにはなっていない。

 ここに写真をはめ込むんだな、という分かりやすいスペースに写っているのは二人。あの子と、赤ちゃん。赤ちゃんとあの子は綺麗な着物を着ている。おそらく、お宮参りとかその辺りのイベントのものだろう。

 それにしても写真の画像が粗い。プリンターが古いのか、それとも画像ソフトがいまいちなのかな? iPhoneでも今時もっと綺麗に取れるでしょうに。おそらく撮影したのは旦那さんだろうけど。最近の写真館はたしかデータでももらえたはず。ケチったのだろうか。昔チェキで撮ったあの子はもっと綺麗に写ってた。いや、何をネチネチとツッコミをいれているのか。


 ……ん?あれ何年前だっけ? というか結婚式に呼ばれたの三社目に転職したすぐ後だったよね?

 大抵の人間はそうだと勝手に確信しているのだが、年を重ねると安物のミルクレープみたいに毎年の記憶がどんどん平べったくなっていく。もちろん平べったくなっていくのは今の記憶だ。昔の記憶ほど、鮮明に綺麗に層をなして、さも自分が記憶の顔であるようなふりをしている。

 何をしていたかはもちろん、何歳だったかも忘れてしまいがちだ。今の自分の中で記憶がはっきりしてるのは、退職が面倒だったから覚えている転職のタイミングくらいだった。三十を超えてから年を数えるのも忘れそうになる。それにしたって二社目がいつだったか結構記憶が曖昧だ。死ぬほど嫌だってなって辞めたことしかもう覚えていない。


 あの子と出会った時は先輩と後輩だった。


 大学三年生と、一年生。


**


 大学生というのは(特に勉学にやる気のない私のような消極的文系大学生にとっては)、一般的にモラトリアム最終章といった風情がある。中学生や高校生の時のように突き抜けた自信はとうに失せ、就職活動で絶望するのが分かっているから大きな口を叩く勇気もなかった。

 まったりした雰囲気の女子大だったから(そういえば英文科の学生だけはやたらキラキラしていた)、講師と職員以外の男性が構内立ち入り禁止だったことも大いに寄与して、男子とあれこれで揉めるといったことを直接目にする機会もほとんどなかった。そんな環境で、バイトをしていっちょ前に愚痴を言って、講義でノートを回し合う程度の友達と縁をつなぐ。


 あの子と出会う前の大学一年目は、ボランティアの実績目当てで所属していた朗読サークルで一緒になった子と付き合っていた。彼女はこんなヌルいサークルでそんなに真剣にやる人がいるんだ、というくらいに熱く目標のある人で(はたしてその目標をかなえられるだけの大学だったかは正直NOだ)、とにかく、声が素敵な人だった。私は声のいい女に弱い。だって、目を閉じたり部屋を真っ暗にしてしまえば、判別できるのは主に声だから。

 なので、私はそうなんだ、すごいねと彼女の全てにいいねを押して回るような対応をまるっと、二年生になるまで一年間続けた。全肯定するフレンズであり続けた。それは人を甘やかして駄目になっていいんだよとささやくクズの行為であっただろうが、私はこれ以外のやり方を知らなかったのだ。


 最低なことを承知で申し上げるが、対人関係で相手を優しく優しく包み込んでいくと、ある瞬間に「あ、今ならキスくらいしても許されるな」と感じる時がある。相手がまだ恋人でない時でもだ。人の大切な何かを覆っている固いものが経年劣化でほろりと崩れるように、それが目の前で起こる。私はこの時を捕まえるのがとても好きだった。


 彼女とキスをしたのは、サークルの部室で二人きりになった時。二年生になって、自分がやろうとしていることの理想と現実を徐々に彼女は実感していたらしい。私からすれば当然の現実だった。しかし、私はとことん甘やかすことしか出来ないクズだったので、

「あなたのやろうとしていることは間違ってない、少し時間が掛かるだけだよ」と優しく肩を抱いた。身長は彼女の方が数センチ高かったと思う。

「そうだよね」と泣いていた彼女は少し笑った。

 私はそこで一瞬目を合わせ、今まで一番近い距離に踏み込んだ。自分に言い訳が出来るようにほんの少しの力で頬にそっと手を添え、抵抗がないことを確認。触れるだけ。彼女の唇を奪った。まさしく、ただの友人だった私が。なんの権利もなく。

 特に抵抗もされなかった。それから、しばらく友人のまま私たちは誰もいない場所を見つけてキスをするようになった。

 あとで聞いたところによると、ファーストキスだったらしい。本当かは分からない。私はそうではなかったので適当にごまかした。


「そろそろ、恋人としてお付き合いしてみない?」

 私が夕暮れの空き教室でそう言うと(大学というのは何故こうした便利な空き教室が存在するのか)、彼女はにこりと笑った。


 誰しもがそうだとは思わないが、仲のいいともだちから別種の好意を向けられて悪い気がしない人間はいる。悪い気がしない人間のうち何人かは、好きだと言われると私もそうかも? と思ってくれる。もちろんクズの私なりに最大限の巨大感情を向けているのだから、通じてもらわないと困るのだが。


 彼女とは一年と三ヶ月くらい付き合った。自分の夢の実現に熱心な彼女は、同時にとてもロマンチストでもあった。自己暗示のように沢山好きだという人だった。そして度を超してわがままを言う人だった。

 途中からは理解していた、このわがままはある種の無茶ぶりで、私は彼女に試されているのだと。このわがままを受け入れられないなら、彼女自身を受け入れられないのと変わらないんだからと。

 私は男ではないので、ある種の性別を超えて求められること全てをかなえることはできなかった。私にも落としてはいけない単位の一つや二つあったのだし。


「結婚したいから男に戸籍変えてきてよ」

 と言われたときはさすがに無理だと断るしかなかった。女と女でもそうしたことは出来るといえば良かったかなと今になって思うが、二十歳そこらの私には抱え込む覚悟も自覚もなかったのだ。


 最終的に、

「外部の大学の男性に交際を申し込まれたので別れて」

 と言われたのが最後だった。そこそこに精一杯やったつもりだったが、結局場当たり的に甘やかすことしかしてこなかった私は、ああそうか、そういうことなんだなと思うしかなかったし、これ以上引き留めたところで泥仕合になるだろうと理解していた。そして何より、疲れていた。


 私にとってボランティアの実績目当てのサークルを辞めることはしなかったし、大変心の寛大な彼女は私を壮大にふって元カノへとクラスチェンジした後も彼氏との悩みだの相談だのを事細かによこす人間であったので、甘やかす目的と意味を全く見失っていた私はクズらしく(今度は愛情を抜きにして)、適当に全肯定するフレンズになったのだった。単に面倒くさかったんだろうと言われれば、否定は出来ない。


 そうそう、この彼女も年賀状を送ってくる。四年前結婚したそうだ。結婚式には仕事の都合で行かなかった(何しろ僻地からのお誘いで日帰り不可)。転職二社目が本当にクソだったので有休が取れなかった。なお、現在も返信しないとメールでわざわざお怒りをお知らせしてくれるアラーム機能は健在だ。面倒くさいことになるのが分かっているのでメッセージアプリのIDは知らせていない。メールは既読も着かないし気楽なものである。


**


 さて、大学三年生になって、いよいよ怠惰な大学生活の始まりに胸を高鳴らせていたのだが、そろそろ元カノに押しつけ……任せていた後輩の指導というものが回ってきた。大変不本意だったが、四年生にちょっと好みの先輩がいたので断り切れなかった。なお、先輩とは何もありませんでした。

 新しく入ってきた一年生は三人。真面目と、真面目と、真面目の三人組。学科はそれぞれ違うらしい。うちの大学で一番キラキラしている英文科はいなかった。

 もう少し話を聞いてみると、かつて声優に憧れていたとか、演劇をやりたかったが取りたい資格との兼ね合いでどうも無理そうだったとか、各人の理由があってそこそこに興味深い。その中でも一人、目立ってハキハキと話す真面目さんは「私に子供が出来たら、素敵な読み聞かせをしてあげたい」と言った。


 そこではじめて視線がかち合った。彼女の目は少し茶灰色をしている。二重まぶたを彩る、ながいまつげ。綺麗だ、と思った。ふわふわの肩にかかるこげ茶色の髪。丸くて愛嬌のある鼻。この間まで高校生だったことが伝わってくる瑞々しさ。ほんのすこしだけ見える、眉間の皺のあとが頑固さを刻んでいる。そして、抜群に透き通る綺麗な声。


 これがあの子だ。


 正直、その時は別に興味がわかなかった。何しろ私は不真面目なクソ大学生だったし、後輩の指導をできるほどの能力もなく、ただの年上の女に過ぎなかった。亀の甲より年の功などというが、実際のところそんな立派なものだとは当時思っていなかったし、今の方がもっとアホくさと思っている節がある。残念ながら年をとったからといって人は立派にはならない。私が証明です。

 そんなあの子と私を劇的に近づけるイベントがあった。新人が舞台に立つ新人公演(という名の、新入生を歓待するためのイベント)だ。

 ここで新入生がやるのは、一足飛びに主役だったりセリフの多い役などで、華やかな立ち位置だ。この朗読サークルはヌルい部活のくせにむなしいほどに年功序列が行き届いているため、通常公演の主役は未練がましい四年生と主に三年生が担当する。


 あの子はとにかく声が良かったし、見た目もずば抜けて素晴らしかったので動議にかけるまでもなく主役に決まった。

 美人というのは存在しているだけでパワーがある。あの子のまわりだけ、日常から当ててもいないスポットライトの光が指す気持ちになる。そんなスポットライトの中で、あの子はのびのびと声と体を伸ばし、人生には多少の努力だけではどうにもならないことがあるんだなと思わせる気配を放っていた。勿論ここまでの感想は、私があの子のことを必要以上に観察していたから出たものだ。それは自覚していた。

 そして時々、あの子が薄暗い表情を時々浮かべるのを見つけるまで、時間は掛からなかった。


 


 結論から言えば公演は成功した。後輩たちの頑張る姿を見て、さすがの私も少し胸が熱くなったりした。それを元カノに指摘されてイラついたが、誰かに感じたことを当てられたからといって自分の感情を否定するのもバカバカらしいことだ。

 元カノのことより、あの子のことがどうしても気になってしょうがない事が増えた。私は電車で通学していたが、あの子は大学の最寄り駅そばの綺麗なオートロックのマンションに住んでいた。バイトをしている様子もなく、お金に困っている様子もなく、いつも小綺麗にしていたし、何よりちゃんと料理をしていた。しっかりとしたおうちで育てられた子であることが、あらゆる面で伝わってきた。


 駅まで向かう十五分、あの子と歩きながら穏やかに話す時間が貴重でたまらなかった。公演が終わった後も、この習慣は何となく続いた。講義の内容や他愛もない噂話、オシャレなカフェやおいしいパン屋さんの話。家族の話は出なかった。秘密というのは、本来は言葉にすら上がらないものだ。

 真正面に向かって話すより、横に並んでいるほうが話しやすいというのは、車の助手席に座って前を向いているほうが気が楽なのと似ている。何より、あの子の声だけを聞いていればいいのだから、私にとってこれほどのご褒美はない。

 時々あの子のマンションに寄って、お茶やご飯をごちそうになった。マンションは鉄筋コンクリートで、エアコンの効きがよく、快適だった。立派な冷蔵庫とオーブンがあった。駅前の好立地の新築。家賃も生活費もバカにならないだろうな。



 夏の終わりの夕暮れだった。いつものように、帰り道に駅まで歩いていると、あの子のほうから提案があるという。

「先輩、来週末空いてますか?」

「土曜なら空いてるかな」

 日曜は基本的に地元でバイトだ。

「たくさん灯籠を飾るお祭りがあるんですって。ご興味あります?」

「ポスターで見たかも。神社まで道沿いに並べて灯すんだよね。行ってみたいの?」

「実は浴衣を買ったんです。どこか着ていく場所があったらなあって」

「そりゃあいい。行ってみようよ。浴衣、きっと似合うだろうな」

 出来るだけまっとうな人間としてのレスポンスを変えそうとしていた自分が発したこの言葉は、私の人生で準ファインプレー賞を取れるだろう。下心を感じさせず言うべきことは言う、甘やかすだけじゃない人間関係って何て難しいんだろうね。

 あの子は夕焼けにほんのり染められながら、ふふ、と嬉しそうに笑った。私も楽しみです、浴衣着るのなんていつぶり、などといって。夕暮れ時で良かった。私は自分がどんな顔色をしているか、まったく分からなくなっていたのだから。

 この時、何となく二人きりで行くのかもしれないと感じていた。もちろん他の同期だとか友達だとか、三人四人で行くことは予想が出来たし、そうあっても別にしかたないと思っていたし、心の保険を一生懸命かけていたのは事実だ。でも私の中の何かが、そうじゃないと叫んでいた。聞く勇気がなかったというのも事実だ。ヘタレである。しかし経験上、その予感は当たる。


 お祭りまでの何日間か、講義は手に付かないしバイトでは上の空を指摘され、自宅では元カノにもらったマグカップを落として割った。たまたまあの子とはサークルでは一緒にならず、時々メールを交わして待ち合わせ場所を詰めたりしたくらいだ。ぼろが出なくて、ある意味僥倖だったかもしれない。

 自分も浴衣を着るかしばらく悩んだが、慣れない浴衣を着るあの子を支えるには普段通りのままがいいかもしれないし、そもそも浴衣で電車に乗りたくなかった。


「同期に浴衣の着方を教えてもらったんです」

「ああ、史学の」

「着物が好きなんですって」

 ありがとう真面目後輩二号さん。君のおかげで私はあの子の浴衣姿が拝めます。携帯を握りしめたまま大学の方角を向いてガッツポーズをキメる。


 当日、期待に胸を高鳴らせながら(大切なことなので言っておくが、浴衣というのはおしゃれの一環でありながらも手間と発動条件が限られるレアな存在だ。気にかけている女子のそんな姿にときめくのは当たり前のことだ)、五分早く待ち合わせ場所の神社の最寄り駅、よく知らない偉人の石像の前につくと、迷うことなくあの子を見つけることができた。

 私と変わらない、平均的な身長。しかし、私はおそらくどんな人混みでもあの子を見つけられるだろう。

 近寄ると、不安げにつま先を見つめていたあの子がぱっとこちらを向いた。足の爪にはシックな赤のマニキュアが塗られている。良く見ると、手の爪にも。

「浴衣、すごくよく似合うね」

「ありがとうございます」

 紺を基調とした浴衣に、左肩から艶やかな大きな牡丹がいくつも咲いている。花びらが足元まで広がって、夜闇に紛れる。少し目立つ柄かもしれないが、実際のところ着物の柄は多少派手な方がいいし、あの子によく似合っていた。

「そういえば、使い捨てカメラもってきたんだ。あとチェキも」

「チェキですか? この前四年生の先輩が持ってた……」

「そうそれ」

 まずは一枚、記念に撮っておこうよと、あの子と待ち合わせ場所の石像を使い捨てカメラに納める。この石像、これでいて観光スポットなのだ。フィルムをじこじこと巻き上げて、どさくさにまぎれてチェキを一枚。ネガが残らないチェキは、なんというか証拠が残らない感じがしていい。もちろん、携帯で撮ることなんて問題外だ。

「チェキも撮ったんですか」

「うん、記念に?」

「何の記念ですか」

 あの子が口元に手をあてて上品にクスクスと笑う。何の記念と言われれば、確かになんだろう。

 神社までの道を歩き出すと、カランコロンと音が鳴って、あの子のスッと伸びた背筋が目に入る。灯籠の淡い光と、沢山の人の中で、私は横目を限界まで使って、必死であの子の姿を捉えようとした。出会った頃は肩にかかるくらいだった髪は背中側にまで伸びて、今夜はべっ甲模様のかんざしで一つに結い上げているようだった。命すら感じさせる、何本かの後れ毛が首筋に影を作っている。


 うなじって、確かに内臓に響くものがあるな。


 私がその一瞬に思いついたあらゆる気持ちは、ときめいたというにはあまりにも生々しい感情だった。そういえば、昔々の服飾においては、浴衣は下着と大差ないものだったんだと講義を思い出す。

 手を伸ばせばたやすく届く距離にありながら、私の手は一ミリも動かなかった。私はどうやってこの子に触れたらいいのだろう。人に触れるということは一体どういうものだっただろう。全く思い出せない。漫画の表現でゴクリとつばを飲み込むというものがあるが、たしかにつばでも飲み込んでいなければ、平静を装っていられない気がした。

 見つめているうちにあの子と目が合う、なんて偶然は起きない。人混みを歩いている時に、そんなことをする人間なんていやしないのだ。



**


「ずっと前から悩んでること、あるよね」

 年が変わってもうすぐ春が来るというときになって、私は切り出した。


 私たちの関係は仲のいい後輩と先輩から大きく外れることはなかった。外れることを良しと出来なかったし、ここで駄目になっても、どうせ私が四年生になれば頻繁に顔を合わせることもなくなるだろうと打算的な気持ちになったからだ。冷たい空気の中、あの子の手をとって温めてあげることも出来なかった私が唯一出来たことがこれだったとも言える。


 あの子は息をひゅっと吸い込み、少し目を見開く。こぼれそうなほど大きな、きらきらした茶灰色の瞳。


「私、試験管で生まれたんです」


 あの子が言ったのはこうだ。


 両親は長いこと不妊治療をしていて、その末に生まれた。不妊治療の結果生まれた子が悪いとかそういうことではなく、両親の努力と治療の末に授かったありがたい命だということは重々分かっていると。

 しかし、それを聞いたタイミングが恐らく良くなかった。菜の花のおしべとめしべの教育を経て、保健体育を知った直後だったからだ。その年頃相応の潔癖性が、あの子自身を縛り上げた。

 とどめのごとく、中学に上がると年の離れた弟が生まれた。母が電話口で、自然に授かった子であることを誰かに話していたのを聞いたそうだ。話している間、あの子は何度も何度も、その治療が嫌だとか、そういうつもりはないんですと繰り返した。もちろんそれはそうだろう。自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。自分で作りあげてしまった概念ほど、自分を縛るものはない。

 これは、あの子自身の思考の問題で今のところどうしようもないのだけれど、大学に来て仲間や先輩も出来て、少しずつ自分を肯定できているのだと。


 そんなことないよ、とかそのままでいいよ、と声をかけることが出来なかった。

 私に子供が出来たら、素敵な読み聞かせをしてあげたい、というのがあの子の入部動機で、口癖だった。自分の子を自分で産みたいともよく言っていた。クソ大学生の私でも、それがどういう意味かは理解していた。

 好きになるんじゃない、気がついたら好きになってるんだと、感情を持ち続けることの意味を分かっているつもりだった。でも、だからこそ、これまでただひたすら誰かを甘やかすことで過ごしてきた私には、どうすることも出来なかった。私は何も分かっていなかった。

 覚悟も自覚も就職先もない私にとって、ここが行き止まりだった。



**



 何度見ても、年賀状に印刷されたあの子の姿はお母さんだった。


 元号が変わって自分の年を把握するのすら難しくなった自分がこの頃を振り返ると、万が一過去の自分に会うことがあったら必ず殴ってやると思うくらいには適当に生きてきたし、これからもきっとそうだろう。年を重ねれば重ねるほど、私は臆病になっている。

 今のところ覚悟も自覚も相変わらず、ない。誰かの人生を背負うとか、一緒に歩んでいくということが、そんなに簡単なことだとは到底思えない。恋愛の仕方もかなり忘れかけている。また好きな人が出来たとしても、私はきっとまた甘やかすことしか出来ないだろう。


 年賀状の返事を返そう。簡単な言葉でも、本音の祝福を贈ろう。


 こたつの上に投げてあるペンと、コンビニで買ったテンプレが印刷された年賀状を手に取る。騒がしいお笑い番組は歌番組に変わっていた。去年はやった失恋ソングがリピートされている。たしかに、母親になった君は本当に綺麗だ。


 あの時好きだと言わなかったことが、私があの子に出来たこと。

 そう、いまでも思っている。

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