第28話 積怨――雫――

 全てを捨ててきてしまった。

 私は、私の事を大事にしてくれる人を二度も裏切ってしまった。

  

 一度目は家族のため。

 二度目は愛する彼のため。


 とても居心地の良い彼の側には、もう二度と戻る事は出来ない。

 協力してくれた夢桜さんにも申し訳がなくて、東雲さんも良くしてくれたのに。

 彼と再会してからの全てが気持ち良かった。

 私は何も出来ないのに、彼はあらゆる事をしてくれた。

 過去の過ちも、許し、受け入れていてくれたのに。


 このまま彼の側に居られることが出来れば、私は間違いなく幸せになる。

 そうなるって分かってたのに。


 でも、私の存在が彼を苦しめる。

 積み上げたものが音を立てて崩れてしまう。

 全て、私のせい。


 だけど、彼は私に戦う事の意味を教えてくれた。

 彼は私に勇気を分けてくれた。

 今なら彼を巻き込まないで、私だけで終わらせる事が出来る。


 全てを綺麗にしたら、もう一度私の事を迎えに来てくれるかな?

 抱きしめて、頭を撫でてくれて。

 あの大きいベッドで、今度こそ一緒に眠る事が出来るのかな?

 

 多分、彼なら受け入れてくれる、そんな気がする。

 都合の良い夢を見るのは、きっと自由だよね。


 若。

 





 指定された公衆電話から四神に連絡を入れると、僅か数分で黒塗りの高級車が私の前に停まる。趣味の悪い、アイツ好みの車だ。


「乗れ」


 運転席から声を掛ける時も、コイツは私の事を少しも見ない。

 私だって見たくない、でも、コイツの存在が許せない。

 許せないのに、怖い。

 小さな子供がお化けを怖がるみたいに、私はコイツが怖いんだ。

 怖いから逃げた。

 だけど、捕まってしまった。

 あんなに幸せだったのに、大好きな人と一生一緒に居たかったのに。


 会話の一つも無いまま四神の自宅へと到着する。

 私は以前からそうしていた様に助手席から先に下り、四神の座る運転席側の扉を開けた。


 そして、若とは違う結末の為に勇気を振り絞る。


「私は死にたくない、私は、私の為に生きる」


「雫、お前」


「お前が死ねばいいんだ! お前が一番邪魔なんだよ!」


 隠し持っていた包丁で四神の事を殺そうと突き出す。

 東雲さんの所を出た直ぐのお店で購入しておいた包丁。

 コイツが死ねば私は死ななくて済む。

 コイツが死ねば若と幸せになる事が出来る。

 全ての元凶はコイツなんだから、いなくなってしまえばいいんだ。


 だから、包丁を四神に向けたのに。

 一生懸命全力で突き出したのに。


 なんで届かないの、なんで止められてるの。

 震えるくらい両手で力を込めているのに。


「よっぽど若草の所が良かったんだな、雫」


 手が離れない、片手で身体全部持ち上げられてしまった。

 運転席から降りた四神の背丈は、私よりもずっと大きくて。

 持ち上げられた私の頬を薄汚い舌が這い回る。


「お仕置きが必要だな。とはいえ、流石に今は不味いか。普通にしてやる、昔の様に少しぐらいは楽しませろ」


「――っ、い、いやだ、私はもうお前のこと何か!」


「何か、なんだ? 殺人未遂でお前の事を警察に突き出してもいいんだぞ? 俺の家の監視カメラにはお前の行動が全て録画されている。言い逃れなど出来はしない、きっちりと罪を償わせてやることもできるんだが。くっくっく、なんだその目は、まるで噛みついてくるあの馬鹿の様な目じゃないか」


 殺したい、触りたくない、触られたくない。

 なんでコイツはこんなに私の人生に喰い付いてくるんだ。

 消えて居なくなって欲しい、そう沢山願ったのに。


「まあいい、そう言うのも嫌いじゃない。無理やりってのも悪くはないさ」


 若は私の事をとても大事にしてくれた。

 一緒に過ごした十代の時だって、いくらでも触れ合う事ができたのに。

 若は私の事を抱くことはしなかった。

 大切に、大事にしたい。

 奥手って言うのかもしれないけど、私は若のそんな所も好きだった。


 それも、また穢されてしまう。

 何日も、何日も。






 薄暗い私専用の部屋。

 結婚してからずっと押し込められていた私の部屋。

 柱には拘束用の杭が打ち付けられていて、そこから伸びた鎖が私の首輪に繋がっている。

 後ろ手に手錠、口に猿轡。


 動くことは出来るけど、何もすることは出来ない。

 死なれたら困るって、そう言っていた。

 あれだけ死ねって言ってたのに。

 多分、若と夢桜先生の事を警戒しているのかもしれない。


 だとしたら、私は二人が動けるように早く死んだ方がいい。

 猿轡が無ければ舌を噛み切るのに。

 手錠が無ければ首を括れるのに。


 だけど、身動きの一つも取れない。

 服の一つも着させてくれないまま、私はただただ涙で頬を濡らす。

 

 また、戻ってきてしまった。

 この部屋に。

 夢も希望も何もない、ただ私が存在するだけの部屋に。

 




「雫さん」


 耳に覚えのない女の人の声が聞こえてきた。

 シャラシャラと鎖の音を鳴らして、声の出ない口でうめき声をあげてみる。

 この部屋は防音処理はされていない。

 だけど、広大な敷地と四神隆三という男の威圧で、私の悲鳴は今までどこにも届かなかった。

 部屋の襖が少しだけ開き、ミルクティー色の髪をした綺麗な女性が姿を現す。


「酷い、なんでこんな事が出来るの。今すぐ外してあげるからね」

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