第20話 だから、誰かが収拾しないとダメだって

 その炎をみて、モリアナ公爵はようやく合点がいったと言う顔をした。

 なるほど、普段それほど魔法を使っていないため、詠唱の手順を改めて考えられなかった。確かに言っていた。精霊に寄った呪文である。回りがブツブツしていたのは、口の中で詠唱をしていたからだった。


 納得いかないのはハルス公爵である。その話、なぜに今する?我が妻と娘の死に関係しているのか?

「まだ分からない?」

 トーマくんのお母さんは、ハルス公爵の顔を覗き込んだ。あんたの言ったこと、否定しないけど、肯定もしてないんだけど。

「『この世界の住人』たち、なぜお前たちは神に寄った魔法を使わない?」

 トーマくんのお母さんの質問に、誰もが顔を見合せた。神の名に寄った魔法?そんなものは……


「神などいない、そんなものは無い」


 ハルス公爵が断言した。今の公爵にとっては、神などいないだろう。神の使徒を名乗るもの達に、妻と娘が殺されたのだから。

「そうだね、今は、いない。ね」

 トーマくんのお母さんは、ゆっくりと視線を動かし、王妃を見た。

「教えてあげよう」

 あんたの知りたいこと、あんたの望むこと、教えてあげよう、叶えてあげよう。

「よく聞け、『この世界の住人』たち、教えてやる」

 トーマくんのお母さんは、ベッドに横たわる2人を見つめた、悲しみとも、怒りとも、なんとも表現しずらい顔をしていた。 

「創世の女神-----の名において、かのものたちの魂にに安寧と安らぎを与えたまえ 蘇生」

 聞いたことの無い呪文だった。


 モリアナ公爵は、2度目のことだが、またしても聞き取れない箇所があった。

 横たわる2人の体が、淡い緑の光に包まれた。見たことの無い魔法が展開されている。聞いたことの無い呪文。なんの女神だって?聞き間違えたか、聴き逃したのか?


 王妃は、何かを感じ取っていた。ただ、それが何かは分からないけれど。懐かしい感じがした。


 光が消えた時、ゆっくりと母の目が開いた。抱きしめる娘を見つめる。その髪は柔らかく蜜色で、ふっくらとした頬はマシュマロのようだ。尖り気味の唇は紅をさしたように赤く、閉じられた瞼には長いまつ毛の影がさしている。


 なんと愛らしいことだろうか。


 この子のためならなんでも出来る。


 この子なためなら、命さえ捧げる。


 大切な、大切な…


「ユーリ」

 その名を呼び、髪をそっと撫でる。眠る我が子を起こさないように、でも起こしたいような。眠る?寝ている?

「ユーリ!?」

 慌てて身を起こすと、回りは知らないものたちばかりが集まっていた。見知らぬ場所にいる。このベッドには見覚えがある。心臓がドキリと音を立てた気がする。ドクドクと血の流れる音が絶え間なく耳に響く。

「ここは? 私は?」

 両の手で顔を触る。そして、その手を見る。髪は?娘と同じ蜜色の髪。着ていたドレスはそのままで……何があったか?確か、とても、とても、恐ろしい……

「 あなた?」

 視界に、夫たる公爵の姿があった。

 そう、確か……

「アザレア、お前 生きて、傷が、火傷が、治っているのか?ユーリも?」

 ハルス公爵は、信じられなものを見る目で、妻と娘を見た。

「お、お前、いや、その方、違う、貴方様」

 ハルス公爵は軽くパニックを、起こしていた。それはそうなのだ。

「無理してくれなくていい」

 トーマくんのお母さんは、ハルス公爵の肩を軽く叩くと夫人の顔を覗き込んだ。

「顔色は、いいね。お嬢ちゃんも、大丈夫そうだね、うん」

 夫人は、まだ現実を把握しきれていない様子で、トーマくんのお母さんを凝視している。

「今日は、ゆっくりと休むといい。後で色々聞きたいことがある」

 トーマくんのお母さんは、そう言って夫人の頭を撫でた。まるで子どもをあやすかのようだった。


「じゃあ、ちょっとこれごと戻すねー」

 トーマくんのお母さんは、ハルス公爵をひょいっとベッドの上に座らせた。まるで子どもを寝かしつけるように。

「うん、元の場所はぁ あきら」

 呼ばれてあきらは、トーマくんのお母さんの元に駆け寄った。あきらは、ベッドの横に立つと天蓋の柱に手を添えた。

「どうでしょう?」

「良さげだねぇ」

 トーマくんのお母さんは、あきらを見てニコニコしている。なにか、始めるらしい。

「あ、ちゃんと座っててね。ちょっとだけ揺れるから」

 それを合図に、あきらは、靴のつま先をトントンと床に打ち鳴らした。魔法陣が広がりベッドの床いっぱいの大きさになる。

「んじゃ、おうちで仲良くしてねぇ」

 それを合図に、ベッド毎ハルス公爵家族は謁見の間から消えてしまった。



「さて」

 トーマくんのお母さんは、謁見の間にいる男たちをぐるりと見渡した。凄惨なものを見せられてから安らぎを与えられ、そして、その人物から見つめられる。

 命を、生死を操る魔法を操る魔道士に、自然と緊張が走る。

「黒き魔道士よ、先程のが神に寄る魔法と言うのか?」

 王が問うた。


 傍らに控える宮廷魔道士が、なにやら耳打ちしているようだ。

「だとしたら?」

「我らの知らぬ神の名を崇めている。と、言うことか」

 王は、聞き取れなかった神の名を、他国の神と認識でもしたらしい。

「ハズレ」

 トーマくんのお母さんは、ゆっくりと王に近づいた。

 ハズレと言われて、王の片眉がビクリと上がる。

 何かを言いかけた王の口を、トーマくんのお母さんの指が押える。

「よく聞け、『この世界の住人』よ。先程私が唱えたのは、お前たち『この世界の住人』が忘れし神の名だ。お前たちが忘れたことにより、『この世界』から神が消えたのだ」

 トーマくんのお母さんの言葉は、謁見の間にいた男たちに衝撃を与えた。忘れし神とはなんなのか?


「では、4番目の神がいるというのですか?」

 王妃が、ようやく口を開いた。まだ、衝撃の余韻が残っているのか、顔色は、あまりよろしくない。だが、しっかりと立ち、真っ直ぐにトーマくんのお母さんを見ている。

「4番目?」

 トーマくんのお母さんは、口元に笑みを浮かべていた。

「違うと申されるか」

 王妃は、考えた。3人の女神がいる。その女神の名前をこの魔道士は言わなかった。だから、4番目の神の存在を考えたのだが……

「一つの可能性を考えついたが、ここで口にするのははばかれる」


 モリアナ公爵が口を開いた。自分の邸で、この黒い魔道士とその弟子の少年が調べていたのは歴史。神の由来。調べた書物の種類も分かっている。そこから導き出される答えの可能性は、口にするのがはばかれる事だった。

「そう?さっきの公爵は口にしてたけど」

 トーマくんのお母さんは、モリアナ公爵の耳元でそっと言った。状況が違う。と言いたかったが、モリアナ公爵は苦笑いするしか無かった。

「じゃあ、考えて『この世界住人』たち、お前たちが答えを見出さないと、その神は姿を現せないよ」

 トーマくんのお母さんは、モリアナ公爵の横を通り過ぎ、王妃の前で止まった。もちろん、その前にいた王は素通りである。さっき相手をしてあげたから。

「よく、考えるといい。あまりにも長い時間『この世界の住人』は忘れていた。だから、考えることも忘れてしまった。一つ、一つ、考えるといい」

 王妃は、頭の中でたくさんの考えを持っていた。だが、口に出来ないでいた。幼い頃から女の子は考えなくていい。難しいことは男が考えることだ。そう教えられてきたから。

「ゆっくりと考えればいいのですね」

 王妃は、その言葉をゆっくりと胸に刻んだ。



「じゃあ、帰ろうか」

 トーマくんのお母さんはそう言うと、ドアに向かってスタスタ歩いた。

「あきら、おいで」

 無造作に鍵を鍵穴に差し込む。謁見の間にいた騎士たちが慌てるが、トーマくんのお母さんは意に介さない。そのまま鍵を回すと、扉を開いた。

 扉の向こうには、王宮の廊下はなく、見知らぬ部屋が見えた。

「じゃあ、よーく考えてねぇ」

 トーマくんのお母さんは、手を振り挨拶をする。

「あ、モリアナ公爵、早めに帰ってきてね」

 それだけ言うと、あきらと共に扉の向こうに行ってしまった。扉が閉まると、もうそこには黒い魔道士はいなかった。再び開けても、そこには王宮の廊下があるだけだった。



「あれ、ここ」

 元気よく帰ってきたのは、モリアナ公爵邸にある公爵の書斎だった。

「あ、魔道士様!」

 奥の方から声がした。セラスが駆け寄ってきた。その後ろにアルクもいる。

「で、なんでそこから帰ってきてんだ?」

 アルクは扉をしげしげと見た。転移門はあっちにあるのになぁ、と考えていると

「これ、使ったんでね」

 トーマくんのお母さんが取り出したのは魔法の鍵だった。

「うぉぉ、魔道具だぁ」

 アルクが大声を出した。そのあまりの興奮振りにセラスがたしなめる。あー、ヤバいという顔したアルクを、部屋の奥にいた夫人が睨みつけていた。

「皆さんお揃いで」

 トーマくんのお母さんは、平常運転だった。



 なぜだか分からないが、公爵の書斎に食事を用意させ、こじんまりとした食卓であっさりと晩餐が終わった。みんな揃って公爵の帰りを待つことになってしまったのだ。意外と庶民派なのかなぁ?と思いつつ、食後のお茶でまったりとしていた。


「お父様、遅いですね」

 セラスが壁の時計を見ながら言った。

 確かに、随分遅い。もう、お肌のゴールデンタイムになっている。

「ゆっくりと考えろ。って言ったのに」

 トーマくんのお母さんは、そう言ってため息をつくが、

「それだけの事があれば、事後処理が大変になっています」

 夫人は、すました顔で相づちを、うった。夫人は既に3個目のケーキにてをつけていた。

「お母様、食べ過ぎでは?」

 さすがにセラスが止めに入ったが、夫人は構わずケーキを口に運ぶ。夕飯食べたあとのケーキ3個はスゲーな、なんて思っていたら、転移門に公爵の姿が現れた。

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