第19話 それが1番許せないんですよねって
崩れるように倒れながらも、王妃は意識を保っていた。目はそこに釘付けである。黒い魔道士が取り出した天蓋付きのベッドに横たわるもの。
それを見て、平然としていられる女がいるのなら、それこそが魔女だろう。否、それは、悪魔だ。人ではない。あれを見て、普通の女なら泣き崩れるだろう。怒りが込み上げるだろう。叫び出すだろう。
聖教国家の者は、そんなことをしたのか!
いままで、話で聞いただけだった。
いままで、物語のように思っていた。
「……っう、くっ……」
王妃の口から、嗚咽にも似た声が漏れた。侍従が王妃を退出させようとしたが、王妃はそれを拒んだ。
その目は、黒い魔道士に注がれる。
お前は、現実を、ここに持ち込み、なにをしようとしているのか。なにを企てるか?答えろ、続きを話せ、ここで辞めるは許さない。王妃は、崩れた姿勢のまま、黒い魔道士を見つめ続ける。
謁見の間にいる男たちは、突然現れた現実から目を離せなかった。絵空事のように、対岸の火事のように、自分には関わりのないことと、タカをくくっていた。が、
「よくみろ、これが現実だ」
恐ろしいほど、冷淡な声で黒い魔道士が口を開いた。
先程まで、ハルス公爵が熱弁を振るっていたそれが、現実となりここに現れた。魔女狩りとは、なんなのか?何をするのか?何をされたのか?他人事だと思っていた。魔女は罪人だと思っていた。魔女は平民だから、魔女は見知らぬ者だから、他人事だった。
だから、誰がどうなろうが、見知らぬものが聖教国家の神官に何をされようが、どうでもよかった。何がどうなるのかさえ、知るつもりもなかった。
「王よ、お願いです。進軍の許可を」
ハルス公爵が願った。
先程は、軽くあしらい、政務を全うしろと、諌めていた王は、突きつけられた現実をみて声がなかった。
否も、可もない。
今更ながら、現実を、受け入れられない。
何も答えない王に、謁見の間にいる男たちは不安を感じた。王は何を考えているのか?王は何を感じたのか?自分が思ったことは、大意と同意しているのか?
男たちは身動ぎもせずことの成り行きを見守っている。
「魔道士殿、これではあんまりではないか。見世物では、ないのだぞ」
ようやく口を開いたのは、モリアナ公爵だった。自分の娘は助けられた。だが、この助けられなかった母娘をこのように晒すのは、同じ立場のものとして気が引けた。
モリアナ公爵の言葉を聞いて、黒い魔道士は唇の端だけ吊り上げて笑った。お前も同罪だ。黒い魔道士の目が言っている。自分の娘は無事だった。良かった良かった。そう思っていただろう?それで終わりと思っていただろう?黒い魔道士の目が、モリアナ公爵を責めていた。だが、目を逸らせば認めたことになる。背徳感を認めたくない一心で、モリアナ公爵は黒い魔道士を見つめ続けた。
「では、問う。『この世界の住人』よ」
黒い魔道士の言葉は、王の発する言葉より威圧的だった。
誰かが喉を鳴らす音が聞こえるほど、謁見の間は静寂だった。黒い魔道士の、一挙手一投足をつぶさに捉えようと、男たちは沈黙を続ける。
「なぜに、神の名による魔法が存在しない?」
黒い魔道士が男たちの顔を見る。
「なぜに、神に祈りを捧げても人は苦しみから解放されない?」
黒い魔道士は、さらに問う。
「なぜに、幼子がこのような目にあう?」
黒い魔道士は、天蓋をおしあげて、ベッドに横たわるものをみなの目に晒した。
国を守るため、罪人を切ったことがある。民を守るため、魔物を切ったことがある。そんな、男たちが、目を逸らしたい衝動に駆られた。それは、ただただ惨たらしい、熱に焼かれた母娘の姿だった。
母は、娘をしかと抱き寄せ離すまいと胸にその顔を抱き寄せている。愛らしかったのだろう、その顔は見えない。見えないことが救いだった。美しかった髪が頭皮から焦げていた。母の顔は、どれほどの、苦しみを受けたのかそれでも娘を思う強い意志を感じる顔をしていた。焼けただれた皮膚が溶けていようとも。
「なぜ、この母娘はこのような姿になった?」
男たちは答えない。
答えられない。
何年も、何年も、自分たちが安全ならそれでいい。と、他人事として放置してきた結果だ。自分だけでない。その父も、そのまた父もそうしてきた。
もちろん、ハルス公爵もおなじだった。だから、何もしてくれないのならそれでいい、だから、進軍の許可が欲しい。いまさらだが、なんとかしたいのだ。たとえそれが、無意味なものであっても。
あきらは、カバンにものを入れたあと、何をしろとかの指示は受けていなかった。待機しろとか、証拠を探せとか、何も聞いていなかった。
ただ、この部屋にいると、とても不愉快な声が聞こえるので、いたくなかった。
ただ、それだけなのだけれど、とりあえず、トーマくんのお母さんの所に移動した。
王宮の、広い部屋、謁見の間と聞いたその部屋に、あきらが入れた大きなベッドがあった。天蓋がまくられて、中に横たわる人影が見える。
遠すぎて、よく分からないけれど。
トーマくんのお母さんの声は、よく通った。いつでも、隣の隣のクラスまで、よく聞こえた。放送なんかいらないぐらい、トーマくんのお母さんの声は、よく聞こえた。
「なぜ、この母娘はこのような姿になった?」
トーマくんのお母さんの問いかけに、大人たちは誰も答えなかった。たぶん、答えられないのだ。あきらは、分かっていた。コレは、トーマくんのお母さんがいちばん嫌いなことだ。
「戦えないやつに、手を出すな」
あきらは、久しぶりに腹から声を出していた。
あの部屋で聞いた、あの耳障りな声、不愉快な声、あの声は、誰の声なのか?
あきらは知っていた。あの声は、精霊の声。
入口付近から声がして、男たちは振り返った。
そこには、少年の魔道士が、立っていた。
「とても、不愉快な声を聞きました」
少年の魔道士が苛立っているのが分かった。
彼もまた怒っている。この母娘がこのようになったのを、見過ごした男たちを。
「どうした、あきら?珍しいね」
トーマくんのお母さんは、優しく微笑んだが、声までは優しくなかった。
「この人たちのいた部屋で、とても不愉快な精霊の声を聞きました」
あきらは、笑いもせず、まゆひとつ動かさずに、まるで能面のような表情だった。
「そうか」
トーマくんのお母さんは、短く返事をすると、あきらの頭を優しくたたいた。そうして、ハルス公爵の方を見た。
「今はまだ、その時じゃない。大人しくして欲しい」
言われて、ハルス公爵はトーマくんのお母さんを睨みつけた。加勢するために動いたのでは無いのか?さらし者にするためだったのか?
ハルス公爵が、トーマくんのお母さんに掴みかかろうとした時、
「なぜ、『この世界の神』はこの母娘を救わなかった?」
トーマくんのお母さんが、問いかけた。
「神などいない!」
ハルス公爵が即答した。
神がいるのなら、聖教国家の連中はこのような極悪非道なことなどしない。神がいないから、たいした回復魔法しか使えないのだ。術者の技量による回復魔法など、神がいない証拠に過ぎない。
「そうだね、『この世界の住人』は神に祈って魔法を使わない」
トーマくんのお母さんは、あえてゆっくりと言った。言葉の一つ一つを確実に聞かせるために。
「神に祈る魔法?」
モリアナ公爵が反応した。
「そうだよ、あんたたち、魔法を使う時何に寄ってるのかな」
べつだん、難しいことは聞いていない。が、普段当たり前にしている事を、改めてどうやって歩いていたってけ?と考えると足がもつれる。みたいなもんだ。
謁見の間にいる男たちは、何らやブツブツ言い始めた。改めて呪文を考えているのだ。なんと詠唱していたか。
「魔法は、神に寄っていると思うが?」
モリアナ公爵が答えた。
「そうかな?」
トーマくんのお母さんは、首を傾げた。よく、考えて。と目が言っている。
「3人の女神、火、風、水だろう」
モリアナ公爵は、そう断言したが、
「詠唱は、精霊に寄ってますな」
中央からだいぶ離れた場所にいた、魔道士らしい服装の男が言った。
みなの注目が注がれたのが発言の許可と認識して、話を続けた。
「魔法を使う時、『風の精霊よ』『火の精霊に命ずる』とか、精霊を呼び出して詠唱しておりますね。つまり、我々が使っている魔法は、精霊に寄っております。『神の名において』と言うのは呪文にはなかったと記憶致します」
おそらく、宮廷魔道士なのだろう。言い終えた後に、チラリと王を見た。
王は目を閉じて頷いているので、それを肯定しているのだろう。
「よくわかったね」
トーマくんのお母さんは、まるで先生のようだった。ここに集まった『この世界の住人』に、教えを説いている。なんの授業?
「どういうことだ?3人の女神の3属性ではないか、神に寄っているのではないのか?」
モリアナ公爵は、まだ理解出来ていないようだ。他にも、同じように、宮廷魔道士の顔を見たり、隣と顔を見合わせて考え込む者もいた。
「普段、あまり魔法を使わない騎士よりの人には分かりにくいかな?」
そう言って、トーマくんのお母さんは魔法をひとつ。
「『火の精霊に命ずる。我が足元に灯火を』」
それは、詠唱。
小さな炎が灯された。
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