第41話婚前旅行2

天正元年12月初旬

「聞いておきたいことですか?なんでしょう??」


 俺はお市様の静かで真剣な様子に姿勢を正しながら、そう聞いた。差し出していた短刀もいったん自分の膝に置いておく。


 戦国時代の岐阜は冬の寒さが厳しい。俺が生きていた現代は地球が温暖化しているというのも納得だ。その一方で戦国時代は太陽の活動が弱いの(小氷期)だったか?なるほど、身を切るような寒さとはこのことだ。プロポーズの緊張も相まって、心身ともに凍りつきそうである。


 戦国時代も大航海時代も起こった原因は同じ——太陽の活動が弱まって、世界中で飢饉が頻発するようになったからではないだろうか?


 そんなことまで考え始めた、刹那——


「フロイス様は寒さが苦手なようですね。もっと火を強くしましょう」


 お市様がそういって、話をする前に、お市様は火鉢にくべている木炭に息を吹きかけて火を強くしてくれた。

 

 そして、火鉢を俺の方へ近づけてくれた。優しい。


「ありがとうございます。この国の冬の寒さは骨身にこたえます。それがしはポルトガルという年中、温暖な気候の国で育ったもので…。して、聞きたいこととはなんでしょう?」


 …。


 お市様は逡巡するような仕草をしてから、口を開く。


「浅井が朝倉につく時、備前様が気になることを言っていたのです。兄上は全ての大名を潰すことでこの国を一つにまとめようとしていると…。小谷城を開城するときもそのようなお話をされていましたが…それは…真でございましょうか??」


 あー、長政殿がそんなことを言っていたな。


 全ての大名を潰す。まあ、当たらずしも遠からずといったところだが…どう答えようかな?


「……小谷城でも申した通り…弾正忠様の意図は、それがしもはかりかねているのです。しかしながら…全ての大名を潰すというのは、得策ではありますまい。今は戦国の世。歯向かうものや裏切るものは徹底的に潰さざるをえませんが、味方や協力してくれた大名まで潰そうとしたら…それらの大名が一斉に反旗をひるがすこととなり、織田家は滅びるでしょう。そのようなことは、それがしが身命をとしてでもお止めします」


 …。


「味方が反旗をひるがえす。なるほど…。兄上といえども、味方に一斉に裏切られては、ひとたまりもありますまい。そんな愚かなことは普通はできませんね。…。兄ならそういうことを平然とやりかねないところが怖いし不安なのですけれど…。しかし…ふふふっ」


 お市様はおかしそうに微笑んだ。


「なんです?」


「いや、フロイス様は身命をとしてばかりだ、と思って。そんなことでは命がいくらあっても足りますまい。フロイス様にも兄上にも浅井の再興に協力するという約束を果たしてもらわなければ困るのですけど。…そうだっ」


 お市様は何かいい事を思いついたかのように一回ぱんっと拍手した。(その仕草もかわいい)


 26歳で4人も子供がいるとは思えない感じだ。うら若き乙女といっても通るだろう。俺はそんなことを考えながら…


「なんです?」

 と問う。



「フロイス様から短刀をいただくだけでは不公平です。短刀を交換しましょうっ!!」



「へっ?!」

 その発想はどこから来た?



「お互いに短刀を交換してお守りにするのですっ。良い考えとは思いませんかっ?」


 短刀を交換してお守りにする??


 …。


 いいな、それ。しかし、それだと…。


「短刀を交換するとなると婚約指輪というより結婚指輪ですね。婚儀の時にお互いに指輪を贈りあう南蛮の風習なのですが…」


「よいではありませぬか。今、ここで南蛮式の結婚式をするのです。旅行から帰ったらこの国式の婚儀を改めて行うということで」


「なるほど。それなら、結婚前に女性を旅行に誘うという抵抗感も幾分、薄れるというもの…。いい考えかもしれませんね」


 面白いことを考える人だ。


「でも、旅行の案内の仕方次第では旅行から帰ったあとの婚儀を取りやめるかもしれませんよ?」


 お市様はさらっと、いたずらっぽく、怖いことを言う。



(成田離婚ってやつ?)


 …。


「…それは怖いですね。心して旅行の案内を務めましょう」



「「くくく…。くくくくくくっ」」


 そうして、2人は心底、楽しそうに笑いあうのだった。





♠️


 太陽神アマテラスの加護を受けたかのような雲一つない快晴だ。


 九州へ向かう船の上には太陽がさんさんと輝いている。太陽の高さから現在の時刻は正午くらいだろうか?波も風も穏やかだ。

 湿度は海風混じりで高め。気温はブルブル震えるくらい寒い。アマテラス様め。小氷期とかいって、さぼらないで欲しいのだけど…。さぼるなら、地球温暖化が問題になっている現代にしてください。



「「「「うーっー」」」」


 船酔いに効くという梅干し入りの白湯を5つお盆に乗せてお市様の部屋を訪れると中から5人ほどの女性の呻き声が響いてきた。


 俺が帰ったらすぐに政務に取り掛かれるように、検地のことや新たな人材の発掘、俺の領地に適した産業を探すことや授業のことなどを俺の家臣たちに詳しく指示してから、俺達は九州に向かう船に乗った。


 今から、船酔いに苦しんでいるであろう人達を見舞うところだ。姿勢制御装置などないこの時代の船は、ひどく揺れる。大航海時代の宣教師たる俺の身体はこの揺れに耐えられるが…そのほかのもの達にとっては地獄だろうな。この国の海はまだ穏やかな方だが…。



「入ってもよろしいですか??」


 俺は遠慮がちに聞いた。


 この様子だと女性達の部屋の中に入りづらい。



「どうぞ」

 調子の悪そうな声でお市様が答えた。



「失礼致します」

 中に入ると…


 案の定、大きな桶を部屋の中心において5人の女性が仲良くうずくまっている。



「こんな有様で申し訳ございませぬ」

 真っ先に口を開いたのは4人の侍女長の中で最年長の恭だ。


「こんなに苦しいのは子供を身篭って以来でございます」

 こう言ったのは綾。


「「「ほんに。おほほほ…」」」

 そう言って笑ったのはお市様・里・澤だ。


 子供がいるという共通点もあって、みんなすっかり仲良くなったみたいだ。

船酔いが酷いらしく、みな一様に顔が青いが…。



「皆が船酔いで苦しんでるかと思い、船酔いに効くと言われている梅干し入りの白湯を持って参りました。飲めそうですか??」


 俺は青い顔して弱った感じのお市様に話かけた。



 「はい」


 そう返事を貰ったので、まずはお市様に白湯を渡す。


 その後、3人の侍女長達にも順番に渡していく。


 まずは恭がそれに口をつける。


「ほっ。酸味と温かさで胃の腑が落ち着く心地が致します。お市様も飲んでみてくださいませっ」


「ええ」


 ぐびっと白湯を飲んだ。


「ほっー」


 お市様は青い顔はそのままだが、ほっとひと心地ついた顔をした。


 他の2人も白湯に口をつける。


「このように晴れた穏やかな日でさえこれとは…これより激しい波風に襲われるという異国への旅…どれほどのものなのか…備前様や万福丸、万寿丸はよく無事に異国までたどりついたもの…」


「パタニ王国への船旅は辛いものだったでしょうね…。それにあちらの国の米は日の本の米と違う種で味も異なるとか…。食べ物の違いは意外と士気の低下に大きく関係します。武器や弾薬だけでなく、定期的に北近江の米を送りましょう。それから、今作っている城に梅を植えて梅干しも作りましょう。近江の味噌で煮込んだ芋がらもおくりましょうか」


 俺はそう提案した。味噌で煮込んだ芋がらは、今でいうインスタント味噌汁だ。


 お市様はそれを聞いて呆然とした顔をした。


 数瞬固まったあと、


「くくく」

 っと笑い出した。


「な、なんですか??」


 なんの意図もせずに思ったことを口にしただけなのだが…何がそんなに面白かったのか??


 俺が首をかしげていると…


「船旅に誘ってくださった時も思いましたが…弱っているおなごにそのようなお優しい言葉をかけるなんて…フロイス様は悪いお人ですねっ。しかも、敵対して国外追放になったもの達へ梅干し、米、味噌の芋がらを送ると…本気でおっしゃっておられるのでしょう?」


 お市様はいたずらっぽくそう言った。


(うっ…弱っていても可愛いな)


 俺はそんなことを思った。

顔が上気しているだろうという自覚もある。



「…むろん、本気です。私はその手の嘘も戯れ言も申しませぬよ??」


 それに…


(俺が悪い人?どこが??)


 海外に赴任した知己に、米や梅干しやインスタント味噌汁を送ることはそんなに悪いことだろうか?


 余計なお世話ではあるかもしれないが…。


 訳が分からず周囲をみわたすと…4人の侍女たちが同じような表情を並べてこっちを見ている。


 生暖かいというか、ニマニマしているというか…。さっきまで船酔いで真っ青だったとは思えない、ほっこりした顔だ。


 まあ、みんなが元気になったのなら、お見舞いに来たかいもあったかな?

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