前代未聞⁉︎世界史上初めての婚前旅行

第40話婚前旅行

天正元年11月末 岐阜城


 俺は結婚する前に還俗することを思いたち、それをイエズス会の日本本部がある長崎に報告することにした。


 ただ報告に行くだけでは芸がない。九州でやれることは他にもあるはず。


 九州の情勢を思い浮かべてみる。


 天正元年くらいの九州の情勢は確か…。大友氏が九州で最大の勢力を誇っていたが…。龍造寺氏が肥前で勢力を急激に伸ばし、大友氏の当主・宗麟はそれを危険視していたのではなかったか?


 龍造寺氏を潰したいのに中国地方の毛利氏が九州に侵攻する構えを見せていたので龍造寺を潰しきれない状況。


 龍造寺氏の当主・隆信はその状況を利用して、大友氏に事大するふりをしながら肥前で勢力を拡大し続けている。


 この状況で大友氏と同盟を結ぶのは容易だろう。大友氏にとっても、毛利氏が邪魔だからだ。


 それに、大友宗麟はキリスト教に好意的であり、俺と入れ替わる前のルイス・フロイスとも親交があった。俺には大友宗麟とのつても既にあるのだ。


 キリスト教といえば…。朝輝教の悪口をいって宣教師達が畿内から追い出されたために、オルガンティーノ師の日本における権威が失墜した。


 その影響で、九州で布教していたカブラル師の権威が相対的に上がっている状況だろう。


 この状況は史実では起こらなかったことだ。オルガンティーノ師が日本の風習を重んじた布教をしているのに対し、カブラル師はヨーロッパ優越主義に基づいた布教をしている。


 この2人は権威や権力の面でも、思想的な面でも対立している。史実においてはオルガンティーノ師がこの争いに勝利するはずだったのだが…。


 歴史が変わったことの影響はこの対立にどう影響を及ぼしたのか注意深く探ってこなければ…。


 九州の他のトピックでいえば…今回の俺の九州行きに直接関係しないものの、薩摩の島津氏も台頭しつつあるな。


 島津義久が家督を継いだ元亀3年には、日向の伊東氏が3000人の兵を率いて島津氏がおさめている薩摩に侵攻。これを島津氏は300人で撃退するなどしている。10倍の兵力差を覆すとは…地の利があって、兵数の不利を〝釣り野伏せ〟という作戦で補ったのもあるだろうが…それにしても島津氏が率いている薩摩兵は鬼のような強さである。鬼島津と呼ばれるているのも納得だ。



 さて、九州の地で俺が何をするかという話に戻ろう。


 還俗や大友氏と同盟を結びに行く以外には…痩せた土地でも育つ作物の調達とかも良いのではないだろうか?キリスト教の日本本部がある長崎には色々な作物が入ってきているだろう。新たに俺の領国となった伊賀の地は、たしか山が多く土地も痩せていたはず。


 痩せた土地でも育つ作物を手に入れれば農民の生活の助けになるだろうし、軍の栄養状態の改善にも繋がる。


 あと、俺の食事のバラエティも増えてくれたら助かる。


 玉ねぎ、人参、キャベツ、カボチャ、トウモロコシ、きゅうり、トマト、さつまいも、じゃがいも、あたりがあったらいいなぁ。

あとは、寒冷地でも育つライ麦や燕麦、ビートなども欲しいか。



 今、もっとも気がかりなのは…結婚に関することである。この時代は政略結婚が主とはいえ…追放した浅井長政の伴侶だったお市様をこのまま俺が貰うというのはやはり抵抗がある。


 俺たち2人の間には、わだかまりがあるのではないか?このまま結婚してうまくやっていけるだろうか??という不安が重くのしかかってしょうがないのである。



(そうだ。今回の旅行を婚前旅行にしたらどうか?)

 思い悩んだ末、俺はそんなことを思いついた。


 九州の長崎。そこでは今でも海外との奴隷の売買が盛んだと聞く。


 浅井家の追放に意気消沈し部屋に引きこもっているというお市様には、南国のあたたかな空気や異国情緒も楽しんで貰いたいし、海外からの脅威がどんなものなのかということも知って貰いたい。


(浅井長政にその防波堤としてパタニ王国に旅立ってもらったということを肌で感じてください。)


 うん。お市様には、幼子が3人いてその子たちを乳母や侍女に任せて置いてきて貰わないといけないが…信長様とお市様を説得してみよう。




♠️

 信長様にその話をすると…信長様もお市様が意気消沈して自室に籠りっぱなしなのを大層心配しておられたようで、「婚前旅行とはなんとも斬新な案だが…。そうしてやるが良い」と承諾してくださった。


 これからお市様の元を訪ねる。


「失礼致します」


「どうぞ」


 俺は襖を開けて、お市様の部屋を訪ねた。

お市様の部屋でさ茶々、初、江の三姉妹が乳母とともにいた。江はまだ乳飲み子である。



 俺の顔を見るや、長女の茶々(6才)がキッと睨みつけてくる。


(ぐっ…)


 ……


 小谷城を開城させるために交渉した俺を親の仇と敵視しているらしい。


 賢い子だなと感心するが…お市様によく似た綺麗な顔で睨み付けてこられるのは精神的にきついので、やめてもらいたい。



 お市様は乳母に目配せする。


 すると、乳母は三姉妹を連れて隣の部屋に下がった。


 俺は美少女(美幼女?)からじっと睨み付けられるという苦行から解放されてホッとした。


(あの娘とも和解しないといけないな)


 お年頃の義理の娘との和解。苦労しそうだ。


 そんなことを考えていると…



「兄から聞きましたが…今日は婚前旅行のお誘いに来てくださったとか…」


 沈んだ調子でお市様がきりだした。


「ええ。結婚前に旅行にお誘いするのは非常識か、とも思いましたが、お市様が意気消沈されて自室に引きこもっておいでだとうかがったもので…」


「それは…織田と浅井両家の仲を取り持つという役目を果たせず、織田と浅井をお互いに滅ぼしあおうとするまで争わせてしまったのです。その負い目からなかなか立ちなおることができませぬ」


 お市様は悲しげに顔をおおった。


「そうでしょうね。…。私も、両家を争わせぬためにもっといいやりようはなかったのか、と毎日考えています」


 そう言うと…お市様は手でおおっていた顔をこちらに向けて涙で濡れた目でじっと俺を見つめた。

俺の言うことの真偽を確かめるように。


「確かに、備前様と義父上の間に意見のくいちがいがあり、家中の者たちも朝倉方につくべきという意見が大勢を占めておりましたからね。わらわにもどうしようもできなくて、ずっとやきもきしておりました。あのような複雑な状況でフロイス様が備前様や義父上や子供達の助命するために尽力してくださったこと、大変感謝いたしております。備前様の仕官先までお世話してくださったことも。あの兄上が備前様や嫡男どころか、義父上まで生かすとは…奇跡としか言いようがありませぬ。説得が大変だったのではないですか?」



「いや、弾正忠様と備前様の会食のあとから、備前様が寝返ることを予測し、準備をし、備前様達をどう処するのかよく話あっていたおかげで講和案は結構すんなり纏まりました」


 まあ、俺が歴史を知っていたことと、ピン殿と知己となって、長政殿達を国外追放できるつてができたことも大きかった。


「そんなに早くから準備をされていたのですね。フロイス様は慧眼の持ち主ですっ」


 お市様は尊敬の目で俺を見る。


「いやいや…」


 しかし、あの日の会食がなかったら、史実は変わらなかっただろうな。俺たちは信長様から今度の正月に、長政殿、久政殿、義景殿の髑髏の杯で酒を飲むよう強制される所だった。


(朝倉義景殿は死んだけど…まさか、ね)


 俺は、義景殿の髑髏の杯で酒を飲まされる可能性が残っていることに戦慄する。


「備前殿やそのお子様方は生きておいでなのです。いつの日か会える日も来ましょう。いや、私が会わせてみせますよ。浅井の再興に関しても、約束通り責任を持ってお世話いたします」


 前の夫や子供に会わせるために次の夫である俺が苦労する。酔狂なことだが…


「本当…ですか!?」

 お市様の表情は半信半疑といったところ。


「ええ。ただ…」


「ただ?」


「天下が定まるまで外国に船を出せないというのが一点。それまでに何年かかるか…10年…いや、20年といった所ででしょうか?それから…備前殿が赴いたパタニ王国はここからはるか西南にある地。船で何十日と旅をしなければなりません。船の乗り心地もいいとは言えませぬ。船旅にも慣れて頂きませんと」



「備前殿や子供たちに会えるなら何十年であろうと待ちます。船旅にも慣れましょう!」


 傍目からもお市様の沈んでいた表情に希望の光が灯るのが分かった。

自分で言っておいてなんだが…俺は複雑な気分である。


「では、海外に出る前に波風の比較的穏やかな国内で船旅に慣れて頂きましょう。それが今回の婚前旅行の目的のひとつなのですが…。いかがでしょうか?」



「ええ。是非ともお連れくださいませ。でも…目的のひとつと仰いましたね。他にも目的があるのですかっ??」


 お市様は本来の調子であろう明るくリズミカルな調子でそう聞いた。



「もうひとつの理由としては…お互いの見聞を広めるためとでも申しますか…世界の情勢を知って、これからの世界のことを私とお市様とで考えてみたいのです。浅井のこれからがどうなるのか?どうしたいのかも含めて」



「旅行をして見聞を広める。面白そうです」


 お市様はハタと手をうった。


 先程までの意気消沈ぶりはひっそりと影をひそめている。まだ見ぬ地への好奇心に満ちた顔だ。

この新しいことへの好奇心は信長様譲りか?


 こうして、九州への婚前旅行が決定した。


 船と乗組員は新たに俺の配下に加わった九鬼嘉隆に準備してもらう。


 準備期間にそう日も置けないので、俺たちが乗る船は既存の安宅船になりそうだ。



「それと、このたびのそれがしとお市様の縁談に関連して、お市様に受け取っていただきたいものがあるのですが…」



「何でしょう?」


 お市様が怪訝な顔をするので、俺は持ってきた物を取り出す。


 それは、装飾が施された優美な短刀である。


 一見、キンジャールと呼ばれる西洋式の短剣に見えるだろう。しかし、刀身は片刃の日本刀なのだ。刀の柄の部分と鞘の部分には金と銀による装飾がふんだんに用いられ、大きなルビーがはまっている。ルビーの石言葉は誠実。〝俺はお市様との約束を誠実に守ります〟という意味。


 婚約指輪の代わりというか…。〝俺が浅井の再興に最大限協力するっていう約束を違えたら俺を斬ってくれ〟っていう制約。


 この刀は陰陽術で錬成した陰陽刀であり、破邪の力もある。お市様を邪なものから護るお守りでもあるのだ。


「これは…南蛮の短刀ですか?日本の短刀と違い、派手。金や銀や宝石がふんだんで、精緻な装飾もほどこされています。華美な感じの短刀ですね」


「ええ。南蛮では男性が女性に指輪を差し出して〝私と結婚してください〟と結婚を申し込む風習がありまして…。これはその代わりというわけです。指輪でなく短刀なのは、お市様との約束を守るという決意の現れといいますか…。受け取っていただけますでしょうか?」


 俺はおそるおそるといった感じで短刀を両手で恭しくさし出す。西洋式のプロポーズである。


 お市様のほうはというと…。俺が差し出している短刀を受け取るべきかどうか逡巡している感じだ。


(断られたら、どうしよう?)


 怖いな。相手が自分のプロポーズを受けてくれるかどうかって瞬間は本当に怖い。


(俺、浅井氏を滅ぼした張本人だからなぁ…)


 俺は、全身が緊張で震えそうになるのを必死で抑える。頑張れ、俺。



「それを受け取る前にひとつ確認しておきたいことがございます。よろしいでしょうか?」


 緊張でどうにかなりそうな俺にお市様が静かに言った。


  確認しておきたいこと?なんだろう??







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